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防空壕での一期一会。
椹木野衣が見た青柳龍太
「2015」「2016」展

コンセプチュアルな作品を手がけ、個展活動を開催している1976年生まれの青柳龍太。今年1月に東京都内の個人宅で開催され、ファウンドオブジェクトを展示した個展「2015」「2016」を、椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

青柳龍太 2016 2016 ファウンドオブジェクト サイズ可変 撮影=三嶋一路

椹木野衣 月評第103回 青柳龍太「2015」「2016」展 等価(ともしび)のための茶室

 約束した時間に駅に着くと、作家に電話をした。指示された出口から階段を降りると、そこに本人がいる。同じ時刻を予約した方と軽く顔合わせをし、一緒に歩いて目的地へと向かう。5分ほどだったろうか。駅前の商店街を抜け、少し住宅地になったあたりに「それ」はあった。

 それというのは、防空壕である。しかし、映画などでよく見る戦中の防空壕とはぜんぜん違っている。なにせ、個人の家の庭にあるのだ。ちょっとした地下施設と言ってもいいかもしれない。扉は厚く重いが、半分が壊れて外され、暗い内部がむき出しになっている。真冬の午後のわりには暖かい日だったが、一歩足を踏み入れると、冷蔵庫のように寒くなった。

 内部はいくつかの部屋に分かれていて、段差や高低差も大きい。母屋に抜ける階段を途中で塞いだ形跡があり、電気を引き入れるための穴が随所に開けられ、トイレも設置されていたようだ。その中でもっとも広い、突き当たりの部屋の床にじかに設置されているのが《2015》、手前の小さい蔵のような空間に設置されているのが《2016》だ。ただし、後者の接地面は漆喰でていねいに仕上げ直されている。そして、両者を繋ぐように、壁に穿たれた深い棚のような溝に一本の蝋燭と、「この空間には争いがない/この部屋には壁がない」と書かれたカードが飾られている。もう10年以上前に、作家自身によってつくられた言葉だ。

棚のような空間に、ロウソクと青柳自身による言葉の作品が置かれている 撮影=三嶋一路

 二つの作品で使われている古物はいずれも、タイトルと同じ年に集められ、社会的な価値の有無や年代、得られた場所にかかわらず等価に扱われ、作家の考える配列によって厳密に並べられている。

 天から降り注ぐ殺戮のための武器から身を隠すためにつくられた場所が、こうして、客人を招き入れるための風変わりな「茶室」となっている。いま風変わりと言ったけれども、形骸化した「茶道」などよりも、はるかに本質的に茶の精神を突いている。限られた時間と空間の中から主人の手で選び抜かれ、訪れを待つ「もの」は、招かれた客に絶え間ない問いを発する。しかし答えはない。そのことで見る者は、宙に吊られたかのように、自分が自分であるはずの居場所を失う。しかしその代わり、もうこの空間には争いがない。あらゆる由来と素性が無差別に共存するから、この部屋には壁もいらない。

青柳龍太 2015 2015 ファウンドオブジェクト サイズ可変
撮影=三嶋一路

 もっとも印象的だったのは、光だ。天井に埋め込まれた装飾ガラスから《2015》に落ちる光は、まるでプリズムを通ってきたようだ。他方、《2016》で滑りを帯びた漆喰に映る「もの」の影は、影であるにもかかわらず透明感を醸している。そして両者を、蝋燭の小さな焔がゆらゆらと繋いでいる。日と電気と火からなる性質の違う三つの光が、三つの時制にあてがわれて過去と現在を照らし、わずかに未来を予感させる。

青柳龍太 2015 2015 ファウンドオブジェクト サイズ可変
撮影=三嶋一路

 こうした営みを作家は、今後も年ごとに行うのだという。もっとも、この場所自体は春には壊されて更地になるらしい。残るのはものたちの感触と、そこで誰かに出会って少しの時間を過ごしたという覚えだけだ。しかし、その覚えの余韻はひどく長い。文字通りの一期一会だからか。いや、こんな防空壕で出会ったものと人とがたがいを忘れることなど、終生あるまい。

PROFILE

さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。

『美術手帖』2017年3月号「REVIEWS 01」より)

編集部

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