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2021.8.6

新宿の繁華街で出会う「死」。髙木遊評「磯崎隼士『今生』」

Chim↑Pomの卯城竜太らが運営する新宿のアートスペース「WHITE HOUSE」で開催された磯崎隼士の個展「今生」。独自の死生観と世界の素朴さを追求し、身体的な感覚や皮膚感をシリコン製の人工皮膚や、絵画で表現する磯崎が発表したのは自身の血で描いた絵画作品だ。本展を東京・根津のキュラトリアルスペース「The 5th Floor」キュレーターの髙木遊がレビューする。

文=髙木遊

展示風景より、磯崎隼士《極めて退屈に塗られた》(2020−)
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芸術作品と人間、タイマンの準備を入念に

 本レビューでは、個々人の鑑賞体験の複数性を前提とする。そして、その鑑賞体験の共有や、他者のそれとの擦り合わせを目的にはしない。なぜなら、芸術作品は作家の導き出す個人解であるが、いっぽうで作品の鑑賞体験もまた鑑賞者の個人解であるからだ。そして、いち作品といち鑑賞者とのこの相互関係は、じつのところは、熾烈を極めるものではないだろうか。

 この相互関係というのは、つまるところ、芸術作品に現前する鑑賞者、はたまた鑑賞者に現前する芸術作品、両者による「タイマン」なのである。タイマンとは対峙する二人が素手で行う喧嘩のことである。諸説はあるが、一対一の意味を持つマンツーマン(man-to-man)が「マン対マン」と訳され、転じて「タイマン」になったそうだ。ここで強調しておきたいのは、芸術作品はどこまでも人(マン)に対してつくられ、人(マン)も芸術作品も人(マン)がつくったものだという大前提である。

 これを冒頭にて述べるのは、磯崎隼士の個展「今生」における鑑賞体験がいち存在対いち存在の営み、つまりタイマン(そこまでバイオレンスではないが、激しくそして密やかに対峙した営み)であると強く感じたからだ。とは言っても、芸術作品に対するすべての鑑賞体験がタイマンであるとは言い難い。ミュージアムやギャラリーでのそれには、様々な制約が付き纏い、かなりお行儀が良いものになってしまっている。そして「今生」における芸術作品と鑑賞者のタイマン実現には展覧会設計が極めて重要な要因だった。本展キュレーターである卯城竜太(Chim↑Pom)の言葉を借りるなら、

「WHITEHOUSEの鍵は、会期中、24時間あいていることとなる。「閉ざす」でもなく、「開く(ひらく)」でもない。ただ「あいている」という穴のような状態が、作品やスペースの意図を空にする。」(*1)

 つまり、本展は、設計上、昼夜を分かたず万人が無為自然にたゆたう場と作品にアクセスできるのだ。

 1970年代以降、アートインスティチュートが志向してきたような、権威が寛容となることで市民や都市に「開かれた」場(*2)とは異なる、場のあり方の設計が「今生」にはある。つまり、この設計は、いわゆるアートインスティチュートにおける【鑑賞≒展覧会】というシステムを瓦解させること(ある程度の更地に戻すこと)を意味する。

 この「今生」という場/WHITE HOUSE(*3)においては、開場時間に制限がないのだから、社会的な時間に囚われない。監視もないのだから、アーティーな礼儀作法、慣習が不要となり肉体と精神は自由となる。そしてまた芸術作品も様々な制度からの庇護/制約から解き放たれた状態となる(ひとつまみの倫理は欲しいところだが)。つまり、そこには、柵から一時的に逸脱──簡易的ではあるが──した芸術作品と鑑賞者がただ「在る」という状態、両者の対峙、タイマンの舞台が生成されるのである。

展示風景より、磯崎隼士《極めて退屈に塗られた》(2020−)

