上田岳弘「双塔」 東京タワーとスカイツリーと神話 ミヤギフトシ
2015年末に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で発表した《花の名前》(「六本木クロッシング2016」にて展示予定)という映像作品用に、その年の秋、隅田川沿いの風景を撮影していた。すると、どうしてもスカイツリーが画面に入り込む。なぜか僕はずっと、スカイツリーを異物のように見ていた。しかし、それを東京の風景として認識してみようと考え直した。花の女神にまつわる欧州神話をモチーフにした物語に、スカイツリーがいかにもふさわしいような気がしたのだ。曇り空を突き刺すようにそびえ立つ塔。それは神話の想像力を凌駕していた。浮遊感がでてしまう神話の物語をつなぎとめる楔のような役割をスカイツリーが果たしてくれるかもしれない。これが「現実」なのだ、と。そんな風に思いながら、スカイツリーを画面の中心に据え、シーンを終わらせることにした。《花の名前》において、そのスカイツリーのショットを境にして、物語は現実へと移行する。
上田岳弘の短編「双塔」(『新潮』2016年1月号収録)は、その名の通り二つの塔にまつわる物語だ。歴史が始まる前、地球が生まれるずっと前、世界を管理する「中央」が滅びたあと、二つの隔離された村に建てられた塔。ひとつは男性が大人になるために登る通過儀礼の塔、もうひとつは、祭祀王が宗教儀式を行う塔。通過儀礼の塔から男の子がひとり、祭祀王を目撃する。祭祀王は、それに気づかない。彼は、遥か未来を見ている。その世界と同じように、二つの塔が建つ東京、丸の内で食事をする一組の男女を。
現代。スカイツリーで夜景を見たその男女が、丸の内で食事をする。男は女にプロポーズをするが、女から予想外の答えが帰ってくる。「リジェクテッド」という言葉が、男の頭に響く。そして、女の体がぽっかりと空洞化し、その開いた窓の向こうに、男は東京タワーを幻視する。
男が幻聴した「リジェクテッド」は、未来のRejected Peopleの口癖だ。数百年後、人類はひとつの巨大な肉の海となって知能を共有している。その肉の海から、「叡智を更新するメソッド」として、人型の人工生命体が生み出された。それが、Rejected People。Rejected Peopleは、人類の叡智を更新するような何かを思いついたら、ある種の生成装置All Thingsにそれを提案する。All Thingsは、その提案を形にするが、その際、その提案の新規性を即座に精査し、「Rejected」もしくは「Accepted」のどちらかの音声を発する。ほぼすべての場合、提案は「Rejected」の音とともに受け入れられる。
あるとき男女一組のRejected Peopleがその他のRejected Peopleを集めて塔を作り始め、それは時空を超えた高さにまでなり、祭祀王の時空間に存在した塔と並び立つ。それはしかし、祭祀王の塔でも通過儀礼の塔でもない。祭祀王の塔と通過儀礼の塔が作られるずっと前、「中央」に建てられた塔だった。祭祀王の生きた時空間では、地方を管理する「中央」は滅び、管理されていた地方も同じように滅びゆくなか、比較的滅びのスピードが遅かった祭祀王の地域ともうひとつの地域に塔が建てられた。しかし、Rejected Peopleの塔は、その二つの塔ができる遥か前に存在していた「中央」の塔と並ぶ。「中央」の人々とRejected Peopleが出会い、歓喜にわく。All Thingsは、とても久しぶりに「Accepted」と宣言する。結果、「中央」が滅びる運命にあったはずの世界の歴史が書き換わる。つまり、祭祀王の存在が、無になる。
スカイツリーの天望デッキ(350メートル)のさらに上にある天望回廊(450メートル)に登るために、追加でチケットを購入しエレベーターに乗り込むと、回廊へと一瞬で運ばれた。そこで気づいたのは、天望回廊(展望ではなく天望、である)が螺旋を描いていることだった。「の」の字を描くように上へと登り、そして、戻る。なんだろう、このいびつさは。けれど、それについて熟考できないほどに僕は焦っていた。高すぎて、怖い。手すりをしっかり握っても足がすくんで眩暈がする。
