アーティスト・長場雄と訪ねる
ポーラ美術館の開館20周年記念展

現在、箱根のポーラ美術館では過去最大規模となる企画展「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に」が開催中だ。タイトルにある通り、従来のコレクションの代表作に新収蔵作品を加えたこの豪華な展覧会を、アーティストの長場雄と訪ねた。案内役は本展を担当したキュレーターのひとりであるポーラ美術館学芸員・内呂博之。

文=浦島茂世

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長場雄 ポーラ美術館は何度か訪れています。先日まで開催されていた展覧会「ロニ・ホーン:水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?」も伺いました。3月だったんですが、箱根はまだ寒かったのを覚えています。ポーラ美術館は窓からの景色や森の遊歩道など、季節によって全然雰囲気が違いますね。前回訪れてから1ヶ月くらいしか経ってないのに雰囲気が全然違う! 森の遊歩道に展示されているロニ・ホーンの作品も、先日とは全く見え方が違います。木漏れ日の下に作品があるのはいいですね。

森の遊歩道に設置されたロニ・ホーンの《鳥葬(箱根)》 撮影=中島良平

内呂博之 ポーラ美術館は、周辺の自然もあわせて楽しんでいただきたいと思っています。そして、森の遊歩道だけでなく、館内にも光がたっぷり差し込んでいます。「ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に」も、この“光”をテーマにした展覧会です。

長場 ロニ・ホーンのときも感じましたが、このごろのポーラ美術館は現代美術の作品も展示しているんですね。

内呂 2002年の開館当初は、ポーラ創業家2代目の鈴木常司の収集した印象派や20世紀の西洋絵画、古今東西の化粧道具などを中心に展示していましたが、現在は2032年までの10年間のビジョンを「心をゆさぶる美術館」として、現代アートや、現在のコレクションと現代アートを結ぶ作品の収集を積極的に行っています。今回ご案内する展覧会も、新収蔵品を多く展示しています。

長場 展覧会タイトルにもあるリヒター、楽しみにしてきました!

展覧会エントランス Photo (C)Ken KATO

モネとミッチェル、そしてマティス

内呂 展覧会は2部構成です。鈴木常司が収集したコレクションと新収蔵の作品をテーマや時代、作家ごとに組み合わせてご紹介します。こちらはモネの《セーヌ河の日没、冬》。ヴェトウィユという小さな村に暮らしていたモネは、その地で最愛の妻、カミーユを亡くしています。これはカミーユが亡くなった年の冬、フランスを寒波が襲い、セーヌ河が氷結したときに描いた作品です。

展示風景より、モネ《セーヌ河の日没、冬》(1880)とジョアン・ミッチェル《無題(ヴェトゥイユのセーヌ河の眺め)》(1970-1971) Photo (C)Ken KATO

長場 寒々しい空と川ですね、氷も張っている。

内呂 モネの内面も現れているのかもしれませんね。そして、モネの作品の隣に配置したのは、アメリカの抽象画家、ジョアン・ミッチェルの作品。彼女はモネがなくなる年に生まれました。モネを尊敬し、そして自分の師と仰ぎ、ついにはモネが暮らしたヴェトゥイユにアトリエを構えて、モネが見て、そして描いた風景を自分で再解釈し、作品にしています。

長場 ジョアン・ミッチェルは、去年、大阪の心斎橋にあるエスパス ルイ・ヴィトン大阪に展示していた作品を見にいきました。使われている色が印象的な画家なんでしょうね。そして、この作品も面白い。モネの作品とまったく異なるタイプの絵ですが、色の使い方や配置の仕方はとてもモネを感じます。

内呂 モネもミッチェルも、光を意識しているように感じますね。そして、こちらはマティスの作品。

長場 この作品、当時、評判良かったんですか? すごく激しい色使い。

アンリ・マティス《オリーブの木のある散歩道》(1905)