 このタイマンの舞台にて、磯崎自身も語るように自分の死ついての、そして日本独自な死生観、無常観を内包する彼の作品と対峙した際、死について多くを論じる日本の宗教学者、山折哲雄(1931〜)の話をふと思い出した。山折は齢八十を超え、散歩をしているとしばしば「お前は今、死ねるか」と天が問うてくるそうだ。普段は「今は未だだめだ」と返すのだが、ある日の山折は「ああ、今なら、いいぞ」と答えた。そうすると山折は自然と一体となっている感覚を抱き「人間というものは、自分を取り巻いている自然と融け合って一つになるような気分になったとき、静かに自分の死というものを受け入れることができるのではないか」と考えるようになったそうだ。この話は、キュレーターの卯城による展覧会ステイトメントに記述される磯崎の制作態度や課程の描写と見事に一致する(*4)。そう、磯崎の作品は、日本的な無常観もとい自然観をもちながら、いち人間存在が自己の死に向き合うことで、この世界に繋がるという構造を提示している。そして、このタイマンの場、「今生」では、来訪者によるこのプロセスの踏襲が画策されている。

きわめて個人的な描写と報告

2021年7月4日22時半頃、新大久保駅と新宿駅の間に位置するWHITEHOUSEに到着。「今生」を初めて訪れる。

このとき私は「24時間来訪可能である」こと「磯崎隼士の個展である」の2つの情報を知るのみであった。

入り口の扉は閉ざされている。自らの手で扉を開き、中に入る。

屋内に光りは灯されていない。開け放たれた扉から、街灯の青白い光りが差しこむ。内部空間は極めて暗い。

WHITEHOUSEのがらんどうの空間にて、一壁面全体が異質であること、そして独特の匂いが充溢していることに気づく(何かの存在の気配を本能的に察知するという言い方が正しい)。

同時に人の気配を感じ、それが作家の磯崎隼士であるとわかる(僕は面識があるのでわかったに過ぎない)。座り込んでいる。

目がその暗さに慣れるまで、その異質な大壁面と距離を取り凝視し、佇む。

そして自身も床に座り込む。眺める。

磯崎隼士と他の来訪者との会話が始まる。

それらの言葉はノイズでしかない。

その会話をひたすら無視して、ただその作品である何かを眺める。

磯崎が開けっ放しであった扉をおもむろに閉める。

外光は屋内上部の小窓からの僅かなもので、自己と周りの蠢きを認識できる程度の暗闇に包まれる。

また、その何かを眺めはじめる。

まるで、夜の森の奥、木立をみているような、海をみているような感覚が続く、そして、ある瞬間それが人が生み出した作品であることをはっきりと悟る。

わかってしまうのだ。それは人間がつくったものなのだと。芸術作品なのだと。今ここには、私という一個人とこの芸術作品しか存在しないことを。

2021年7月23日の14時頃「今生」を再訪。展覧会の最終日であった。

作品シリーズが《極めて退屈に塗られた》(2020−)(*5)であると知る。

来訪者も多い。写真に記録をおさめようと務める。

1時間ほど滞在し、「今生」を後にする。

同日22時30分3度目の訪問。

1時間、2時間その芸術作品に対峙する。

WHITEHOUSEにてそのまま眠りにつく。

目が覚めると、作家・磯崎隼士がいつのまにか「今生」に戻り、眠っていることを確認する。

その後、予定調和的会話を「今生」にいる人々と交わし、最後に磯崎に「またね」と言う。磯崎もまた「またね」と答えてくれる。

他者によるノイズ

誰かが話す
「本作には5リットルあまりの作家の血液が使われているんですよ」。

誰かが話す
「今日は暑いですね」。

誰かが話す
「注射器で血液を抜く際に、作者は泣くんですって」。

誰かが話す
「荒川修作という作家を知っていますか。彼は不死を目指したんですよ」。

誰かが話す
「血液はすぐ固まるから、使用するのにはそれなりの処置が必要なんです」。

誰かが話す
「この作品は無理をせず、1年をかけて、ゆっくりかけてつくられたんだって」。

誰かが話す
「扉を閉めるとだいぶハードトリップですよ」。

誰かが話す
「美術って本当にいいよね」。

誰かが話す
「本当にいいよね」。

展示風景より、磯崎隼士《極めて退屈に塗られた》(2020−)