上田岳弘『異郷の友人』(新潮社、2016年)もまた、時空を超えた精神や記憶の連なり、繰り返しを扱う。物語の語り手である「我輩/僕」は、いつくもの転生を繰り返し(ユングであった時代もある)、現在は札幌のしがない営業マン山上甲哉の人生に落ち着いている。そして彼は、ある特定の人物の精神にアクセスすることができる。カリフォルニアに住むハッカーJと、淡路島の新興宗教の教祖S。Sは信者たちの精神にアクセスできるので、山上もSの信者の精神にアクセスできる。山上はJにメールで日本語メッセージを送り続けるが、それは日本語を読めないJによってスパム扱いされ続けている。しかしJの通信を監視しているJのボスであるEがそのメールを翻訳・解読し、山上を神様扱いし始める。EはJと日本人部下MをSのいる淡路島に送り、そして自らも山上に会うため札幌に向かう。Sが予言する「大再現」を目撃したい、と自殺願望を持っているふしがあるEは考えている。山上とJとMとEは、Sの信徒でありJの大学の同期でもあった早乙女を追い、彼ら異郷の「友人」たちは宮城県で落ち合う。そして彼らを、大震災が襲う。揺れが収まり、Eはそれこそが「大再現」だと信じ、津波を見るために海へと走る。山上は、それが「大再現」でないことを察知している。ひとり離れた淡路島にいるSも。「国生みのやり直し、大再現」は、そのようなものではない。薄闇に突如回転しながら突き上げてくる、巨大な矛。時間を巻き戻すように回転する矛。それこそ、山上の幻視した「大再現」のイメージだった。
そのイメージは、「中央」に突如突き上げてきた、Rejected Peopleの塔とも重なる。そして、スカイツリーの銀色にしなる矛。頂上の螺旋を、僕は思い出す。天を望む回廊、あのねじれは突き刺さったら簡単には引き抜けないだろう。あのとき感じた怖さは、高さだけによるものではない。眼下に広がる無限の建物に、無限のひとびとの意識が存在している。大きな透明の海のような、見えない蠢き。僕自身も、その海を構成する精神のひとつに過ぎないのだという自覚が、なにより僕を怖がらせた。そこに突き上がったスカイツリー、そして、天望回廊。意識の海の上空、かたつむりのような回廊の中で、まるでRejected Peopleのように立っているということ。不気味な気づきだった。
スカイツリーを降りて、次に東京タワーに向かった。低い。登ってみての感想は、そんな感じだった。安心感と、抑えきれない物足りなさ。雨は勢いを増して霧がたちこめ、見えるはずのスカイツリーは、白い世界のどこかに隠れてしまった。少し霧が晴れるまで待てば、白い薄闇にそそり立つ「大再現」の矛のようなスカイツリーを目にすることができるかもしれない、と思ったけど、諦めて地上に降りた。
『異郷の友人』の主人公たちは、互いにすれ違い、交流しながら、ほんの少し世界にズレを生み出す。しかし、彼ら以外のだれもそのズレに気づかない。世界が変わったことに、気づかない。「双塔」において、東京で「リジェクテッド」の声を幻聴した男も、いつのまにかに女とよりを戻して、幸せな家庭を築いて、そして死ぬ。祭祀王は存在しないことになったけれど、そんなこと誰も気づかない。時空を超えた壮大な事件が起きても、結局日常は何食わぬ顔で過ぎてゆく。数年前の大地震で、東京タワーの先端が少し折れて、気づかぬうちに直っていたことを思い出しながら、僕は雨に霞む東京タワーを後にした。
PROFILE
みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷であ る沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、 写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアート プロジェクト「American Boyfriend」を展開。「日産アートアワード2015」ではファ イナリストに選出。森美術館での「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの 声」に参加(2016年3月26日〜7月10日)。
http://fmiyagi.com