内呂 あまり評判がよかったとは言えません。マティスは1905年に、ヴラマンクやマルケらとともにサロン・ドートンヌという公募展で激しい色彩の作品を発表し、その激しさから「野獣」と呼ばれるようになった。それがきっかけでフォーヴィズムという言葉が生まれました。フォーヴィズムのフォーヴというのは野獣という意味なのです。この作品《オリーブの木のある散歩道》は、そのサロン・ドートンヌが開催された年に描かれた作品です。マティスはシニャックら新印象派の影響を受けていて、見えたものの色を自分のなかで分解し、画面に置いていこうとしていたんですね。それから約40年後に《リュート》を描きます。

展示風景より、アンリ・マティス《リュート》(1943) 撮影=中島良平

長場 いかにもマティスって感じの作品ですねえ。色が鮮やかで。この壁や床の朱色に近い赤色がすごい。人体がさらりと描かれている。ストロークが素晴らしいです。スッ、スッと伸びやかに描いている。僕はもともと、小さなメモ帳に絵を書き溜めて、現在はそれを拡大し、なぞる、つまりレイアウトをそのまま再現する描き方をしています。だから、こういうマティスの伸びやかなストロークは現在はあまり使わない。だから、自分の新しいステップにつながるんじゃないかなと思いながら見ています。マティスは色彩の豊かさもすごく素敵なんですが、僕は彼のフォルムの描き方に惹かれることが多いです。いい具合に力が抜けた感じがいい。

内呂 この作品が描かれたのは第二次世界大戦の真っ最中。戦争があると、日本人の作家は暗くなっていくことが多いのですが、フランスの画家はあまり関係なく、明るく伸びやかな画風になっていくところが面白いですね。

長場 あ、下書きの跡を発見しました。こういうところを見るのがテンション上がるんですよ。美術館で実際に作品を見るって、こういう印刷では見えてこない作家の息遣いを見つけられるからうれしいんです。ずっと見ていたくなる。

セザンヌの世界観

展示風景より、ポール・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890頃) 撮影=中島良平

長場 セザンヌの絵は不思議ですよね。パースも場所によって水平であったり俯瞰であったり異なっている。しっかり見るとおかしいところだらけなのに、世界観に吸い込まれてしまいます。おかしな世界観のほうが正しくて、むしろ自分たちがいる世界がおかしいのかな?って感じてしまうほど。

内呂 まさにセザンヌの魅力はそこですよね。自分のルール、自分の世界を構築して、見ている人たちを引き込んでしまう。

長場 テーブルは起こして斜めになっているように見えるけど……。

内呂 そのテーブルに置かれた瓶は普通に立っている。矛盾だらけなのに作品として成立している。

長場 質感も不思議です。テーブルクロスがとても硬そう。

ポール・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890頃)

内呂 わざと硬く見せることで、果物が転がらないように見せているのかもしれません。セザンヌは柔らかい布も描けるはずですが、このテーブルの上、とくに左側は柔らかい布があると不安定さが増幅してしまう。

長場 なるほど、果物の位置を硬そうな布を出すことで固定させるのか。セザンヌも下書きの跡を残していますね。ガラス瓶の口やコルクの線の上には絵具が乗っていない。瓶はここまでしっかり色を塗って描きこんでいるのに。あえてなのでしょうか?

内呂 大部分を描きこんでいて、瓶の口の部分だけ描き込まないなんてことができるんだ!って驚きますよね。私がこの作品を最初に見たのは二十数年前だったんですが、たしかにこの瓶の口の部分にしか目がいかなかった記憶があります。そして、さすがセザンヌだなーって妙に納得した(笑)。画面の下部にものが密集して窮屈なので、上の方を軽妙に描いて画面に秩序を生み出そうとする意図があったのかも。

長場 画面全体にハイライトがないのも興味深いです。ここまで果物が並んでいたら、どこかに視線を向けさせようとするものなのに、そのような優先順位の意識がなさそう。

展示風景より、ポール・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890頃) 撮影=中島良平

内呂 写実的に描こうとすると、一番出ているところは明るくするという決まりごとがあるんですが、そういう約束事も否定している。常識からことごとく外れている。

長場 そして、見ている人がこの世界観に納得しちゃうのがすごい。

日本の洋画も展示

内呂 ポーラ美術館では、大正期の洋画の収集も行っています。関根正二や村山槐多、岸田劉生など夭折の画家が多いですね。

長場 岸田劉生! 麗子像も並んでいますね。2016年に「すばらしき大原美術館コレクション」という展覧会が国立新美術館で行われたんですけど、その展覧会オリジナルグッズ用に麗子像を描いたことがあります。

内呂 描くとき、どこに気を使いましたか?

