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2020.12.30

心霊があらわれる条件。中島水緒評 「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」

TALION GALLERYで開催された温田山、NAZE、大岩雄典による「一番良い考えが浮かぶとき」展。その関連動画としてYouTubeにて公開された本作は、会期中にあらわれた霊に、イラストレーターの山本悠と、大岩が迫るというもの。いくつもの伏線を抱えた本作の謎解きに、美術批評家の中島水緒が挑戦する。

文=中島水緒

「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より
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レイに呼ばれたユウ

 10月某日、TALION GALLERYの公式YouTubeアカウントが「緊急心霊特番」を公開した。同ギャラリーでのグループ展「一番良い考えが浮かぶとき」の会期中のことだ。動画の出演者はイラストレーターの山本悠とグループ展の参加作家である大岩雄典。山本によるオンライン上のトークシリーズ「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!」の第3回目に大岩がゲスト出演するという体裁だが、動画がどういった経緯で、また誰の企画でつくられたのか、公式による説明は特にない。

 以下、動画の内容を簡単にたどっておこう。場所はTALIONの一角。大岩と山本がラフに喋りながらグループ展の紹介を行っている。背後に飾ってあるのは山下拓也と温田庭子によるユニット、温田山が手掛けた「8年後の展示を予告する」ポスターであり、画面のはしにはグラフィティ作家のNAZEによるウォールペインティングが見切れて映っている。YouTuberよろしく軽妙なかけあいを展開する大岩と山本だが、山本が「メールで送ってきたやつやらないの?」と誘いをかけたところで話題は一挙に「緊急特番」のメインディッシュである心霊話になだれ込む。2人によると、会期中、温田山の山下とNAZEがパフォーマンスを行った際、その様子をおさめた記録映像に「微妙なもの」が映り込んでいたという。

──ここで、「微妙なもの」が映り込んだ問題シーンのスロウ再生のインサート。揺らぐカメラはギャラリーの出入口の向こうに長い髪で顔を隠した白いワンピース姿の女性の人影を確かにとらえていた。

 「微妙なもの」が映り込んでいたにもかかわらず、2人の心霊話はその後も勢いが止まらない。大岩が「夢の中でソイツに会うと死んでしまう(という設定の)霊」の話を迫真性たっぷりに披露すれば、山本は「死んでしまったお父さんがもし霊になって出てきたら」という仮想を小芝居チックに全身で表現する。そして、話の流れからTALIONの位置する豊島区雑司が谷が「四谷怪談」の舞台であることに気づいた2人は、小型ハンディカメラで互いを撮影しながら「四谷怪談」ゆかりの地をめぐる散策を決行する。

「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より

お岩 is オ(オ)イワ?

 さて、件の映像に映り込んだ「人影」は『リング』の貞子を彷彿とさせる扮装であり、いかにもステロタイプな幽霊の表象をその身に引き受けているかに見える。つまり、この幽霊は自らがフィクショナルな存在であることを露呈しているのだ。では、動画も本展示に乗じて(あるいは本展示の宣伝のために)制作されたフィクション=ネタ企画、もしくはスピンオフにすぎないのだろうか?

 動画の最後で山本は、本展示のタイトルにかけながら「いい考えが浮かんだ。TALIONのカメラに映っていたのってお岩さんなんじゃないの?」とオチをつけるが、強烈な呪いの念をまきちらす女幽霊の系譜から見るならば、貞子とお岩に親近性を見出だすことは不可能ではないだろう。さらに、山本はギャラリーのオーナーからかかってきた電話を受けてこう言う。「いま大岩さんも一緒にいます」。「大岩さん」の名の響きが「お岩さん」に通ずるのは言うまでもない。江戸時代に歌舞伎の演目として誕生した古典的怪談から、「呪いのビデオ」で90年代を風靡したJホラーを経て、現代美術家によるYoutube上の心霊コンテンツへ。かくして「緊急心霊特番」は、様々なフィクションの文脈にスプリットしながら日本の女幽霊の系譜をお岩から貞子まで貫通し、動画の出演者である大岩=オ(オ)イワさんに「オチ」を帰することで虚構と現実を錯綜させるのだ。ねじれた怪異の円環(リング)がここに完成する。

