テキストとイメージを用い、自伝的な題材や他者へのインタビューをもとに様々な作品を展開してきたソフィ・カル。失恋や身近な人の死といった喪失にまつわる感情を扱ったものが多く、そうした痛みを「ゲーム」のなかで作品にする。
本記事では、2013年に原美術館で行われた展覧会にあわせて行われたインタビューを掲載。
カルの作品はいかにして生まれるのか? 2019年に同じく原美術館で20年ぶりの「限局性激痛」のフルスケール展示が行われ、話題を集めた個展のインタビューとあわせて、アーティストの原点にふれてほしい。
目の見える人には残酷な質問ですが、 目の見えない人には残酷ではないのです。
現実と虚構を織り交ぜ、主に写真と言葉を用いた作品制作を行ってきたソフィ・カル。現在原美術館で、日本では10年ぶりとなる個展が開催中だ。展覧会にあわせて来日した作家に、今回の作品とそれぞれにおける「ゲームのルール」について話を聞いた。
盲目の人の街、イスタンブールにて
──私たちの最初の出会いは私がポンピドゥー・センターで「前衛芸術の日本 1910 -1970」展の準備を始めていたとき、あなたが日本に出発する直前ですが、知らない国に行くのが不安だからと連絡をもらいカフェで会ったのでしたね。その後、1994年にインタビューをさせていただき、その一部が95年10月号の『美術手帖』に掲載され、全文が『アートと女性と映像』(*1)に収められていますが、あれから20年ぶりのインタビューになります。
カル もう20年も経ったなんて、大変だわ!
──出会いから数えると30年ですが、まず原美術館での今回の展覧会「最後のとき/最初のとき」の出品作についてお聞きします。イスタンブールで制作されたのですよね。
カル ええ、イスタンブールが欧州文化首都に指定された2010年に招かれて3か月間滞在したときに、イスタンブールがかつて盲目の人の街と呼ばれていたことを知りました。生まれながらの盲人を対象にした《盲目の人々》を1986年につくりましたが、人生の途中で視力を失った人々にインタビューできなかったことにフラストレーションを感じていたので、イスタンブールでこのプロジェクトを終えたいと思いました。