東京駅八重洲口を背に進み、中央通り沿いの銀座と日本橋のあいだに位置する「京橋一丁目東地区計画」。アーティゾン美術館が入居するミュージアムタワー京橋と、隣接するTODAビルとで構成される一都市計画二事業の大規模開発だ。その軸となるのが、芸術文化。TODAビルが開業する2024年11月、街区全体がグランドオープンを迎える予定だ。
TODAビルは、高層部が戸田建設本社と賃貸オフィスで占められ、地上1階から6階の低層部が芸術文化エリアとなる。マンガやアニメ、音楽など多彩なコンテンツを扱うミュージアム(運営:ソニー・クリエイティブプロダクツ)、ホール&カンファレンス、ギャラリーコンプレックス(小山登美夫ギャラリー、タカ・イシイギャラリー、KOSAKU KANECHIKA、Yutaka Kikutake Galleryが入居)、戸田建設のアート事業の拠点となるアートラウンジ、エントランスロビーなどの共用スペース、アートショップ&カフェが機能することで「誰もが気軽に、芸術・文化を体感できる機会を創出」し、「新進アーティストの育成」と「情報発信の場の創出」を目指す。
「アートによるまちのエコシステムの構築」を目指すべく、アート事業「ART POWER KYOBASHI」がビル開業とともに本格始動する。アドバイザリーコミッティに小池一子(クリエイティブディレクター)、唐澤昌宏(国立工芸館館長)、小山登美夫(小山登美夫ギャラリー代表)、遠山正道(株式会社The Chain Museum 代表取締役)、豊田啓介(建築家/東京大学生産技術研究所特任教授)が名を連ねる。注目したいのが、1年〜1年半をめどに(第1回は1年半ほどを予定)キュレーターの企画を定期的に刷新する共用部のパブリックアート・プログラムだ。第1回のキュレーターとして飯田志保子を迎え、「螺旋の可能性──無限のチャンスへ」をコンセプトに持田敦子、野田幸江、毛利悠子、小野澤峻という4名の作品がラインアップされる。
「通常であればデベロッパーが絶対に立てないような計画」
──まず小林さんに伺いたいのですが、本社ビルの建て替えに伴う大規模開発に際し、どのような経緯で芸術文化を取り入れることになったのでしょうか。
小林彩子(以下、小林) ちょうど弊社の本社ビルの建て替えを検討していたのと同じ頃に、隣接するブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)が入っていたビルも建て替えの検討を進めており、一緒に街区開発をしましょうということになりました。京橋は隣接する銀座や日本橋のような華やかな商業地区ではありませんが、ではどういう特徴の街なのかを見直してみると、ブリヂストン美術館は国宝級の作品を所有されるすばらしい美術館です。また、街には古くから古美術商やアートギャラリーが集まる通称骨董通りがあるなど、芸術文化を大切にしてきた地域だということがわかってきました。そこで、アーティゾン美術館が入るミュージアムタワー京橋と、TODAビルとで芸術文化拠点を生み出す計画が動き始めました。
──建て替え計画は2008年に始まり、2015年に「芸術文化の拠点づくり」と「地域の防災力強化」を掲げて東京都に特区提案が行われ、2016年3月に都市計画決定がなされました。戸田建設さんが主導する「ART POWER KYOBASHI」の特徴のひとつとして、アドバイザリーコミッティとして5名の専門家を迎えていることが挙げられます。どのように5名を選び、依頼されたのでしょうか。
小林 「育成」と「発信」というキーワードが初期の段階からあったので、新進アーティストが展示を行うスペースをつくるにあたり、オルタナティブスペースという観点からまず小池さんに入っていただきたいと考えました。次に、現代アートのギャラリーを誘致する計画もあったので、小山登美夫さんにお願いしました。戸田建設という企業がアートに携わるためには、ビジネスとアートという視点も重要です。そこで経営者であり、作家として作品も発表されている遠山正道さんにオファーしました。
アート事業としては、現代アートのみではなく、ものづくりという観点から工芸の分野での支援も視野に入れています。そこでお声がけしたのが、国立工芸館の唐澤館長です。建築家の豊田さんは、解体直前の旧TODA BUILDINGで行ったアートイベント「TOKYO 2021」の建築展に審査員として参加してくださった経緯がありました。そこで弊社の視点とは異なる角度から知見をいただけたことが実感できたので、アドバイザーとしてもぜひ参加していただきたいと考えました。
──小池さんと豊田さんは、アドバイザリーコミッティの依頼を受けて、どのような仕事をイメージされましたか。
小池一子(以下、小池) 長年、私が携わってきたNPO活動や、古い建物を再生して新しい空間をつくるような活動を見てくださって、お声がけいただきました。ひとつの企業が、大規模開発を通してどこまでアートにコミットすることが可能なのかという興味がありましたし、お話を伺っていくうちにだんだんと実態が見えてきて、確信をもってお受けすることになりました。
