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ローカルなものと普遍的なものの接続。清水穣評 ラファエル・ローゼンダール「Calm」展、玉山拓郎個展「Anything will slip off / If cut diagonally」

Takuro Someya Contemporary Artでラファエル・ローゼンダール「Calm」展、ANOMALYで玉山拓郎個展「Anything will slip off / If cut diagonally」がそれぞれ開催された。NFTを用いた作品の第一人者としても知られるローゼンダールと、美術史を創作に直結させる玉山。ふたりの作品に見る個別性と普遍性の新たな接続や交差を清水穣が論じる。

文=清水穣

Takuro Someya Contemporary Artでのラファエル・ローゼンダール「Calm」展示風景より Photo by Shu Nakagawa Courtesy of Takuro Someya Contemporary Art

「社会的関与」の次へ

デジタルと現実世界の接続

 TERRADA ART COMPLEX1に以前から入っていたギャラリーによる共同オープニング(7月17日)は、久々に見応えのあるものであった。前回のドクメンタ14をおそらくその頂点とする「社会的関与」の芸術の、その次のフェーズを感じさせる作家たちが集結していたからである。社会に関わらないアートは存在しない(関わらないこと自体がすでに社会的である)が、ここ10年来のワンパターン(地域の移民やマイノリティの問題とその歴史背景などを主題にした長回しのヴィデオ作品)が、気持ち良く消え去り、それぞれの作家において個別性(non-fungible)と普遍性(fungible)の新たな接続や交差が発見できた。例えばそれは、チームラボ、池田亮司、カールステン・ニコライ……がもはや古臭く見える段階に達したデジタル・アートであり(ラファエル・ローゼンダール)、リチャード・ハミルトン、森村泰昌、毛利悠子……とは水準を違えた美術史(マルセル・デュシャン)の利用法である(玉山拓郎)。
 すでに2018年に十和田市現代美術館で国内初の個展が開かれていたというのに、私はラファエル・ローゼンダールを知らなかった。若くしてインターネット上のデジタル・アーティストとして注目され、近年では作品をNFT(Non-Fungible-Token)として展開し、そのジャンルの第一人者とも目されている作家であるが、もともと、例えばヴィデオ・アートをその本性に関係なくエディション作品にして販売するような商慣例に対してすら懐疑的な私にとって、NFTのアートなど輪をかけて怪しい存在であった。「同じひとつのもの」を複数存在させる「デジタル」とは、「アイデンティティ(ひとつのものがそれ自体であること)」に対する本質的な攻撃にほかならない。それならNFTはデジタル・アートの本性に無理矢理「アイデンティティ」を被せようとする、資本の反動でなくてなんであろうか。

ラファエル・ローゼンダール Extra Nervous 20 08 30 2020 プレキシガラス、木製フレーム 29.5×42.3×2.8cm
Photo by Shu Nakagawa

 しかし逆に考えれば、この世に存在するものは原理的に──いま、ここに存在するということにおいて──代替不能(Non-Fungible)であるのだから、デジタルの世界に代替不能性を持ち込むとは、デジタル・ネットワークの世界に「この世」を挿入することである。そこから、原理的に「場所」を持たないデジタルアートに対して、旧世代のように大小のスペクタクル(モニターやスクリーンやインスタレーション)に訴えるのではなく、まったくありふれた別のローカリティ(場所性)を与える制作というものが考えられる。ローゼンダールの実物作品は、ウェブサイト上で取引されるNFT作品(現実世界をデジタル世界へ挿入する)と同じ問題意識から発生し、ただし方向を逆にして生み出されるのである(デジタル世界を現実世界へ挿入する)。

ラファエル・ローゼンダール Mechanical Painting 19 12 01(Inside Outside) 2019 鉄に釉薬 80×120×4cm
Photo by Gert-Jan van Rooij

