「制度をめぐる偏り」を、過去の問題提起から考える
1960年代後半から70年代前半にかけて、「個人的なことは政治的なこと」をスローガンに掲げたウーマン・リブ(第二波フェミニズム運動)が社会現象となった。そもそもフェミニズム運動は、19世紀に始まった第一波、90年代の第三波、そして2010年代の「#MeToo」に代表される第四波と、現在に至るまで継続して起きている。
76年に刊行された本特集は、第二波の流れを受けたもので、『美術手帖』が初めて「女性」をテーマに企画した特集でもある。誌面には、歴代の「女性芸術家」の図版や名鑑が展開されるが、なんといっても特筆すべきは、美術史家、リンダ・ノックリンによる論考「なぜ女性の大芸術家は現われないのか?」だ。これは、美術史学がフェミニズムの影響を受けたもののなかでは最初期の記念碑的なテキストである。
この論考のなかでノックリンは、従来の美術史で「偉大な」女性の芸術家が現れていないことへの疑問を足がかりに、必ずしも「女性」という枠には収まらないかたちで、これまで当たり前とされてきた様々な前提に疑問を投げ掛けている。そこで批判されるのは、例えば、アートを個人的な感情・経験の発露の場として見る旧い芸術観であったり、「白人(の)問題」と呼ばれるべき事柄を「黒人(の)問題」と呼ぶことによって責任の所在を誤って認識させる論理の立て方、あるいはより直接的に、女性が美術教育の現場から物理的に閉め出されていた制度の問題点などである。その内容はもちろんのこと、芸術観、論理、制度の批判に至るまで、豊かなグラデーションで展開する論述もまたこのテキストの大きな魅力のひとつであるだろう。
そして、ここで現在の日本に目を向けてみるならば、2019年の「あいちトリエンナーレ」における参加作家の男女比に対する問題提起、近年ようやく増加し始めた女性の美術館館長をめぐる状況、それとともに光が当たり始めた美大教員における男女比の偏りなど、主に芸術祭・美術館・美術大学などの「制度」をめぐる現場に対して、現状の改善を求める声が挙がり始めている。
そのいっぽうで、ノックリンも指摘していたように、「女性問題」は必ずしも女性「のみ」の問題ではない。例えば現在、国内の美術館には外国人の館長がひとりもいないが、これもまた制度をめぐる偏りのひとつであるという意味で、同列の問題系に並べられるものだろう。
このように、本論は広い射程を持ちながら、未だに批評的に有効であるという点で、現在でもその重要性は失われていない。刊行から35年もの年月が経っているが、いまこそ読み直されるべき特集であるだろう。
(『美術手帖』2021年8月号より)