豊田啓介(以下、豊田) 正直なところ、最初は何を求められているのかわかりませんでした。いわゆる大規模な開発事業で、パブリックアートを常設するのだろうという予測はしましたが、話を聞いていると、だいぶ踏み込んでいましたから。ハードとしてのアートコンテンツを固定して設置するのではなく、つねに変えていくというのはとてもカロリーが高いというか、通常であれば面倒がってデベロッパーさんが絶対に立てないような計画だと思うんですね。
小池 そうですね。それと、事業によっては、アドバイザリーコミッティと事業者とが遠い関係であることも多いですよね。もしそうだとしたら、私はあまり向いていないと思っていましたが、パブリックアート・プログラムのキュレーター選出などにも直接関われる関係性を提示していただき、とても共感が持てました。
──豊田さんは、noizという先鋭的な建築事務所を率いる建築家として、大手ゼネコンである戸田建設さんと仕事をすることにどのような可能性を感じますか。
豊田 普段はDX(デジタルトランスフォーメーション)などのデジタル関連の文脈でゼネコンさんから相談を受けることが多いのですが、アートという文脈での話は珍しいので、とても興味を持ちました。デジタル技術を用いたソフトとしてのアートと、建築というハードの部分が組み合わさることで、街や社会、コミュニティがどう変わるかということを考えていた時期でもあったので、戸田建設さんの圧倒的な開発力、技術、体力と、僕の設計事務所のような勝手で空気を読まない視点が組み合わされば、うまく役割分担ができそうだと考えました。
「アートを中心にコミュニティから文化が屹立する」
──街区をつくる視点から、アートがどのように機能すると想像されますか。
豊田 京橋はこれまで、銀座と日本橋に挟まれていることもあってあまり街のにおいや顔が見えづらかったエリアだと思うのですが、アートをこの街区に集めることで、「この方向性でとがってきている」ということが見えて、面白い展開が期待できます。また同時に、アドバイザーとして関わりながらプランを消化していくなかで生まれてきた考えなのですが、大規模な予算を開発事業に集約させ、この街区にアートのコミュニティを生み出したら、その価値を別の地域にも環流させることができるのではないでしょうか。ここで生まれたエコシステムをどこかの地方都市などにも展開させることができたら、「閉じないコミュニティ」として影響力を発揮することができるはずです。
──事業の中心に位置し、「育成」と「発信」の場として機能するのが、およそ1年をめどに刷新されていく共用部のパブリックアート・プログラムだと思うのですが、キュレーターの選考はどのように行われたのでしょうか。
小林 1年ぐらいの期間、ビルの1階ロビーや2階の回廊などの共用スペースに設置するパブリックアートで、予算がこのぐらいで、という条件を我々のほうで設定し、プロポーサルによりキュレーターを選定いたしました。アーティストのアサインも含めてキュレーターにご提案をお願いし、コロナ禍だったのでリモートでプレゼンテーションしていただき、アドバイザーの皆さんと評価させていただきました。
小池 キュレーターを選ぶことでプロジェクトの方向性が決まると思ったので、選考は非常に重要なプロセスでした。私はいわゆるアメリカ型のパブリックアート──ビルの建設費の何パーセントかを作品制作に充て、公開空地に設置することで建蔽率が優遇されるようなもの──はあまり好きではありません。結局、設置してしまってからどうでもいい置物になってしまうようなパブリックアートをよく見かけますから。しかし今回のプロジェクトは、キュレーターがコンセプトを提案し、変化しながら継続するプロジェクトということで、アートによって街区が動き続ける。企業がそこに取り組むのは非常に有意義ですし、第1回のキュレーターを務める飯田志保子さんのお仕事は堅実ですので、タッグを組んで新しい取り組みがスタートするのはとても興味深いです。「京橋彩区」という街区名称も非常にアピールする力を持つ言葉だと思いますし、アートを中心にコミュニティから文化が屹立するのは素晴らしいことです。
小林 不動産業の立場からすると、誰の目にもふれるビルの共用部の設計にはとても力を入れるわけですが、何度かビルに足を運ぶと、そのインテリアもすぐに見慣れたものになってしまいます。ところがそこにアートが設置され、それも動きのあるアート作品であったり、体験型だったりすると、来るたびに空間が違ったものに見えてきます。さらには1年ごとに作品が入れ替わるわけですから、アートの力をどのように活用できるかという試みは、不動産の価値を上げる試みとしてもとても期待できるものです。
