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地域レビュー(四国):塚本麻莉評「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)/「現代地方譚13 風立つところ」(すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸・せいえいビル4階)【2/2ページ】

その光は誰に届くのか

「現代地方譚13 風立つところ」の小松千倫作品(すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸・せいえいビル4階)

 猪熊は「絵画は独占するものではない」という考えに基づき、駅を利用する大衆に見られることを前提に《自由》の制作を進めた(*5)。

 いっぽうで、高知県須崎市のアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)プログラム「現代地方譚13 風立つところ」で目にした、美術家・小松千倫の作品群は、猪熊とは異なる態度で、公共の場における作品の在り方を問い直していた。

 高知市内から高速道路を使って40分程度の距離にある高知県須崎市は、太平洋に面した小さな港町だ。そこで2014年から始まった現代地方譚は、高知県内外のアーティストが、須崎市でのレジデンス経験を起点に制作を行うAIRを主軸とするアート事業である。

 小松の作品は、成果発表展の主会場にあたる、すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸と、そこから徒歩10分程度の場所にあるせいえいビルに設置されていた。なお、まちかどギャラリーは、大正時代の商家建築「三浦商店」を前身とする、日本家屋のつくりを活かした複合交流施設だ。

小松千倫《うみのあかり/Sea Light》(2026) 海上標識灯の漂流物、懐中電灯のLED、ケーブルボックス、Arduino Nano 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 ギャラリーの主屋を進むと、畳の上に置かれた小さなオブジェクトが目に入った。小松による《うみのあかり/Sea Light》は、破損した海上標識灯や懐中電灯といったマテリアルから構成された小品である。内部に仕込まれた懐中電灯は、須崎の海岸線から見える灯台といった「光るもの」の点滅パターンをなぞり、絶えず微かな光を放つ。

 この作品の前に置かれた座布団に座ると、サウンドインスタレーションの《Half Address(susaki)》の音声が自動再生された。本作からは、灯台にまつわる物語を土佐弁で語る音声が流れる。語りに耳を傾けると、目の前でちらちらと光る小さな「灯台」が、畳上で海の借景を生み出しながら、脳裏に断片的な詩的イメージを呼び起こした。

またしても、見逃す

 ギャラリーを後にしてもうひとつの展示会場、せいえいビルを目指して歩く。道中で通り過ぎた昭和の風情を湛える商店街では、シャッターを下ろした店も多い。

 小松の作品はビルの4階にあった。コンクリート壁に囲まれた仮設的な空間で存在感を放っていたのは、窓に向けて置かれた無数の懐中電灯からなる構造物だ。

小松千倫《まちのあかり/City Lights》(2026) 流木、麻紐、懐中電灯、ACアダプター、DC-DC 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 本作《まちのあかり/City Lights》は、「須崎市、高知市、南国市で集めた非常用の懐中電灯で時報を打つための灯台」だという。ところが、作品が時報を打つタイミングは17時から23時までの毎正時から5分間に限られていた。筆者が訪れたのは昼間だったため、作品は沈黙している。

小松千倫《貝殻式探波者(私たちは波の集合である)/ The Wave Explorer Made of Shells (We Are the Gathering of Waves)》(2026) Raspberry Pi、ReSpeaker、サーボモーター、木材、流木、貝殻、漂流物 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 点灯を見るのを諦めて窓の外に目をやると、背後でカタカタと忙しい音が聞こえた。音の出どころ──もうひとつの作品の《貝殻式探波者》は、木材やモーターから構成される縦長の構造体である。その頂点に取り付けられた貝殻は、外部の「音の波」を感知すると、発生源の方向を指し示す。具体的には、電車や車の通過音など、ビル周辺で発生した音が作品に届くと、その方向へと貝殻が向きを変える。

 ところが、筆者が試しに靴音を出してみても、あまり反応しない。解説によれば、必要なのは「持続した音の波」らしい。かつて海底で波に揺られた貝殻が、地上では空間を震わせる音の波に反応して、それが発された方向を知らせてくる。人間とは異なる感知システムで、《貝殻式探波者》は環境に応答し続けているのだ。

 須崎における小松の作品群には、それを見る人間の存在に関係なく、「発する」という挙動が繰り返し現れた。音、声、光。それらは誰かに届けられることを前提としながら、必ずしも受け取られる保証はない。そこには、環境=自然との関係のなかで、人間中心主義を相対化する意識が通底していた。

 ビルを降りて、作品が置かれていた一角を見上げた。夜の帳が下りるころ、4階の窓に光が灯るのだろう。傍らでは貝殻が音を立てて動いているかもしれない。

夜間に光を放つ《まちのあかり/City Lights》 写真提供:すさきまちかどギャラリー/旧三浦邸

 せいえいビルは須崎駅の近辺にあるが、なにぶん過疎の進んだ小さな街だ。夜の人通りは多いとは言えない。だが、だからこそ、《まちのあかり》が発する光は鮮明だろう。鑑賞者が不在のなかでも点灯するという、自然現象の在り方にも似た態度は、光を目撃する人間の想像力をかえって押し広げる。

 結局、筆者は最後まで時報の光を見ることはできなかった。だが、誰に見られていなくても光を放つという、その在り様だけは確かに見ることができた。

*5──猪熊弦一郎「近代美について」『大分合同新聞』1953年、大分合同新聞社、2頁。

編集部

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