長場 やっぱり、顔つきと髪型ですよね。どちらも独特でした。

展示風景より、岸田劉生《麗子坐像》(1919) 撮影=中島良平

内呂 麗子さんは目がほそくてちょっと吊り目なんですが、劉生は年を経るにつれて、その目をどんどん強調するようになるんですね。大人になった麗子さんによると、モデルを務めていた頃は、ちょっとでも動くと劉生が怒り出すからビクビクしていたとか。当時、劉生はドイツのアルブレヒト・デューラーという北方ルネサンスの画家の影響を受けていて、その緻密な表現方法をもとに描いています。

長場 写真じゃないんですね。着物の質感、立体感がすごい。確かに、その後の麗子像はキャラクター化していっている雰囲気がする。デフォルメもあったのですね。なるほど。

岸田劉生《麗子像》(1922)

リヒターとモネの世界

展示風景より、ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》(1987)とクロード・モネ《睡蓮の池》(1899) 撮影=中島良平

内呂 新収蔵品をいろいろ見てもらいましたが、今回の展覧会のメインとなるのが、このリヒターとモネです。リヒターは2020年に購入し、この展覧会が初公開となります。

長場 オークションで購入されたとニュースで見ました。これがその作品なのですね。

内呂 この作品が美術館にやってきたとき、「あ、モネじゃん」ってスタッフの何人かが言ったんですよ。

長場 確かに、柳の枝のようにも見える部分もあるし、水面にみえる部分もある。抽象画なのにモネを思い浮かべてしまう。

展示風景より、ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》(1987)とクロード・モネ《睡蓮の池》(1899) 撮影=中島良平

内呂 私達はモネの作品はほぼ毎日見ているから、職業病のようになんでもモネの作品に見えてしまっているのかも……。と、思ったりもしたんですが、リヒターの専門家の方も「モネっぽいね」と言っていて、私達の美術館にこの作品が来る前にそのような文章を書いてくれていたんです。だから、このリヒターの作品は、この美術館に入るべくして入ったんだなと感じています。

長場 並べて見られるのがすごいですね。色の重なり方が美しい。画面は荒々しいですが、側面はとてもきれいなのもおもしろいです。

内呂 リヒターはもう一点初公開の作品があります。

展示風景より、ヴィルヘルム・ハマスホイ《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》(1899)とゲルハルト・リヒター《グレイ・ハウス》(1966) 撮影=中島良平

長場 リヒターとハマスホイだけの部屋。すごい贅沢な空間ですね。ハマスホイが建物の内側を描き、リヒターは建物の外観を描いている。このリヒターの絵、どうやってぼかしているんですか?

内呂 写真を元に、意図的にぼかしを加えて、あまり絵具を重ねずに描いています。決して早描きというわけではないんですよ。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》(1900)
ゲルハルト・リヒター《グレイ・ハウス》(1966)

長場 二つともどちらもすごく静かだ。ハマスホイは東京都美術館の展覧会で見て、すごく好きになった作家です。今日はリヒターも見られたし、ハマスホイの作品まで見られるなんて、今日はいい日です。

内呂 描く立場からこの展覧会を見ていかがですか?

長場 得るものが多いですよ。展覧会とはちょっと離れますが、館内にヘンリー・ムーアの彫刻作品もありますよね。自分はいま、ヘンリー・ムーアの立体表現の仕方に興味があって、調べていたので作品を見ることができてとてもよかった。あの伸びやかなフォルム、そして今日みたマティスの伸びやかな線、あれらを参考にして新しい表現をつくっていきたいなと感じました。印象派から現代美術まで、様々な作品をいっぺんに見ることができるこの展覧会はとてもよいと思いました。車だったら東京の自宅からそんなに時間がかからないから、また見て、さらに新しい発見をしたいですね。

ヘンリー・ムーアの《坐る女》のための習作(1980)を見つめる長場 撮影=中島良平