豊田 一般的に開発事業におけるアートプロジェクトというと、いわゆる美術館などの「箱」を設置して企画を回していくか、年間のコマーシャル予算などを使ってインスタレーションを期間限定で設置するか、というかたちで二極化しているところがある気がしています。勇気をもって固くて重い箱を設置するか、お金のにおいがするけれど「インスタ映え」がして人気が出る空間をつくるか。TODAビルのプロジェクトは、その中間的なものだと感じています。美術館の外にアートコンテンツが出てきていて、一定期間で新しい作品が設置される仮設のプログラムではあるけれど、現代アートの根幹にふれたい人たちも満足させるプランが提案されている。世の中にないものを生み出す非常に挑戦的な取り組みです。
「アートと来館者の日常が混ざり合う新たな一歩」
──あらゆる人に開かれ、いつでも無料で体験できるパブリックアートが共用スペースに設置され、それも気鋭のキュレーターたちによる提案で刷新されていく。巨大な建物をつくることにとどまらず、アートを受容して発信する器として機能し、そこから発信される文化までも想定して、建物が設計されているように感じられます。
小池 今朝、イスラエルの戦争のニュースを見ながら、古い言葉を思い出したんですね。「人はパンのみにて生くるにあらず」という旧約聖書の言葉です。本当に人間の根源にあることのひとつだと思っています。心が満たされるということ。ものすごい勢いで都市が変貌を続けているわけですが、私たちの気持ちのなかには、ただ開発だけが進められることへの恐れのようなものがあると思います。それに対して、心へのケアをデベロッパーが行うことは可能なはずです。今回のプロジェクトで、アート作品がTODAビルで働く人、訪れる人たちにどのような作用を及ぼすかというと、やはり実験でもあるし、冒険でもあります。そして、アーティストを含めてつくる側のサポートも重視している点が重要ですし、企業のアートサポートとしてはとても進んでいるものだと感じています。
小林 美術館だと作品を前にして大きな声でおしゃべりを続けることははばかられますが、パブリックスペースのアートであれば、作品を前にして知っている人同士でも知らない人同士でも、立ち止まってコミュニケーションが生まれる可能性があります。学校の先生の引率で子供たちに来てもらって、アーティストや私たちがアートについて話すようなプランも検討しています。子供の頃にそういう経験ができると、大人になっていく過程で非常に大きな糧になるはずですし、アートでそういう場を提供できれば、コミュニティとしてとても大きな価値を持つと思うのです。
豊田 都市のモニュメントと言えば、いわゆる昔の「ザ・展望台」とか「ザ・彫刻」的なモニュメントではなく、いま成功しているものだと例えばニューヨークのハイライン(*)みたいなものが思い浮かびます。歴史や街のシンボルとしての面白さがあるのと、見る対象としてモニュメントを楽しむのではなく、そこに自分も入って参加できることも人気の要因となっています。ブロードキャスト的に受け取るだけではなく、TikTok的というか、YouTube的というか、見る側にとって配信できるステージにもなるようなモニュメントです。TODAビルのパブリックアート・プログラムからは、そんなコンテンツの在り方を連想させます。いわゆるお仕着せの「ザ・彫刻」ではないアートの見せ方です。そこに体験が生まれ、アートと来館者の日常が混ざり合う新たな一歩となる気がしています。
──まさに小池さんが、1983年にオープンさせ、2000年まで運営した佐賀町エキジビット・スペースを新たなアートの発信の場として機能させていたこととシンクロしますね。
豊田 小池さんが佐賀町でいろいろな人たちを巻き込み、新たなエコシステムをつくっていったように、クロスジャンルで展開する場を建築家として僕たちはすごく参考にしているんですよ。
小池 佐賀町にはかつて、昭和の初期から蓄積されたものが戦後まで引き継がれた、下町の文化がありました。そのイメージを1980年代当時に置き換えようと考え、旦那衆が宴会をしていた講堂をギャラリー空間にしたわけですが、古い器の良かった部分をどう生かすか、ということを重点的に考えてあのような空間が生まれました。
豊田 新しい器にも、当時佐賀町で小池さんが生み出したエコシステムをアップデートして宿らせられる可能性はあるはずです。
小池 そうかもしれません。よく私は「見立て」という言葉を使いますが、アドバイザーというのはある意味で、見立てを託された達人でなければいけないのではないかと思うのですね。現在生まれているデジタル技術などのテクノロジカルな要素や現代的な表現を、どの器でどう活用するかという提案をする。京橋にはもともと骨董のお店が多いですが、小さな器に広い世界を見て取る「見立て」がありますよね。その視線で、京橋にも新たな文化が生まれる。そういう意味で、まずはTODAビルという器ができるのはすばらしいことです。
*──ニューヨークのマンハッタンで1980年代に廃線となり放置されていた高架跡地を再利用した遊歩道。ランドスケープ・アーキテクチャーとしても注目され、パブリックアートが点在し、音楽やパフォーマンスなども定期的に行われて人気を集めるなど、再開発の成功例として世界的に注目されている。