 だが、こうした通り一遍の解釈だけでは、おそろしくハイパーコンテクストにつくり込まれたこの動画の構造をとらえたとは言えないだろう。注意をはらうべきは、「幽霊が映り込んでいるか」でも「動画がネタかベタか」でも「どれだけのコンテクストが埋め込まれているか」でもない。私たちはひとまず動画の冒頭にあらかじめ仕込まれたメッセージに注意をはらわなければならない。温田山のポスターに書かれた「予予」の文字に何かを感じとりながら、心霊があらわれる条件にこそ読みの照準を合わせなければならない。

「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より

テロップのテロル

 動画前半。温田山の可愛い女の子のイラストが描かれた卵の作品を見ながら、大岩と山本は卵を乗せた発泡スチロールの台座に注目する。「発泡スチロールは運ぶ(ときに使う)やつでしょ」と、発泡スチロールの梱包材としての機能に言及する山本。これは決して無意味なやりとりではない。心霊と絡めてこの言葉の意味するところを考えるならば、「(怪異を)運んでくるもの」に注意を向けよ、「梱包材(パッケージ)が内包するものとその外延にあるもの」を見極めよとのメッセージをここから読むことができる。

 ひとつの考えが浮かぶ。この動画において、霊を運んでくる(呼んでくる)のは言葉そのものなのではないか、と。

 まず、2人が何かを口にするたびに、ほとんど狂乱的と言えるまでの過剰さで画面に被さってくる大量のテロップ。「これ写ってます?」「いますぐ来てくれ」「こんな風に出るわけないだろ」「見てもいいんじゃないかな?」……。テロップとして切り取られた言葉は発話者の身体から乖離して意味を分岐させ、悠ばかりかほかならぬYouに向けて、あたかも異界からの呼び声のごとく画面に充溢する。「視える/視えない」のあわいを揺らぐ存在こそが幽霊であると定義できるならば、大岩と山本の発話に「見える/見えない」に関係するフレーズが出てくるのは決して偶然ではない。「大岩くんの作品がまだ……見つかんないんだ……」という山本に対して大岩は、自分が展示したのは「歌詞、Lyrics」だと答えるが、細切れの編集によってきわだつ「歌詞」の発音はそのまま「可視」に通じ、霊が視えてしまう怪異空間を立ち上げる際の合図へと変化する。

 心霊話の途中で大岩が稲川淳二の映画『劇場版 稲川怪談 かたりべ』に言及するのも、「稲川さんの語りがそのまま空間化する」「稲川淳二が語った怪談のなかに稲川本人も含む登場人物が吸い込まれる」という『かたりべ』の設定が、動画の内部でもパフォーマティブに遂行されているからではないか。

「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より

語りの仕切り

 「歌詞」が「可視」に転じて幽霊を視えるものにしてしまうように、たとえ嘘であれ大岩や山本が語ったことがすべて空間として実体化してしまうのだとしたら、フィクションをフィクションとして囲う壁は崩壊する。2人の他愛もないやりとりを一変させる危険な想念がよぎるが、ここでは「怪異を呼び込む空間」が様々なレベルで数重に立ち上げられていることに注意をはらいたい。例えば、「ソイツに触れられると死んでしまう霊」が出てくる大岩の夢の話。その語りは極めて「空間的」で、どこに窓がある、布団がある、押入れがある……と室内の様子を事細かに描写するばかりでなく、夢と醒めた後の世界、自分の体験とそれによく似たネット上の怪談をたくみに織り交ぜながら「語り」の空間の外延を繰り延べていく(そして、数重化された「語り」の仕切りは最後の過去形のぼやかしによって少し崩れる)。

 単語もまた怪異を内包する一種の空間である。番組中、2人は「霊(レイ)」の音が隠れた単語をいくつも挙げながら言葉遊びに興じるのだが(「インスタ霊ション」「メディアプ霊ヤー」「霊ヨグラフ」……)、このとき、単語は霊を次々と運んでくる梱包材と化している。言葉を運ぶと言えばメールもそうだ。もしかしたら山本は、オ(オ)イワさんから今回の企画を提案するメッセージを開封した(梱包を解いた)時点で、雑司が谷の地に由来する心霊的な何かにとりつかれ、自身の冠番組をのっとられたのではないか……?

