シリーズ:これからの美術館を考える(終)
先進美術館(リーディング・ミュージアム)構想が成功した、とする

昨年5月下旬に政府案として報道された「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」構想を発端に、いま、美術館のあり方をめぐる議論が活発化している。そこで美術手帖では、「これからの日本の美術館はどうあるべきか?」をテーマに、様々な視点から美術館の可能性を探る。最終回は、アーティストとして国内外の美術館で展覧会を行ってきた経験を持つ田中功起の言葉。

文=田中功起

イメージ画像 Photo by Michal Parzuchowski

あなたは夢を見ている、とする。

 そう遠くない未来のこと、2018年に話題になった「先進美術館(リーディング・ミュージアム)」構想が実現している。2020年の東京オリンピックの失敗と多額の損失のあと、日本政府は文化政策に今後の日本国のプレゼンスを見出し、クールジャパン政策を全面的に破棄し、文化庁は予想以上の潤沢な資金を得ていくつかの国公立美術館を「リーディング・ミュージアム」に指定する。そして研究員もしくは学芸員の数を増やし、コレクション管理の専門員が日本国内の国公立美術館のコレクションを統一的に扱い、その一部が売却され(当初それは美術関係者の批判を受けるが)、市場に流れ(海外への流出も含む)、相続税が是正され、美術品についての特別関税処置がとられ、アートフェア東京がアート・バーゼルに買収され、国内のトリエンナーレやビエンナーレがカッティング・エッジになり、日本語で書かれた論文がどんどん英語に訳され、世界中から日本にContemporary Artを見る専門家が集まり、シーンが活性化し、よって観光客も集まるとしよう。

 この状況では日本はContemporary Artの中心になっているわけだから、そこではかならずしも「日本人」のアーティストが重視されるわけではない。日本でのコンテンポラリー・アートの趨勢と自由さ、手厚いサポート、新しい市場によって、移り住んできた多様な地域からのアーティストが増えるはずだ(ベルリンやロサンゼルスにアーティストが多く移り住んだように)。必然的にさまざまな出自をもつアート関係者が入り乱れることになるから、共通言語は英語になる。美術大学の教育もいまのような保守的なものではなく、ラディカルな方法論を取り入れることだろう。移動を伴う実践者の経験を反映するために、教育制度はセメスター制になり(アーティストやキュレーターたちは普段の活動を行いつつ、1年間の一部の時間を教育に使うだけでいい)、教育者には、結果的に、様々な国のアーティストやキュレーターがなるだろう。それは必然的に批評的で理論的で政治的な実践を促すことになる。同時にそれは様々な地域で活動する批評家を呼び寄せ、新しい理論が生まれ、批評的応酬が活性化し、いくつかの(新しい)美術批評誌が登場し、キュレーターの実践に生かされ、それに刺激されたアートのコミュニティが生じるだろう。美術館の人事も、そうした状況に対応するように多様な文化的ルーツをもつキュレーターで構成されるようになる。「地域アート」もしくは「地域系アートプロジェクト」と呼ばれていたいくつかのビエンナーレは淘汰され、残ったビエンナーレ/トリエンナーレはキュレトリアルが重視されるだろうから(ドクメンタやマニフェスタのようなものになり)、ラディカルな政治性を持ち、地方の社会問題があぶり出され、歴史が参照され掘り起こされ、日本のローカルな問題と世界中の共有されるべき問題が接続されるだろう。それは多くのプロフェッショナルを呼びよせることになり、歴史家も研究者も多く集まることになるだろう。市場が開拓され、多くの海外のギャラリーも東京に移ってくる。ギャラリーのスペースは日本の小さな地方美術館程度の巨大さになり、教育普及担当者がいて、カタログが充実した研究書として大学の研究機関と連携して出版されているはずだ。国内外のギャラリーが入り乱れるなかで下火になった地域(ニューヨークやロンドン、香港、北京など)のアーティストも扱うようになり、それがさらに多くの移民の(海外の)アーティストを呼び寄せることになる。コレクターの趣味も、投資価値の手堅い絵画や彫刻(あるいは有名アーティストの作品を高額で購入すること)から非物質的なもの(パフォーマンスとか)も持つことのスリルに移行するだろう。それは結果的に実験的で多様なものをサポートすることにもなる。同時に、オルタナティブな活動も活発になるだろう。市場とキュレトリアルに支配された状況とは別の活動がアーティスト、キュレーター、批評家、歴史家の間に生じ、多くの集会が企画され、よりローカルなシーンを充実させ、自主運営のスペースが生まれ(東京オリンピックによって形骸化した都市の廃墟の多くが再利用される)、インディペンデントな批評雑誌やオンラインのプラットフォームが生まれていくだろう。