「今生」に「またね」

 本展にて特筆すべきなのは、「今生」が「生」ではなく「死」に向き合う態度である。そう、死から目を逸らさない態度である。そもそも、生きているということは、少なくとも、死を遠ざける側面がある。人間の生活空間からは死は目の届かないところに置かれるか、隠されるのが常だ。そして死をうまく遠ざけながら、現代社会はどうより良く生きていくかを追い求めている。しかし、死を自らのものとしてとらえていく態度も決して忘れてはいけないものではないか。またしても山折は「共死」という興味深い言葉を提示している。

「共に生きる」という口当たりのよい言葉だけ掲げて、「共に死ぬ」ということはほとんど言わない。死んでいくときは「ひとり」、ということもあいまいになっている。そして結局、すべての人間が死んでいくときは「ひとり」だということを誰も言わない。すべての人間がひとり死ぬ運命の中に投げ出されている。だから「共に死ぬ」ということになります。「共に死ぬ」すなわち「共死」とはそういう意味なのです。共に生きる者たちには当然共に死ぬ者でもある。ずっと生きづつける者などはないのですから。当たり前のことです。(*6)

 「今生」には、この「共死」的事物のとらえ方を感じた。いち作家が、そもそも自分の「死」に向き合うこと、そして、その「死」についてその結実である芸術作品と一対一で向き合うことのできる場であったことは疑いようがない。「今生」は仏教用語で、「この世に生きていること」だそうだ。本展ではこの英訳を“So Long”つまり別れの挨拶で「またね」とする。あまりにも哀愁のある題目だ。そして磯崎の作品もまた「生」のエネルギーの溌剌、というよりはむしろ「死」の深遠さ、儚さを感じさせる。また、作者である磯崎自体の危うさ、それも当然頭をよぎりながら、作品の行く末を、その「死」を想像してしまう。この作品は、倫理的な問題や、保存修復の問題を突き放せるのだろうか、そしていつまで残り続けることができるのだろうか。そう、磯崎の作品に今世にてまた会えることを願う他ない。

展示風景より、磯崎隼士《極めて退屈に塗られた》(2020−)

*1──WHITEHOUSE公式ウェブサイトより卯城竜太 、磯崎隼士「今生」ステイトメント(2021年7月23日アクセス)
*2──「開かれた美術館 Musée Ouvert」はパリのポンピドゥー・センターが提唱した理念である。市民ないしは都市に開かれることを意味しているが、常に誰が市民であるかという問題は付き纏うが、多くの美術館の指標となっていることは疑いようがない。
*3──Chim↑Pom卯城竜太が、アーティスト・涌井智仁、ナオ ナカムラの中村奈央が明らかにWHITEHOUSEという場を新たな芸術創造のコミュニティを画策しているがゆえの、「今生」という特殊な展覧会設計があることは疑いようがない。
*4──卯城は以下の様に述べている。「血液を使ったその作品を、磯崎は、「どうしようもなく破滅的で、絵として成立しない本当にダメな絵」だと言う。が、「自分の死に対して作品を作っているような」没入感は代え難いらしく、血が「ただ塗られただけ」で立ち現れる美しさを説明するために、そして本展がこの山の延長にあることを伝えるために、磯崎は鷹取山を会議の場に選ぶのだ。そこで、カメラの長回しのように景色や暗闇を見続けていると、太陽の位置によって刻々と表情を変える、その世界の無為の変化と存在感こそが、彼の作品の有り様だと気づく。」 WHITEHOUSE公式ウェブサイトより、卯城竜太 、磯崎隼士「今生」ステイトメント(2021年7月23日アクセス)
*5──本シリーズの初出は「EXPOSITION ― 来るべきアート|art to come ― 銀座 蔦屋書店 東京藝術大学」である。(2021年7月27日アクセス)
*6──山折哲雄『わたしが死について語るなら 』(ポプラ新書、2013、p.69)