 と、ここまで来たところでいったん節を区切ろう。念のため確認しておきたいのは、「メールで送ってきたやつやらないの?」と自ら申し出た山本は、心霊特番の設定をある程度までは共有していたはず、ということだ。

「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より

歌詞、可視、菓子!

 霊の多発地帯。もはや動画のなかで起こる何もかもが怪異の徴候を帯びはじめるようになった。2人の会話にやたらと「赤」のイメージが出てくるのはどうしてか、山本がヘルメットをかぶっていた理由とは、志田未来の名が唐突に出てくるのにも意味があるのか、大岩が飲んでいるペットボトルのお茶はやはりお岩だけに「伊右衛門」なのか。疑い出せばキリがない。解釈の無間地獄に陥らないように、ここで再三の注意をはらっておこう。おそらくこのモキュメンタリー風の心霊特番にはホン(脚本)がある。どこまでホンに忠実な進行かは判断がつかないが(山本のフリーダムなふるまいはホンを逸脱しているようにも見える)、大岩のディレクションがかなりのところまで設定に干渉していると推測できる。

 霊は、つくれる。事前に符号をばらまいて筋を仕込んでおけば、ある程度の「読み」は誘導できる(そう、ある程度までは)。歌詞を菓子でなく可視と誤聴するのは、この動画が心霊特番だとあらかじめ銘打たれているからであり、映像と言葉を細かく切断してサブリミナル効果をもたらす編集が「視えないもの」への恐怖を露骨に煽ってくるからだ。YouTubeが「あなたへのおすすめ」を自動再生で次々と運んでくるように、条件さえ整えば、心霊はなかばオートマでYouのもとに入れ替わり立ち替わりやってくるのである。貞子の「呪いのビデオ」は見た者すべてに感染する驚異の拡散力を備えていたが、YouTubeの拡散力となれば、旧時代のメディアの比ではない。

 動画のちょうど中盤、大岩は「コレも宣伝ですけど」とエクスキューズを入れながら本展示の告知をする。画面に挿入される展示情報の字幕によって、視聴者は「緊急心霊特番」の怪異空間から別の階層へと連れ出されるのだ。折り返し地点に訪れた束の間の覚醒。特定のコンテンツへの没入をやめて周囲を見渡せば、広告だらけ、宣伝だらけのウェブサイトが、心霊もまた消費される無数のコンテンツのひとつに過ぎないことを私たちに告げる。

おばけなんてうそさ

 心霊特番、怖れるに足らず。今回の動画は本展示のコンセプトを踏まえてオンライン上に拡張された大岩のインスタレーションとみなせばそれで一件落着だ(*1)。この考えを採るのであれば、「心霊特番」の本当のゲストは大岩ではなく山本であり、大岩はむしろホストの役回りに位置づけられるだろう。

 だが、ほんとうにそれで終われるだろうか。スピンオフ、モキュメンタリー、ファウンド・フッテージ、あるいはインスタレーション等々とカテゴリを変えたところで、語りがたい何かは依然として残る。ホスト(host)の語にgのアルファベットを足して外延を広げればゴースト(ghost)になるのだから、ホストとして怪異空間の誘い手をつとめた大岩はやはり幽霊で、生きた人間の世に住まう山本とは存在する空間を異にする……とは考えられないだろうか。この場合、どちらが怪異空間の設定を立ち上げる主体なのかは極めて曖昧だ。加えて、「(霊について語るときは)ホラー番組みたいにウヤウヤしく」と2人で声を揃えつつも、ちっともウヤウヤしくないおしゃべりが最後まで繰り広げられるのはどういうわけか。会話のなかで童謡「おばけなんてないさ」を低い声でそっと口ずさむのは、そして山本が「(怖い話を)怖いカンジで話せない」と言い出すのは、語りえない怪異に対する反語的様態とみなせないだろうか?

