桑久保徹連載4:A Calendar for Painters Without Time Sense

アーティスト・桑久保徹による連載の第4回。2018年1月、小山登美夫ギャラリー(東京)での個展で発表された「カレンダーシリーズ」は、桑久保が尊敬する画家の生涯をひとつのキャンバスに込めて描いたシリーズ。美術史の中にいる多くの作家から、桑久保の選んだピカソ、フェルメール、アンソール、セザンヌ、スーラ、ゴッホの6人を表現した。この連載では、その制作にいたった経緯や葛藤、各作家との対話で見えてきた感情、制作中のエピソードが織り込まれた個展のためのステートメントを、全8回にわたってお届けする。今回は、コートラックに山高帽と日傘、暖炉、燭台と鏡、チェス、ライフル、ホルスト……マグリットの完成までのエピソード。

文=桑久保徹

桑久保のアトリエにて。資料として使用したマグリットの画集 撮影=桑久保徹 © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
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Permanence 5/
 癖が強い。完全なる確信犯。シュールレアリストの中でも、最も悪い笑顔でこちらを見ている。私は君がたまらなく好きだ。
 韓国の美術館でたまたま見た大規模な回顧展によって、私は君の虜になったんだよ。
 空を、ブルーグレーで塗る。微妙なグレーの幅を用いて、心地良さと心地悪さの間、綺麗と汚いの中間を狙う。
それまでは、わかりやすいズラしを描いた人。中学生でもわかる、不思議な世界を描く人。みたいに君のことを思っていた。誤解だったね。どちらかというとエッシャー的な、騙し絵みたいな部類かと思っていたんだ。ブルトンの周りの、パリのシュールレアリスト達、エルンストやダリなんかのほうがいい感じなのかなと思っていたよ。
 本物を見たら、全然違っていて驚いたよ。この絵の具の付きかた、オイルの調合の具合によるテカり。塗りの配慮。素晴らしい。要するに、この物質感が、印刷を通してはわからなかったんだよ。イラストみたいに見えてね。
 海は、マゼンダ色に。使用すると、染まってしまう伝説の悪色、クリムソン・レーキをあえて使用。透明色を厚く塗る。あざとく不気味な印象に。
 君は知っているかわからないけど、いまはネット通販というのがあってね。パソコンというやつで写真見て、選んで注文すると、数日後に注文したやつが家に届くんだ。どうお金が支払われるか? 知らないよそんなの。それでこの前、白の運動靴を頼んだんだけど、届いてみたら合皮なんだよ。本革だと思って注文したのにさ。分からないんだよ。画像見ただけじゃ。情報ちゃんと見なかった私も悪いんだが。返品とか面倒くさいよね。君の絵はね、本革だったよ。
 光の帝国。昼と夜が同時にある絵。この絵が浮き上がらないように配慮する。沖合、水平線の向こうに暗い雲のようなものを描く。ルソーの描いたジャングルの陸地が遠くにあるような感じに描く。暗い茶色を使用。
 背景の空には、空が描かれている部分のある絵を採用する。ピレネー城をど真ん中に配置。さらに空の鳥、大家族、アルゴンヌの戦い、呪い、美しい世界、嵐の装い、シェヘラザード、観光案内人、ゴルコンダを描く。
 ゴルコンダ。ベルギーの一般的な集合住宅の上、山高帽を被った男たちがある規則性を持って空に浮かんでいる。模写する際、人間の間隔を定規で計ると、ミリ単位で決められている。マグリットがこれの下書きにも定規を使っていることがわかる。そして、にやにやしているのが、わかる。同様に、レンガの模様にも、この、定規を使った作業が見られる。問題は、それが不気味な間隔なところだ。菅木志雄さんの杭の打ち方と同じやつ。一事が万事、マグリットの絵には、この配慮がなされている。ひねくれてんな、まあそれが好きなんだけどね。
 アンソール でも思ったが、ベルギーという地域性と関係があるみたいね、このあまのじゃく体質。パリがいつも中心であって、それがメインストリームで、そこから外れていく感覚。それが、アンソール よりも君の方が露骨で確信犯的だね。いつか見てろよパリのろくでなしども。そんなんで面白いとか言ってんじゃねーよダリ。ダサいんだよ。このギャグセンわかる? キザなパリジャン気取りのお前らにはわかんないだろーね。布巻いた2人がキスするくらいなら君達にもわかるでしょ。サービスだよ。サービス。こんなの全然、ジャブみたいなもんだ。
 君はヨーロッパ人にしては珍しく、ギャグセンスが高いね。ユーモアではない、もっと底意地の悪いもの。本当の意味のシュールさ。何の意味も持ち合わせていないもの。その上徹底したフェイクとまやかし。私自身、ずっと騙されていたのだから。
 アトリエの土台となる砂浜は、白を基調に、彩度の高い水色と、モーブに白を混ぜたピンクと紫で描く。
 でも、キャンバスの前には、いつも鑑賞者の存在を意識した君がいるね。どう見られるのかを完全に把握している。把握した上で無視するのか。
 画家のアトリエシリーズの本には、君の整然とした住まいの様子。
 白濁した大地に描く。コートラックに山高帽と日傘。あの有名な暖炉、燭台と鏡、チェス、ライフル。ホルスト。狂気じみた白いドア、ベッド、ダイニングテーブルと椅子、小ぶりな黒いイーゼルとチェスト、ソファセット、パーテーション、アップライトピアノ、グランドピアノ、バスタブ、洗面台、石鹸。彫像付きランプ。黒電話。イメージの裏切り。狂気について瞑想する人物。傑作もしくは水平線の神秘。刺し貫かれた時間。マック・セネットの想い出。赤いモデル。無謀な企て。受胎告知。透視する。リスニングールーム。恋人たち。複製禁止。陵辱。記念日。白紙委任状。
 右下にブルーでMagritteのサインを描いて終える。透けた顔で笑ってる。
 マッド・サイエンティストだね君は。

