はじめての美術館はどこに行く? 「ミュージアム・マニア」青い日記帳のTakがご案内(六本木編)

新しい職場や学校に徐々に慣れてきた春。この時期には美術館・博物館に出かけてみてはいかがだろうか? 30年以上にわたり年間数百回、美術館・博物館に足を運び続けている「ミュージアム・マニア」であり、「青い日記帳」主宰の中村剛士(Tak)がはじめて美術館を訪れる人向けに、美術館の楽しみ方をエリアごとにご案内する。

文=中村剛士(Tak)

国立新美術館の外観 (C) 国立新美術館
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 前回の第1回目の「はじめての美術館」では、上野エリアにある常設展が充実しているミュージアムを中心にご案内しました。記事を読まれてお休みの日にちょっと足を運んでみようかなという気分になったとしたら嬉しい限りです。同じ作品であっても観る時間帯やそのときの体調や気分によって感じ方も変わるので、気が向いたときは気軽に行ってみてください。

 さて、今回は六本木エリアにある美術館を巡ってみましょう。国公立館の多かった上野エリアとは対照的に六本木には私立美術館がメインです。これは六本木に限ったことではなく、丸の内、渋谷など都内のほかのエリアでも同じことが言え、国公立の何倍もの私立美術館が数多く点在します。そして同時に常設展ではなくそれぞれの館の独自性を発揮した特別展が中心となります。

現存する日本最古の私立美術館

 六本木エリアには現存する日本最古の私立美術館があるのをご存知でしょうか。実業家の大倉喜八郎がいまを遡ること100年以上も前の1917(大正6)年に創設した大倉集古館がそれに当たります。日本・東洋美術の優品を所蔵し1年に5、6回の企画展や特別展を開催しています。

大倉集古館の外観 画像提供=大倉集古館

 大倉喜八郎が日本美術を蒐集するのに心血を注いだのには、当時の日本が置かれた状況が大きく影響しています。1853年に鎖国が解かれ西欧との交易が始まると日本国内にあった貴重な美術品が驚くような安い値で海外へ流れていってしまいました。富国強兵を目指す当時、美術品に目を向ける余裕はなかったのです。そうした状況を憂いたのが大倉喜八郎や根津嘉一郎(根津美術館創始者)たちでした。彼らは事業で得たお金で日本美術や仏教美術を積極的に購入したのです。

 現在、大倉集古館は「The Okura Tokyo」(旧ホテルオークラ)の敷地内にあります。白い壁に覆われた展示室(ホワイトキューブ)が一般的な美術館の展示室ですが、大倉集古館は建物の外観や内部もある意味で芸術品と言えます。展示室の柱の上部や階段の動物にも是非注目しながら建物ごと楽しみましょう。

大倉集古館の外観 画像提供=大倉集古館
大倉集古館の内部 画像提供=大倉集古館

美術館不毛地帯だった六本木エリア

 日本でもっとも歴史のある私立美術館があるいっぽうで、2000年以前、六本木は「美術館不毛地帯」でした。そもそも六本木自体、ひとむかし前までアートとはもっとも縁遠い、都内でも歌舞伎町と肩を並べる歓楽街のひとつだったのですからそれも無理はありません。バブル崩壊後に大規模な再開発事業が行われ、六本木ヒルズや東京ミッドタウンが誕生し、街の雰囲気も大きく変わりました。