 現代の発達したデジタル制御の(鋳型、型抜き、研磨といった伝統技術を含む)工場製品と同じように、ローゼンダールの作品は、特定のプログラムの実践結果として、作家の手を通さずに、つくられる。例えば、ネット上のウェブページのデザインをモザイク状のパターンへと変換するプログラムをつくり、次にそのパターンをプログラムとして伝統的なジャカード織の作品をつくる、など(*1)。今展では、平面上の色面分割を、ひとつは鏡面処理の透明アクリル(《Extra Nervous》)で、もうひとつは琺瑯で(《Mechanical Painting》)作品化している。前者では、切って組み合わされた抽象形や具象形、透明色レイヤーの重合、そして鑑賞者の映り込みといった視覚経験が、鏡とアクリル板の2層であるはずという物理的認識と矛盾する。後者では、平板な色面パターンと琺瑯特有の歪みが結びつけられて、作品にユーモラスな単一性を与える。ポイントは、どちらのケースにおいても、それが写真(画像情報)としてはまったく再現されないことである。つまりローゼンダールの作品において、物と情報は分離されない。物は情報の別の姿であり、同じ情報であっても、無限の姿に開かれている。デジタル・アートの作品であるにもかかわらず、ではなく、そうであるからこそ、ギャラリーを訪れ具体的な物=情報として作品に見入る(作家と作品の情報を得てから物を読むのではなく)経験を堪能させてくれる個展であった。

美術史に直結した玉山拓郎の手法

 玉山拓郎は本誌上ですでによく知られた作家であるが、実作品を見るのは初めてだった。作品は、絵画、彫刻、ヴィデオなどジャンルを問わず、基本的にはレディメイドを洗練させたインスタレーションで、家具や内装の世界へ連続していくかと思えば、フェリックス・ゴンザレス=トレス(《Perfect Lovers》)あるいはチャールズ・レイ(《Rotating Circle》)への参照があり、別室の参考作品ではデュシャン(《Tu m'》《Peigne》)への関連もみられて、まずは鬼頭健吾やライアン・ガンダー……(この手のリストは長い)を連想したが、結局のところ、もっとも興味を覚えたのは、作家が美術史を創作に直結させるそのスタイルである。

ANOMALYでの玉山拓郎個展「Anything will slip off / If cut diagonally」の展示風景より 撮影=大町晃平

 陶芸の世界には伝統的に「写し」というジャンルがあり、それは伝世の古陶磁の視覚的特徴を、コピーするのではなく「写す」ことによって、いわばそのシミュラークルをつくることである。古陶磁のモノマネ芸というか、引用、参照、オマージュである。他方で、21世紀になって古陶磁の窯址の発掘研究が進展し、伝世品と古文献によって形成されてきた従来の古陶磁のイメージが修正されるようになってくると、それに応じるかのように、「写し」とは異なる、古陶磁の「原理主義」派が現れてきた。それは特定の古陶磁(例えば古唐津)の、胎土と釉薬の原料、窯構造、焼成などを詳しく調べ、新たにそれを再現するスタイルで、おそらく陶芸でのみ可能なことである。「写し」が400年後の古陶磁の見かけを写すのとは対照的に、「原理主義」は400年前の陶芸家になって新しい古陶磁を焼く。
 玉山の美術史の参照は、100年後から前衛作家を回顧するアカデミズムとは無縁である。玉山は、大胆不適にも、いわば100年前のデュシャンになって、彼が2021年の世界で使うであろうものを使い、するであろうことをする。玉山のこの「原理主義」が、蓄積された知識と歴史的文脈から美術史を解放し、いま使うべき思考の道具として蘇らせるのだ。

ANOMALYでの玉山拓郎個展「Anything will slip off / If cut diagonally」の展示風景より 撮影=大町晃平

 字数の都合で十分にふれられないが、児玉画廊の2人展、伊阪柊・久保ガエタン「不時着アブダクション」も面白かった。久保は社会史のなかに嘘のように巧みに個人史を織り込む作風で知られるが、本展では天王洲・羽田の郷土史(牛頭天王に由来する語源とクジラの声)を扱い、そして伊阪は羽田の戦後史(米軍に独占された横田空域のせいで、羽田空港の飛行機発着空域は危険なほど歪んでいる)をリサーチした。しかしそこから地域住民に取材したドキュメンタリーなどをつくるのではなく、ローカルな事実をダイレクトに地学的自然(地震、高層放電の妖精たち──スプライトとエルヴズ)と交叉させる、大胆で新しい「社会的関与」の芸術をつくり上げている。
 ローカルなもの(一回性、地域性、場所性)と、普遍的なもの(デジタルネットワーク、美術史、地学的自然)のあいだの新たな接続という傾向は、おそらく日本に限られる現象ではない。来年のドクメンタ15が楽しみである。

*1──ミカ・タジマにも同様の作品があるが、現実の空間を満たす音響のオシログラフをジャカード織に変換した彼女の作品が、現実と現実のあいだのプログラム変換であるのに対して、ローゼンダールの作品は、あくまでもデジタル世界を実体化する変換なのである。

『美術手帖』2021年10月号「REVIEWS」より)

編集部

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