 ほんとうに語りえぬものは、反語、迂回、言い淀みやズレによってしか、つまりは否定的なかたちでしか浮き上がらせられないのだ。とすると、NAZEのペインティングの文字が部分的に「さかさ」になっている謎の事態も、山本がおちゃらけながら急な「坂道」を下っていく場面も、途端に象徴性をもつように思えてくる。

 ここにきて、大岩が本展示に出品した歌詞の最後のリフレイン「口ずさまないように…」が禁忌のメッセージとして回帰してくる(*2)。ほんとうの怪異は語れない。大岩こそがお岩さんであり、拡散する呪いの淵源とオチをつけることはもはや許されないだろう。ほんとうの怪異は、オオイワとオイワの音の不一致、2つの名の裂け目にある語りえないもの、空間と空間の継ぎ目にこそ立ち現れるのだ。

 またもや壁が崩れ出す。私たちは、動画が立ち上げた怪異空間をいまださまよっている。

 「山本悠のそんなんユウたらあきまへん!3【緊急心霊特番】」より

8年後、未来

 動画の前半、大岩と山本が「微妙なもの」が映り込んだパフォーマンス映像を検証しようとするくだりがある。50分程度のパフォーマンス映像の問題シーンは8分目あたり。だが、2人がメディアプレイヤーを早送りして問題シーンを確認しようとすると、なぜか8分目の手前で映像が勝手にアタマに巻き戻されてしまう。これは、呪いの円環(リング)が強固に閉じており、出演者もまた自身の語りの空間になかば巻き込まれていることを物語っているのだろうか。問題の8分目がずっと再生できないのだとしたら、温田山の「予予」のポスターが予告する8年後の2028年も永久に訪れることはない……そんな不穏な妄想が連鎖的に襲いかかってくる。

 「もう一回見る」の丸い矢印をクリックすれば動画が何度でもリピートできるように、怪異空間に終わりはない。じつに気が遠くなる話だが、心配は無用だ。というのも、空間的にも時間的にも閉じたループを脱出するための鍵は、動画のなかにきちんと仕込んであるように思われるからだ。前半の下り。大岩が温田山の卵の作品を見ながら「卵にも孔がある」とつぶやく。後半の散策シーンでは、何気ない会話のなかで「ねずみの穴」に言及する。これらの「穴」にハイパーコンテクストな怪異空間からの脱出口をたくすのはこじつけもいいところだろうが、最後にこの穴に志田未来の「未来」の名を投じ、脱出の回路をせめて言葉の上だけにでも確保しておきたい。

 未来はきっと来る。8年後に実現する展示は「一番良い考え」と呼べるものになるだろうか、それとも「一番良い考え」という考え自体から遠ざかるものになるだろうか?

「一番良い考えが浮かぶとき」展の展示風景
Courtesy of TALION GALLERY

*1──「一番良い考えが浮かぶとき」のプレスリリースの文章を抜粋しておきたい。「本展『一番良い考えが浮かぶとき』は、展覧会場に築かれる一連なりのバリケードの壁をめぐって、温田山、NAZE、大岩がそれぞれに近づき、格闘し、あるいはそばを通り過ぎていく即興的な造形と空想の身振りとして展開されます。内部と外部、包摂と排除の境界を示威的にあらわす社会的機能をもつバリケード=壁は、本展において、移動と変形を繰り返す仮初めの仕掛けとなり、あらゆる地上の壁がそうであるように、無機的なつぎはぎの裂け目から場の固有性が亡霊のように立ち現れる依代ともなります。」
*2──「リフ霊イン」のなかにも霊はいる。