『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』 西村智弘+金子遊=編 十人十色な「実験映画」へのまなざし
アメリカの実験映画とその周辺の動向をめぐって10人の論者が寄稿した論考集である。冒頭を飾る越後谷卓司の論によると、作家性を重視した非商業主義の「実験映画」がピークを迎えたのはこれまで2回。1910~20年代にヨーロッパで興ったアヴァンギャルド映画と、50~60年代のアメリカを中心に世界的に広がったアンダーグラウンド映画によるものである。戦前、ヨーロッパで活躍した映像作家や美術家が第二次世界大戦を避けてアメリカへ亡命していた経緯を考えると、この2つの時代は無関係ではない。また、編者の一人である西村智弘は、日本における実験映画の草創期にアメリカの実験映画がもたらした影響を論じている。60年代のアメリカの実験映画は確かにひとつの到達点ではあるが、アヴァンギャルドの精神は地域や時代を越えて継承されているのだ。
こうした背景を踏まえ、本書ではアメリカ実験映画が隆盛期を迎える以前の動向や、現代作家、映画の保存・上映に関わるアーカイブ整備についての論考までを取り扱う。越後谷による論考は抽象アニメーションの先駆者、オスカー・フィッシンガーからビデオ・アートの巨匠、ビル・ヴィオラまでを駆け足でたどったコンパクトな実験映画史となっているし、金子遊によるマヤ・デレン論は古典的名作映画『午後の網目』(1943年)を手掛けた彼女がハイチのブードゥー信仰の記録へと「転向」した経緯を明らかにしてくれる。日本では紹介の機会が少ないペーター・クーベルカ論(太田曜)、マイケル・スノウ論(阪本裕文)やジェームス・ベニング論(吉田孝行)も読み応えがある。
何よりも60年代のアメリカを真っ向から考えるなら、西村が論じるアンディ・ウォーホルの映画を忘れるわけにはいかない。西村は環境音楽にも通ずるウォーホルのミニマリズム映画と上映環境そのものを表現として提示するエクスパンデッド・シネマの共通点を示唆しているが、モダニスティックな実験映画の系譜が転換期を迎えるのも、環境への拡張を志向しはじめたこの時代であるように思われる。そして圧巻は平倉圭によるロバート・スミッソンの映画『スパイラル・ジェッティ』論。緻密すぎるシークエンス分析は〈心−物〉〈視−聴〉の差異を掘り崩し、スミッソンの映画がモダニズム批評のその先にあることを私たちに示す。
実験映画はマイナージャンルとして時代の一角を占めるに終わらない。映画、美術、そしてモダニズムとそれ以降の言説をクロスオーバーする、様々な「拡張」の様相が本書には詰まっている。
(『美術手帖』2017年2月号「BOOK」より)