櫛野展正連載:アウトサイドの隣人たち ⑥ラーテルになりたい

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会をキュレーターとして扱ってきた櫛野展正。自身でもギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちにインタビューし、その内面に迫る連載の第6回は、様々な障害と闘いながら力強い絵を描く、ラーテルさん(あなぐまハチロー)さんを紹介する。

ラーテルさん(あなぐまハチロー)が描いた《つかみとれ!》(2016)。独創的なモチーフと力強い彩色が特徴だ
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まれに、SNSを通じてアーティストから連絡をいただくことがある。この記事で紹介するハンドルネーム「ラーテルさん(あなぐまハチロー)」も、そのひとりだ。

Twitterを通じて連絡をもらい、そのグロテスクで力強い画風に魅了された僕は、本人に会うため大阪まで足を運んだ。待ち合わせのバス停にいたのは、その作風からは想像すらつかない穏やかな雰囲気の女性だった。市営住宅の高層階にある自宅に案内してもらうと、彼女の部屋には年代ごとに画風も様々なたくさんの絵が飾られていた。いままで誰にも知られることなく描き続けられてきたドローイング群に、僕は息を飲んだ。

ラーテルさんの部屋の様子。簡素なインテリアを覆うように、グロテスクな絵が並べられている

大阪市内で二人姉妹の次女として生まれた彼女は、小さい頃から集団生活が苦手で、幼稚園ではいつも泣いていたそうだ。小学校2年生のときに女子から無視され、それからは他人の顔色をうかがうようになった。「いつも受け身で自分から会話することはほとんどなく、相手が話しかけてきたら返答する感じでした。友だちと約束をしても、途中で嫌になって断ってしまうこともありました」と語る。

3年生のときには朝礼に出ることができず、毎朝トイレで嘔吐する日々だったという。休みがちだったものの無事に小学校は卒業。中学校にあがると、同じ団地に住むいちばん仲良しだった友だちと同じクラスになり、喜んだ。だが次第に、学校や放課後でも常に一緒という状況に息苦しさを感じるように。特に友だちから何かをされたわけではないが、相手との距離感がつかめず悩んでいたようだ。それからだんだん学校に行けなくなり、そのまま家の事情で転校することになった。

新しい学校での、ある体育の授業でのことだ。生徒手帳に「今日は調子が悪いから体育を見学します」と母に書いてもらい教師に提出したところ、「どういう症状か言いなさい」と執拗に問い詰められた。「そんなこと言われても、わかりません」とパニックになり涙を流し、教師と口論になったことが引き金で、家にひきこもるようになっていった。

一口に「ひきこもり」と言っても、彼女の場合は美術館や動物園には母親と出かけることがある。ただ、中学卒業後は働いたり高校に進学したりすることをせず、いまもずっと自宅で過ごしている。幼少期から続く他者との距離感やコミュニケーションの困難さが、彼女をずっと悩ませている。

《インコ仙人》(2016)を縦横に埋める描線は、ラーテルさんの葛藤する心情を代弁しているかのようだ

そして、中学2年生のときから描き始めたのが、いまのようなタッチの絵だ。当時、美術の教科書に載っていた絵を片っぱしから家で模写していたら、曾我蕭白(そが・しょうはく、1730〜81)の絵が目に留まり、魅了された。

以後、15年以上にわたって、部屋のなかで絵を描き続けている。彼女がこれまでに描いた作品は優に300点を超え、生み出すキャラクターは作品ごとに異なっている。どこかグロテスクな絵が多いのは、大好きな80年代のB級ホラー映画の影響が大きい。

これまでの発表の場はTwitterやブログだけ。ここ10年ほどで絵のおどろおどろしさが増し、身内から「もっとかわいい絵を描けばいいのに」などと言われるので、他人に直接絵を見せることは一切なくなったそうだ。

そんな彼女の絵には、人がほとんど登場しない。描かれるのは動物にも似た、不思議な生き物だ。人間以外の生き物に興味があり、小さい頃から生物図鑑ばかり眺める女の子だった。生物分類技能検定を受けようと思い勉強していたほどで、動物に関する知識は豊富だ。そして彼女の大きな支えになったのも、一匹の小さな犬だった。名前はレイス。1994年に大好きだった祖父が他界し、その翌年に生後3か月のポメラニアンを飼い始めた。2011年にレイスが老衰で亡くなってからは気分が沈み、ペットロス症候群のような状態が続いた。

《連作くるくる 食用》(2015)には、動物と思われるモチーフが複数描かれている

現在、彼女は様々な障害を抱えている。発達障害とうつ病、それに統合失調感情障害だ。統合失調感情障害とは精神疾患のひとつで、家のベランダから飛び降りたり家で暴れたり、誰かに首を絞められたりするイメージが、突然次々と頭に浮かんでくる症状である(類型が複数あり、症状には個人差がある)。

加えて昨年、姉の子どもたちの世話をしているうちに、子どもたちとの過度な接触に疲弊しきってしまい、2か月間入院することになった。「入院するまで他人との関わりは避けてきました」と言う彼女だったが、この入院が転機となった。

「人にこう話したらどう返ってくるか、という人間観察をしてみたんです」と言うように、入院中は自分から話しかけることが増え、ほかの女性患者から相談されたり電話番号を交換したりと、ちょっとした人気者になったそうだ。

そして主治医の先生に初めて絵を見せたところ、「その先生がいいリアクションをしてくれはったんで、この間、親戚のおばちゃんにも見てもらったんです。そうしたらすごくいい反応をまたもらって、人のなまのリアクションが嬉しくて、発表してもいいかなと思うようになりました」と語る。それで今回、勇気を出して僕に連絡をくれたのだと言う。

彼女のハンドルネームにも使われている「ラーテル」とは、捕食こそしないものの百獣の王ライオンさえも追い払うことで知られ、「世界一怖い物知らずの動物」としてギネスブックにも認定されている。そんなラーテルの勇敢さにあやかって、彼女も週2回のデイケアに参加するなど、いま少しずつ社会への歩みを進めている。

ラーテルさん(あなぐまハチロー)
Twitter:@anaguma86
ブログ:http://rakugakihoihoi.blogspot.com

PROFILE

くしの・のぶまさ 「クシノテラス」キュレーター。2000年より知的障害者福祉施設職員として働きながら、「鞆の津ミュージアム」(広島) でキュレーターを担当。16年4月よりアウトサイダーアート専門ギャラリー「クシノテラス」オープンのため独立。社会の周縁で表現を行う人たちに焦点を当て、全国各地の取材を続けている。

http://kushiterra.com/

6月28日、大阪で櫛野展正によるイベントを開催!

6月28日、大阪で櫛野展正による2つのイベントが開催される。ひとつ目は、櫛野とアウトサイダー・アーティストの現場を訪問する「櫛野展正と行く! アウトサイドの現場訪問 vol.2」。今回は、独学で5層の天守閣を築城した磯野健一宅(東大阪)を訪問。外観だけでなく、書院造り風に改装された内装を見る数少ない機会だ。

また、同日の夜には「クシノテラス大阪トークライブVol.1[アウトサイドの隣人たち]」を、ロプトプラスワンWEST(大阪)にて開催。徘徊写真家、蒐集家の市田響と、本連載第1回でも紹介された妄想スクラップ職人の遠藤文裕をゲストに迎え、表現の根元に迫るトークイベントを開催する。