地域レビュー(東京)の2回目を書くことになった。「何を見て、何を書こう」と考えているうちに、去年までの2年間を思い出した。私はそのあいだ北陸に住んでいて、東京のアートシーンを少し遠くから眺めていた。東京のアートシーンはその都市風景と同じようにめまぐるしく変わっていく。外にいるとその速さに圧倒され、どんどん距離ができていくような気がした。
展示の数はあまりにも多く、若い作家もベテランも次々と新しい作品を発表している。けれど、東京に行ける時間は限られている。ふと通りかかったギャラリーに寄る、そんな偶然の楽しみもなかなかできなかった。
もしいまも東京の外に住んでいたら、どんなレビューを読みたいだろう。多分、まだあまり知られていないけれど気になる若手作家の展示だと思う。そんなかつての自分に向けて、東京で行われた2人の若手作家の個展を紹介したい。
コミットメント──蓄積と消耗/消費の往還のなかの
深田拓哉個展「走る人」(WHITEHOUSE)

深田拓哉の作品は「蓄積」と「消耗/消費」の往還そのものである──深田の個展「走る人」を見てそう強く思った。展示のある一角に、深田の日々のルーティンが事細かに描写されている。そこに描かれているのは日々の営為の蓄積と、それに付随する消耗/消費である。この文章がとりわけ印象的だったので全文を引用して紹介したい。
最近は毎日8時に起きて、8時40分に車に乗り込み、22.3km離れた職場まで移動し、9時10分ごろに駐車場に着き、タバコを2本吸いながら9時30分に職場に着く。定時の18時15分に職場を出て、コインパーキング(7:00-19:00、最大料金500円)でお金を払ってから18時30分に車に乗り込み、また22.3kmの道のりを経て19時20分ごろに家に着く。2号半の米を炊いて夕食を摂る。食後に1本タバコを吸い、10km離れたアトリエに向かう。15分の運転ののち、21時前にアトリエで制作を始める。2時過ぎに制作を引き上げ、帰りのコンビニで450円のタバコと355mlと500mlのビールを買い晩酌を嗜み、夜3時半に就寝する。日々の生活の中で様々な数値があって、私はそれをずっと消費し続けている。ガソリンもタバコもビールも消費すれば灰になり、尿となる。残ることはない。しかし、距離や時間などはそれと違って不変なものだ。消費するという表現はおかしいかもしれないが、手段や経験によって明らかに体感が変わる。数をこなせば変わっていくものだ。(深田拓哉《雨風に晒された看板のように。(数値について)》より引用。原文ママ)
この文章の目の前には、鉛筆が取り付けられたモーターと紙の束が置かれている。スイッチを押すとけたたましい音を鳴らしながらモーターが作動し、鉛筆が高速で動きはじめ、紙を激しく擦りながら黒く塗りつぶしていく。筆圧に耐えきれず、紙は破れ、鉛筆は摩耗していく。
その隣には、鉛筆で道路をなぞりながら歩く深田をとらえた映像作品がある。鉛筆の筆記距離は深田の通勤距離(22.3キロ)の往復(約50キロ)に相当することに着想を得て、自宅から職場までを夜通しかけて鉛筆とともに歩いたのだという。アスファルトに描かれた鉛筆の線は薄くて見えず、ただただ鉛筆が短くなっていく。かたや濃く表れ、かたや薄く表れる。それは、線を重ねるか、線を延ばすかの違いでしかないのに、濃淡に差が生まれる。

ここで描かれているのは、数値の蓄積、労働の蓄積、移動の蓄積であり、それと引き換えに生じる消耗/消費である。そしてそれが見える状態なのか、見えない状態なのか。つまり、「蓄積」と「消耗/消費」は表裏一体で、何かが蓄積されれば何かが消耗/消費されるし、何かが消耗/消費されれば何かが蓄積される。これは人生のメタファーのようにも思える。深田は、その循環のなかで生を、そして生活を見つめようとしているのではないか。
加えて、深田の展示で印象的だったのは「移動」という行為にフォーカスが当てられていたことだ。会場内で販売されていた『STICK OUT DUG OUT』という冊子に寄せられた本展キュレーターの前田宗志による文章にはこうある。
都内から富山にある深田拓哉のアトリエに向かう道中で、私は今回の移動手段をさっそく後悔していた。(前田宗志「はじめに」、『STICK OUT DUG OUT』2025)
いわく、新幹線という手段を選択したことで、風景が「均質な線に変」わり、「風景と記憶への関与は奪われていく」、と。いっぽう、車での移動は、「風景を捉えるためのぎりぎりの条件」と述べる。
私事になるが、かつて北陸に住んでいたときに、実家のある東京との往復をもっぱら新幹線に頼っていた。2時間半揺られたら、あっという間に目的地に到着する。線路は山中を通るので、トンネルが多く、車窓からの風景もそこまで見ることができない。つまり、前田が言うように「着いた途端には異世界に投げ込まれた感覚に陥る」。
深田は先述の映像作品で徒歩によって通勤距離を再現することで、この「風景と身体の分断」を取り戻そうとするのである。その行為自体にこそ、彼の言う「関与=コミットメント」の思想が表れている。この思想は、彼自身の文章にも通底している。日々の営みのなかで蓄積され、同時に見過ごされていくもの──それらをなんとか感知しようとする執拗なまなざしである。
それは個展で発表された新作《走る人》の彫刻にも表れている。モチーフは、西武鉄道沿線に住む人なら誰もが知る、かつてBIG BOX高田馬場(*1)の壁面に描かれていた「走る人」(*2)である。2007年の改修で姿を消したが、ある日ふと深田の記憶に甦ったという。
そこに当然のようにある風景は、意識されないまま、集合的な記憶として蓄積される。深田はこれまで、都市の片隅にある朽ちた看板や錆びた鉄骨などを拾い上げ、彫刻化することで風景を再認識させてきた。だが今回の作品では、もはや現実には存在しない「記憶の像」を彫刻にするという新たなフェーズに踏み出している。

