月評第122回 2010年代と1910年代
オルタナティヴ・モダンの作家 ヴィンセント・フェクトー
ヴィンセント・フェクトー(1969〜)は、サンフランシスコを拠点とする作家で、2000年代にロンドンのグリーングラッシやケルンのブッフホルツで発表して注目され始め、やがてシカゴのアート・インスティテュート(2008、06)やサンフランシスコ近代美術館(2009)で、近年ではバーゼルのクンストハレ(2015)で比較的大きな個展が開催され、広く知られるようになった。今展は日本での初個展である。
「20世紀最大の発明」とされるコラージュは、21世紀に入って、フレーム型や積層レイヤー(およびレイヤーに見立てられた段ボールやパネルや布)を特徴的な表現形式としつつ世界的に復活し、現在に至っている。2000年代に顕在化した、このいわゆる「オルタナティヴ・モダン」の潮流については本欄でも何回かふれたが、端的にまとめれば、かつてのアプロプリエーションが、モダニズムの常套的な歴史を前提としたうえでそれを参照・引用・模倣するのとは異なり、オルタナティヴ・モダンは、その歴史自体の読み直しから始まる。モダニズムという運動の本質はきわめて多様かつ不純なものであったが、われわれはそれを単純化して受容したにすぎず、その可能性の大部分は断絶して終わった、20世紀初頭に芽吹かぬまま埋もれた種を堀出してきて、21世紀の土壌で新しい花を咲かせる、と。リチャード・タトル(1941〜)や岡﨑乾二郎(1955〜)を先行者とする、2000年代以降のオルタナティヴ・モダンな作家たち、例えばスターリング・ルビー(1972〜)やジェダイ・シボニー(1973〜)、そしてヴィンセント・フェクトーが、コラージュやコンストラクションを制作するとき、彼らは単純化される以前へ遡行し、断絶した系譜としてのコラージュに接続して、新たな表現を生み出しているわけである。
モダニズムという急激な爆発は、1910年代を頂点として(シェーンベルクの最初の無調曲は1908年、ピカソのコンストラクションとコラージュは12年、デュシャンの《瓶乾燥機》は14年)、第1次世界大戦を挟んで早くも20年代には(最初の12音音楽は21年、シュルレアリスム宣言は24年)一定の単純なプログラムへ、常套的なモダニズムへと収束していったように見える。単純化とは、地域的な限定(欧米中心)とジャンルの限定(メディウム・スペシフィシティの強調)にとどまらず、それ以上に、逸脱の自由からそのプログラム化・図式化への移行ということである。列挙すれば、コラージュからコンポジションへ、コンストラクションから抽象彫刻へ、ダダからシュルレアリスムへ、ストレート・フォトグラフィからドキュメンタリーへ、あるいは自由な無調から12音主義へ……の単純化ということになるだろう。コラージュとは、可視像の基底面をなしている不可視のレイヤーを、知覚にもたらすとともに更新し続ける(紙面、床面、デスクトップは不確定)終わりなきプロセスであったが、やがてひとつの基盤面(紙面、床面、デスクトップ)の上に雑多の要素を寄せ集めるコンポジションとして普及していった。「自由な無調時代」とは、調性から自由な、つまり特定の主和音へと落ちていかない無重力の音楽を求めて、シェーンベルクが直感的に作曲していた時代である。その時代の作品は「逸脱の自由」に満ち、いま聴いても大胆な傑作揃いだが、作曲家が自らの内に血肉化した調性感覚に抗いながら作曲することになるために、数は少なくどれも短い。その労苦を克服し、無重力の音楽を自動的に実現する「プログラム」が12音技法であった。
フェクトーには、雑誌写真のイメージを用いてレイヤーやフレームをコラージュした作品もあるが、その本領は、レイヤーやフレームに見立てられる面や枠を型取りした立体コラージュである。具体的には、日用品(ビーチボールなど)に紙粘土を貼り付けて型取りしたパーツ、言い換えれば、様々な既製品の鋳型(箱詰め用にそれらをちょうど収める発泡スチロール材のような形態)を切り離しては組み合わせ、さらに色彩やテクスチャを加えてつくられる。デュシャンの「
コラージュを即興で量産する THE COPY TRAVELERS
加納俊輔(1983〜)、迫鉄平(1988〜)、上田良(1989〜)によるユニット、
オルタナティヴ・モダンは──モダニズムの頂点のほんの10年間ほど開示されただけで、やがて「外部」「崇高」「シュールリアル」等々として回収(=単純化)されてしまった──芸術の自由(「抽象の力」)を信じる。小さなアトリエにひとり籠もって、自由という出口を目指して数点の立体の制作にかかりきりになる寡作家のフェクトーとは対照的に、TCTはトリオによる即興演奏のように、大量のコラージュを生産し続ける。そのパフォーマンス感覚は、フェクトーたちがいまだに信じている「自由」を、彼らがもはや信じていないことに由来するだろう。やはり世代の差と言うべきなのだろうか、金氏徹平(1978〜)あたりを分水嶺として、それ以降の世代がつくるコラージュに、もうモダニズムの影は射していないようだ。100年後のわれわれにはシェーンベルクを含めすべての音響は既知であることが前提であって、「自由な無調」という出口は存在しない、調性の世界が24個の重力圏であるとすれば、無重力圏に出るのではなく、24方向へ同時に落ちていこう、と。コラージュとは、落ちの過剰生産であり、それ自体が出口=目的なのだ。かつてコラージュに賭けられた自由を、3人の山師はすってしまうのである。
(『美術手帖』2019年6月号「REVIEWS」より)