 そして重要なことだけれども、おそらくこの頃には日本でのアートをめぐる議論の中には国内と海外の区分がいまとは異なっているはずだ。言語の問題は残るだろう。でも「日本人」という国籍で内外を区別する考え方はなくなっている。日本という地域で活動するアーティストは多くの移民の(海外の)アーティストを含むため、その影響関係も多様になり、つくられているものが「日本固有」なのかどうかも意味をなさない。もちろん反動的に、幻想としての「日本の固有さ」を求める動きも残るだろう。市場にもキュレトリアルにもオルタナティブにも、それそれに複数の言語をベースにしたさまざまな活動が生じる。そこにあるのは「地域」のシーンであり、もはや「国籍」をもとにした「日本人のアーティストがー」とか「日本(人)の現代美術がー」とか「欧米ではー」とかそういう雑な区分は過去のものになっているだろう。

(もちろんそんな未来はこない、たぶん。)

 「先進美術館(リーディング・ミュージアム)」構想を否定するのではなく、肯定した場合、そこから導き出される少しマシな結果はどういうものだろうか。上記の(悪?)夢は、実際に世界のどこかで、いま起きている状況を重ね合わせて描いている。最悪の状況とよりよい状況が混ぜ合わされている。

 そもそも文化庁が描く未来は、上記に書いたバージョンよりも閉じている。文化庁の「資料7 アート市場の活性化に向けて」(2018年4月17日付)を読むと、あくまでも日本人のアーティストもしくは日本の近現代美術のプレゼンスを高めること、市場をアメリカと中国、イギリスのレベルに近づけることが目標とされている。日本の「GDP規模、富裕層人数の比率から推測すると、「日本のアート市場」は、成長の余地があると考えられる」(*)。その戦略は、経済的な伸びしろによって、相手に追いつくことが目指されている。でも、ひとつ疑問なのは、例えば国内外の市場の差があるとして、どうしてそれを「日本」でも実現しなければならないのだろうか。アジア圏のアート市場の中心は香港にもうすでにあるわけだし、日本の富裕層は香港やバーゼルに行って作品を買えばいいと思うけど。日本人のアーティストのプレゼンスが向上するとかしないとか、日本の中にアートの市場が開拓されるとかしないとか、日本の近現代美術に注目が集まるとか集まらないとか、そんなことよりも、どんな未来を望むのかということをもう少し真剣に考えるべきだと思うけれども。

