カタストロフを振り返る
「コロナ」(皆既日食時に見える希薄なガスの層、冠やガーランドに由来)という輝かしく美しい名を持ちながら、強烈な破壊力によって人々の命と生活を脅かすウイルスが出現し、共に生きるようになってから、すでに半年が経とうとしている。「新型コロナ」の名を聴かない日はなく、感染者数と死亡者数が報道される日常に、私たちは果たして慣れ親しんでいるのだろうか。知らぬ間に蝕まれてゆく精神と肉体は、もはや悲鳴を上げる状態にまで至り、かたや見えざる相手は「病」として肉化され可視化されている。
西洋の死生観を探っている私は、オンライン授業のために新たな画像資料をつくりつつ、改めて病と死から歴史を振り返る日々を送っている。『人間状態の悲惨(人間の悲惨な境遇について)』とは、ロタリオ・ディ・セニ(教皇インノケンティウス、在位1198年~1216年)という教皇権の確立に絶大な権力を発揮した人物の著作だ。彼は「暗黒時代」としばしば称される中世を肩に担い、悲劇的な第4回十字軍や悲壮な少年十字軍を導いた波乱万丈の時代を率いた傑人である。教皇権の絶頂期を築き上げたものの、自身の心身の腐敗は免れることなく、1216年7月16日、ペルージャで突然死した。だが、そもそも古代ギリシア・ローマとルネサンスの栄華に挟まれた中間の時代=「中世」ばかりが悲惨な時代だったわけではない。
紀元前1200年頃、地中海世界東部を未曽有のカタストロフが襲った。
ペロポネソス半島ではミケーネ人が興隆し、小アジアでは鉄器の発明で有名なヒッタイトが勢力を振るい、エジプトでは強靭なラムセス2世や若くして命を落としたツタンカーメンで有名な新王国の時代であったが、しかし突然、ヒッタイトが崩壊、エジプトは「海の民」として記される舟を操るに長けた諸民族の襲撃で弱体化、ミケーネ文明も崩壊し、東地中海の勢力図は大きく変わった。このカタストロフについては、経済システムの崩壊、気候変動や飢饉、地震など様々な説が提示されているが決定的な解答は出てない。恐竜の時代が6500万年前の小惑星の衝突によって終わったのはよく知られているが、歴史にはまるでブラックホールのような空隙に忽然と多くの命が吸い込まれてゆく時期がある。「前1200年のカタストロフ」では紺碧のエーゲ海にあまたの命が消えていったのである。
とくにギリシアではこの後、紀元前700年頃にホメロスやヘシオドスが登場するまでを「暗黒時代」と称する場合もある。線文字AとBと呼ばれるクレタ文明とミケーネ文明の文字は姿を消し、やがて、フェニキア文字からギリシアのアルファベットが作られ、歴史と文学が語られるようになり、私たちはそれを「神話」というかたちで受け継いでいる。しかし、暗黒時代という呼称は適切ではなく、とくにダメージを被ったギリシアでも鉄器の時代を迎え、前1100年頃からは幾何学様式の簡素だが力強い造形が生まれている。ホメロス、ヘシオドスの文学の誕生は、「ルネサンス」とも呼ばれているが、どうやら「ルネサンス」は苦難の暗黒時代を経るとやってくるとみなされている節がある。しかし、歴史とはそれほど簡単な展開を迎えるわけではない。
疫病によるカタストロフと言えば、パルテノン神殿を造営してアテナイ最盛期を築き上げた政治家ペリクレス(前495年?~492年)を襲った疫病は、民主政治を謳ったこの名演説家の命を492年に奪い、敵対するスパルタもろともギリシア古典期に終焉をもたらし、アレクサンドロス大王の登場を促した。要は、栄枯盛衰、衰退と興隆を繰り返すのが歴史の必然なのである。それをしかと見定めることこそ肝要なのであって、むやみに「ルネサンス」という特殊用語は使わないに越したことはない。
さらに栄枯盛衰を疫病の観点で追うならば、時代は下って、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)を最大の版図に拡大した皇帝ユスティニアヌス(在位527年~565年)の時代を襲ったペスト(ユスティニアヌスのぺスト)がある。皇帝自身はこの疫病を免れるが、多くの戦力を失ったビザンティン帝国は衰微してゆく。当時の名将軍ベリサリウスの書記官プロコピオス(527年~554年)は、『ペルシア戦役』で「ユスティニアヌスのぺスト」について詳細に記すだけでなく、『秘話』において皇帝の無能ぶりもしこたま揶揄している。筆の力は、時代を浮き彫りにし、さらに誇張粉飾もまじえて「歴史」を伝えてくれるのだ。