桑久保のアトリエの様子 撮影=桑久保徹 © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

Transition 6/
 トークショーが始まる。モニターには、簡潔にまとめられたこれまでの作品の流れ。中村さんの画家としての生き様。4つのテーマ、中庸、色即是空、漢字、多面的なネジ、製図、機能美、バイクのスポークとエンジンについて、小学生時代の自主制作漫画、現在のアトリエの様子、夥しく並んだクラシックバイク、そこへ暴力的に挟み込まれる中村さんのツーリング記念写真。青空、山頂、バイク、中村さん。爆笑しない奴の方がどうかしている。
 12月、マグリットを放置して久しぶりの都会。麻布のカイカイキキギャラリーへ。中村一美さんの展覧会。トークショーを聞きに行く。大きな作品が並ぶ。フレッシュな色使いと、大胆で的確なタッチ。重層的な絵画言語。絵が広い。両利きか。描いてきた経験値に圧倒される。
 トーク終了後、ここのところ気になっている質問を思い切ってぶつける。あの……中村さんは、描いている時、2時間が5分くらいになる時はありますか?……きょとんとしている、が、何を言ってるんだこいつ。の顔。わかりやすい。正直な人だ。素敵です。もう聞かなくてもわかりました。集中するとそういうこととかあるでしょ。
 集中すれば、そういうことあるんじゃない。
 ほら、だいたいあってる。なんでもないですごめんなさいすみませんでした。聞こえる。次の人が。質問しているのが。グリットの。作品について。暖房と防寒着のせいで頭がぼんやりする。恥ずかしさで目が霞む。
 しまったなあ……質問の仕方、間違えたよなあ……失礼な感じになってしまって、申し訳なかったよなあ……ニュアンス間違えたんだよなあ……時間が消える感じ、ないかあ……ないかあ……ないよなあ……意味わかんないもんなあ……。私はもう、誰にも相談しないことに決める。時間の偏在、で検索をかけても、何も引っかからない。

 マグリット完成。

 2月下旬。混んでいるな、平日なのに。チケット売り場、黒い電光掲示板にオレンジ色の 村上隆 五百羅漢図 展 の光。LEDのドットの光。エレベーター。いつも少しだけ未来へ進む感覚。53階、森美術館。
 圧倒的。人智を超えた作品群。良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかではない。凄い。凄過ぎる。呆然とする。自分が何を見ているのかよくわからない。情報量が多過ぎる。気迫が、美術を好きな思いが、伝わってくる。私の先生。挑発的な発言。野望と行動。シニカルな態度、怒り、日本に対する愛憎。言葉はハナからどうでも良い。作品を見れば、村上さんの全てがわかる。ただ出来る限りを投入して、最高の物を作りたいだけのこと。打ちのめされる。
 展示室の最後、過去のインタビュー映像が流れている。どこかのスタジオにいる。にこやかな質問者と、村上さんが並んで座っている。ウキウキウォッチングとプロフェッショナルの中間のようなシチュエーションのインタビューVTR。村上さんの年齢と録画された画質の粗さで、今のものではないことは明らかだ。グレーの古びたベースボールキャップに無造作に伸びた長い髪。顎髭。細いフレームの独特な丸眼鏡の奥に、鋭い眼光がカメラではないどこかの一点を見つめている。緊張する。モニター越しに体が強張る。私の先生。
 特徴のある良く通る低い声。肺から出た空気が鼻と口の間で一旦引っ掛かって、量を一定に制御されてから外に出る。その異様に安定した音声が静かに伝播する。天井のスピーカーから、スーパーフラットについてわかりやすく説明する声が届く。騙そうとする意図など本人には毛頭ないのに、騙されまいとする防衛本能を聴く人に働かせてしまう不思議な語り口。本当に奈良さんの反対。少しだけ損をしている、と思う。
 ボリュームが少し大きく感じる。オタク、アニメ、日本、アート、ポップ。少しも古びていない様に思う。20年近く経っても、私を取り巻く社会状況はさほど変わってはいないように思う。

 アーティストが幸せになりたいなんて間違えていると思うんですよ。血反吐を吐いて這いずり回っても、アーティストは見る人を幸せにしなければいけない。それがこの仕事だと思うんですよ。

 3月。展覧会を見に行き、村上さんに怒られて、目が覚めた。私は、私自身が楽しく、幸せに生きることをどこかで捨てられないでいた。だけどもう大丈夫。先生、どうもありがとうございました。村上さんの金色の彫刻が浮かんで消えた。
 フェルメール。黄金色の衣服とコバルトのターバン。私の応援するカリーの所属するGSWのチームカラーと同じ色だ。このまま行けば、シーズン勝利数はジョーダンのそれを抜いて新記録だ。いいぞウォリアーズ! 私は、ゴールデン・ステート・ウォリアーズの優勝を心から願っている。