ぼくは白日夢を見ている。

 そう遠くない未来のこと、2018年に話題になった「先進美術館(リーディング・ミュージアム)」構想はいつの間にか忘れられている。東京オリンピックの失敗と多額の損失のあと、文化予算は大幅に削減され、文化庁の京都移転後は、政府による文化政策は、古美術を中心とした修復保存と伝統芸能へと消極的に修正される。美術館のほとんどは新しい企画をするのが難しいほどの予算規模になり、入場者数を気にする企画にシフトし、政治的にきわどい企画は検閲を内面化した学芸員によって自主規制され、必然的に現代美術ははじかれ、あるいは無難なアーティストたちだけが起用されるようになる。観客の知性を低く見積もる企画は次第に飽きられ、人びとは足を運ばなくなる。ギャラリーは、国内に市場がないためか、海外のアート・フェアを中心に活動を行うことになり、実店舗での「展覧会」がおろそかになり、誰も見に行かなくなる。日本各地で行われていたアート・フェスティバルは飽和状態になり、海外のプロフェッショナル受けを狙った表面的なContemporary Artの展覧会(工夫がない)と、地域に配慮した批評性のない展覧会(当たり障りがない)へと堕落し、形骸化したそれらは企画屋の食い物になり、人びとの興味をそそらなくなる。美術大学はそんななかで方向性を失い、技巧的で内容のない手仕事を教えるか、行き当たりばったりの教育を行い、結果、内向的アーティストを多く生み出し、衰退する。メディアは、芸能人によるアートか(人気)、ほどよく刺激的なフレーズを作り出せるアーティスト(人気)、あるいは国家のプロパガンダにのれるアーティスト(忖度?)に寄り添い、人びとが見たいもの(低刺激)と人びとが投影する天才像(低刺激)を掲載しつづけ、存在理由を失う。しかし、そこには美術館という建物があり、アート・フェスティバルの予算があり、大学というシステムがあり、メディアの場があるから、上記の状態を保存して、ただ回り続ける。

(いや、ごめんなさい。これは白日夢です。現実とは一切関係ありません。)

 でも、というよりも、だからこそ、現状に疑問をもつアーティスト、批評家、研究者、歴史家が別の方法を模索するようになる。アートと社会の関係を考え、極端に政治的な活動や、自主的な活動が生まれ、美術史の再検討が起こり、研究者たちによるシンポジウムが開催され、自前のコレクションを再解釈した意欲的な展覧会が美術館で企画され、ギャラリーはオルタナティブな活動へと近づいていき、そうしたことに刺激を受けたアーティストが生まれるようになる。それに刺激を受けた批評家が生まれ......。

(あれ? すみません。これは白日夢だから、予測ではないはず。いや、そもそもぼくの予測は外れる。)

 2008年頃だったか、中国のアート・バブルのころ、リーマンショックの前、ぼくはアート・フェアを中心とした市場がそんなに長続きするとは思えなかった。そんなことを知り合いのギャラリストに話したら、「これからはますますアート・フェアの時代になるよ、田中くん」と目をきらきらさせて言われた。実際それは当たっていたと思う。リーマンショックによって当初揺れたように見えたアート市場はむしろ二極化が進んで、大きなギャラリーはますます大きくなり、中堅が店じまいをすることになったわけだから。その頃に会ったロサンゼルスのコレクターは、「ぼくらにとってはそもそも経済危機なんて関係ないんだよね」と言った。この10年ぐらいの間、アート市場は活性化し、だからこそ文化庁はその状況に追いつくために「先進美術館(リーディング・ミュージアム)」構想を考えたわけだ。現状把握はそんなに間違っていなかったと思う。リサーチ能力のある人びとがまとめたわけだから。ただし、そこから導き出されるヴィジョンが的はずれなだけで。いや、そもそも国の援助でどうにかなる程度の話ではそもそもないのかもしれない。

 予測は悪い方にずれて、はずれる。先の2つの夢にはまだ「希望」が混在している。でも現実は、そんなものを微塵も含まないかもしれない。覚悟のないひとはあっという間に手を引く。そうした人びとが去ったあとに、何が残されるだろうか。

*——文化庁「資料7 アート市場の活性化に向けて」(2018年4月17日付)より
**もちろん、Yomiuri Onlineでの最初のニュース(2018年5月19日付)は文化庁が検討段階であった資料についての勇み足報道だったわけだし、リーディングミュージアム構想は現実味がなかったのかもしれない。しかし、国内外の現代美術市場をめぐるデータも含めて、それは確かに提案されたわけで、この方向性が必要だと考える人びとがいたわけだ。つまり、この問題はいつか回帰するだろう、おそらく最悪のバージョンでもって。