さて、先ほど私は新幹線を多用していた話をしたが、引っ越しのときだけ、北陸から東京までを6時間かけて車で移動した。車窓から途切れ途切れに変わる風景を眺めながら、初めて自分がこの土地に確かに「いた」ことを実感した。そのとき感じたのは、風景の連続性のなかでしか得られない身体の記憶であり、同時に、土地と土地のあいだに横たわる大いなる「分断」でもあった。彼にとっての制作とは、この分断を埋める行為である。そして、生活と制作、身体と風景のあいだに横たわる分断=距離を自らの手で測り直すことなのだろう。
コミットメントでしか得られない本質的な経験を、彼は愚直に追い求めている。深田の作品で見るべきは、作品そのもののほかに、その生活と制作に対する態度も含まれるのではないだろうか。
*1──BIGBOX高田馬場の設計は黒川紀章(1934〜2007)によるもので、本展の会場となったWHITEHOUSEの設計は磯崎新(1931〜2022)によるものである。竣工した時期はまったく異なる(WHITEHOUSE:1957年、BIGBOX高田馬場:1974年)が、ともに丹下健三研究室で「東京計画1960」に携わり、その後も東京の都市風景をかたちづくった両者が本展の重要人物として登場するのは偶然とはいえ示唆的である。
*2──展覧会のステートメントによると、走る人のグラフィックはデザイナーの杉浦康平(1932〜)によるものだという。
寄せては返す波──分断と連続のあわい
北川光恵個展「部屋に入った積荷までのあいだ(Until the package arrives home)」(theca[コ本や honkbooks内])

北川光恵作品における「分断」とは、たんなる地理的な距離や言語の違いではなく、認識に生じる齟齬や断絶のことを指す。北川は幼少期に複数の都市での海外生活を経験した。その体験をもとに制作された《Words I Know》シリーズでは、かつて過ごした街の写真と、現在(2024〜25)北川が目にした風景をモーフィングによって滑らかに変化させる。その近くで流れる音声には、作家自身の声による「ハハ」と「ムスメ」の回想が響く。この2人は同じ場所に暮らしながらも、言葉の感覚を共有できない。「ムスメ」が引っ越しや海外生活について語る声のなかで、次のような印象的な言葉がある。
海を渡らずに、飛行機でまたいでここに来ました。いつも、最初に目に飛んでくるのは地面で、縁に沿って灰色に広がっているものを見て、額に飛行機の振動が重くのしかかってきました。土地は遠くに広がっていき、そのかたちに沿って、光が点滅していました。最初に見えたのは、いつもそうした頭上から見た土地の図(え)でした。機内では、まだ英語で案内が流れていて、口を閉じていました。土地に、言葉は追いつきやしませんでした。土地がそこに見えても、言葉は横断しきれないまま、口を閉ざしているのです。意味、というのがあることを知るまで、口元からは音だけがながれ続けていました。
身体は長大な距離を移動しているにもかかわらず、変わらずそこにある。しかし降り立った土地は、前の土地とはまったく異なる言語圏である。この、身体の連続性と世界の断絶のあいだに生まれるもどかしさが、北川の作品の核をなしている。
モーフィングによる映像の滑らかさは、むしろその断絶を際立たせるように思う。画面上では2つの風景が連続して見えるが、そこにあるのは決してひとつながりの時間と空間ではないのだ。また、ナレーションのなかの「ハハ」は、ムスメに英語のイディオムの意味を問われても答えられない。母と娘というもっとも近しい関係でさえ、経験の共有は不可能であることを示唆する。
ナレーションに耳を澄ませると、波の音が微かに聞こえてくる。波は土地と土地を分ける境界であると同時に、それらを結ぶものでもある。この二重性は、北川の「分断」をめぐる思考を象徴しているように思う。

もうひとつのシリーズ《False Dates》は、北川が部屋の中で自らがいた場所をたどりながら撮影した写真作品である。「過ぎ去った時間に追いつきたかった」という彼女の言葉どおり、写真に写された風景は、記録であると同時に、もはや記憶のなかの幻影でもある。現実だったはずの一瞬が、いま見ると虚構のように見える。
それは、写真という媒体が、記憶と現実のあいだの分断を明らかにしてしまうからだ。かつて見た景色が写真では本当に見た景色に思えない。いま見ている景色が、かつて見たものと似ているようで、どこか違う。そうした“ズレ”を見つめることが、北川の制作の出発点になっている。

北川の作品における「分断」は、越えられない壁としてではなく、私たちが世界を経験するときの輪郭として立ち上がる。言葉にできない空白を、モーフィングや写真、声のレイヤーを通じて描き出すこと。その営みそのものが、断絶を抱えながらも世界とつながろうとする「波」と言えるのではないだろうか。



























