椹木野衣 月評第101回 バレエと生者、死者と宇宙 冨田勲 追悼特別公演 冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』
本公演は、今年の5月に急逝した作曲家、冨田勲の追悼特別企画で、披露されるのは、冨田が亡くなる当日まで熱心に打ち合わせに応じていた新作の構想にもとづく。
もとづく、というのは完成には至らなかったからだ。だから、正しくは遺作、と呼ぶこともできない。残された者が、冨田が残した様々な材料や会話の断片から全体を再構成し、なんとか実現へとこぎつけた。その点では、未完成とも不完全とも言える。けれども、私は本作をそう呼ぼうとは思わない。ここには、作品や作者をめぐる従来のありきたりな括りを軽く乗り超える、未知の創作へと開かれた可能性であふれ返っていると考えるからだ。
もとを正せば、今回の構想そのものが、冨田の敬愛する別の人物の「遺志」にもとづいている。その人物とは、日本のロケット開発の父、糸川英夫だ。糸川の名は、地球の重力圏外で小惑星「イトカワ」に到達し、2010年に地球への奇跡的な帰還(サンプルリターン)を果たした探査機「はやぶさ」で一躍有名になったが、これを「隼」と読めば、太平洋戦争で活躍した戦闘機の名でもあり、糸川はその設計者のひとりでもあった。
幼い頃、隼の空の勇姿に感動した冨田は、その「想い」を重力に左右されない、さらにその先にある宇宙空間へと飛翔させていく。時を経て、それがもっとも高度に結実した代表作が、世界にも例を見ない電子音楽組曲『惑星』(原曲=ホルスト、1977年)であった。
他方、1960年代の黎明期にロケットの打上げ実験に失敗して非難を浴び、一線を退いた糸川は、人間が生身のまま重力の圏内から翔ぼうとするバレエの世界へと傾倒する。その糸川が夢として憧れ、冨田に打ち明けたのが「いつかホログラフィーと踊ってみたい」という、無重力の女神との共演だった。やがて糸川は不遇の晩年を迎え、人知れずこの世を去る。立ち会うことは冨田も叶わなかった。
驚くことに『ドクター・コッペリウス』では、この荒唐無稽とも思える糸川の憧憬が、彼から多大なインスピレーションを受けた冨田の情熱により、初音ミクをプリマドンナに据え、まさに目前の現実となった。そこには、冨田晩年の代表作で、宮沢賢治の世界をミクの登用で21世紀の交響曲として別次元に昇華してみせた『イーハトーヴ交響曲』の成果が、ふんだんに盛り込まれている。早くから手塚治虫のアニメの主題曲を手がけてきた冨田ならではの実体なき「キャラクター」の系譜が、通奏低音のように響いてもいる。たんなるバーチャル・アイドルであることを超える、これまでのところもっとも創造的なミクの活用だと思う。
このように、本作を個人の表現に還元するのは、もともと難しい。ひとつの挫折した遺志が別の誰かの意思へとリレーされ、その主体が現世を去ると、さらに残された生者へと託される──不死の電子と有限な肉体からなる夢幻劇の、これは果てしない連鎖の一端なのだ。もしそうなら、これを未完成とか不完全とか呼ぶのは、やはり当たらない。この〈後美術〉劇は、未来というもうひとつの無重力空間へと向けて、死者と生者の垣根さえ取り払い、まだ始まったばかりなのだ。
PROFILE
さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。
(『美術手帖』2017年1月号「REVIEWS 01」より)