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不可能性の前に美的に立ち尽くす、ではなく。中村史子評「ケルベロス・セオリー」

Moche Le Cendrillon、山もといとみ、YOUYOUの3人による、アーティストのための「セーファースペース」をテーマとした展覧会「ケルベロス・セオリー」。本展について中村史子がレビューする。

文=中村史子

「ケルベロス・セオリー」展示風景

 展覧会場で作品を前に、思考を深めたり、感性を研ぎ澄ますには、その空間が前もって安全(safe)な場所であることが重要である。しかしながら、展覧会や制作現場にて不本意なかたちで危険な思いをする人が少なくない。その点を踏まえ、本展は、展覧会場を安全(safe)よりさらに望ましい状態であるsaferな場、すなわち「セーファー・スペース」(*1)にしようと試みている。具体的には、来場者は会場に入る前に宣誓書に記入し、会場内で偏見や思い込みに基づいて人を傷つける行為をしないことを誓う。

「ケルベロス・セオリー」の宣誓書

 このシステムに、男女問わず鑑賞者の大半は少し緊張するのではないか。ほかならぬ自分自身が誰かの「安心安全」を侵す危険を秘めていると、突きつけられるためだ。

 それでもなお、本展が「セーファー・スペース」であることを強く打ち出したのは、本展出展者3名にとって、それが展示にあたって必要不可欠な条件だからだ。不特定多数が訪れる場を設け、そのなかで私的で辛い体験や自身のアイデンティティと深く関わる作品を公開することが、どれほどのリスクに繋がるか、本展参加者3名は経験的によく知っているはずだ。

 実際、YOUYOUの作品は、幼少期に家族の知人に傷つけられた経験から出発している。そして、その経験をもとに、大人によって児童が容易く性的に傷つけられる危うさを作品化しているが、その声はいまもなお、脅え震えている。

展示風景より、YOUYOU 《愛に包まれた子供たち》(2021)
編集部注──YOUYOUの作品 《愛に包まれた子供たち》の画像掲載にあたって、作家本人による注釈の掲載の要望があったため、以下に記載します。「本屋で幼児を主人公としたアダルト漫画があることに驚いた。実は私と知り合いの中には、子供の頃にセクハラを受けた経験のある人が何人もいた。そこで子供への性的教育のあり方をもう一度考え直す必要があるとずっと思っている。《愛に包まれた子供たち》はこのような考えから制作した。童話のような色や描き方の可愛い姿で子供の世界の素晴らしさを表している一方、子供たちを傷つけるような世界の暗面と危険を他人に見せたパンツで表現することにした。結局、子供たちを傷つけているのは性ではなく、人間なのだ」。

 また、Moche Le Cendrillonの場合、ドラァグクイーンとしての作家本人のアイデンティティと、作品とが深く結びついているため、当事者としての作家の存在と作品の評価が容易く混同される危険性がある。しかし、冷静に作品を眺めると、自らの当事者性と、作品として表れるものを作家は分別し、痛々しさと馬鹿らしさ、自虐とプライドを自己言及的に織り込もうとしていることが伝わる。

展示風景より、Moche Le Cendrillon《白鳥の湖》(2021)

 また、「セーファー・スペース」とは用意された確かな場所でなく、絶え間ない交渉のプロセスであることを、山もといとみの作品は示す。実際、「セーファー・スペース」を含む場所の論理は、占有と排除の規則に支えられている。例えば、駐車場を模した山本のラグが示唆するように、安心して車を駐車場に停めるには、車両以外のものを除く必要がある。空間を占めること、そこをより快適で安全な場所にすることは、その空間を誰がどんな理論で占めるかという力の問題と不可分なのである。

展示風景より、山もといとみ《スペースを考えるためのラグ》(2021)

 さて、本展を特徴づけているのは、これら展示作品や「セーファー・スペース」というモットーだけではない。本展に合わせて発行された同名のZINEをはじめ、ZINEの読み上げ音声ツール、さらに関連音楽を紹介するプレイリストも準備されていた(*2)。また、山本の作品は、鑑賞対象であると同時に、鑑賞者が座って落ち着いてZINEを読むためのツールとしても機能する。このように、本展には様々な創意工夫が凝らされ、出展作家3名の問題意識が、より深く、さらに、離れた場所の人々にも伝えられるよう設計されていた。つまり、展覧会という場の安全を確保し、そのうえで各作家の抱える問題意識を広く共有させる道筋が張り巡られさているのだ。

「ケルベロス・セオリー」のZINE

 すなわち、児童に対する性的なハラスメントや、アイデンティティの揺れ、あるいは「安全」な公共空間のあり方といった作品の主題と、実際の展覧会作りの方策が、注意深く線引きされつつ、支え合うように設計されていると言える。社会的に良いことと、作品として良いことは必ずしも同じでない。けれども、作品を作品として眺められる理想的な環境づくりのためには、こうした方策が必要なのだ。

 つまり、彼女たち3名は「良き理念の貫徹によって生み出される矛盾や暴力、あるいは不可能性を表出し、その前に立ち尽くす」ことを良しとしない。正直な話、両義性や不可能性の美的な演出は、それほど難しくない。しかし3名は、それに甘んじず、具体的に一つひとつ、必要と思われることをやれる範囲でやっている。自分自身の経験から出発させながら、どこかにいる興味関心をともにする誰かに向けて、具体的にボールを投げようとしている。この行為は、もっと評価されて良いはずだ。

*1──本展のZINEで参照されている堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』(2021年、タバブックス)によると、セーファー・スペースは「差別や抑圧、あるいはハラスメントや暴力といった問題を、可能な限り最小化するためのアイディアの一つで、『より安全な空間』を作る試み」(pp.167)である。また、セーファー(safer)という比較形容詞が用いられているのは、あらゆる人にとって絶対的に安全な場所など存在しえないが、「それでも“より安全な”空間を共同して作り続けていくという」(pp.170)意図があるためだという。
*2─とりわけ、クィア/フェミニズムがテーマにある台湾、香港、中国大陸出身のアーティストのプレイリストは、ほとんど知ることのない情報ばかりで、非常に面白かった。台湾映画『誰先愛上他的』(2018年)の主題歌である李英宏(D J Didilong)のムード歌謡風ポップスから始まり、クラブミュージック等、最近の楽曲が続き、1940年代の上海を代表する歌手、女優の白光の時代がかった甘い歌声で終わる。

編集部

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