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時間と記憶を浮かび上がらせる、映像インスタレーション展。福尾匠評 リー・キット「僕らはもっと繊細だった。」

現代アジアを代表する作家のひとり、リー・キットが日本の美術館での初個展を原美術館で開催中だ。40年の歴史を持つ同館の時間や光のうつろいに寄り添いながら、絵画、アクリルケースや扇風機といったものと映像とを組み合わせ、連続性のあるインスタレーション空間を生み出した。同展について、映像論を研究する福尾匠が論じる。

文=福尾匠

2階奥の部屋の展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts 

テーブルクロス・ピクチャープレーン

 最初の一音を迎えにやさしく鍵盤に触れるような手、あるいはこのキーボードを打鍵する直前または直後の、私のためらいを宿したような手、その手首から先だけが、白く下塗りされた板に描かれている。床に置かれたプロジェクターからそこへ白い光が投げかけられている。板に広がる微細な格子状の肌理が支持体のものではなくプロジェクターのピクセルであることに気づくのは、手に近寄った私の影がそれを隠したときだ。したがってこの文章では「私」という主語の使用を避けることはできない。「筆者」も適当ではないだろう。書いている私とそのときそこにいた私を切り離すことなどできないからだ。「われわれ」もやめておこう。展示のタイトルはその言葉を使用したとたんに私を否応なく彼ら=「僕ら」に組み入れる力を持っているからだ。

 会場にある光源は自然光とプロジェクターの光、あとは各部屋をつなぐ廊下の小さな照明だけだ。ほの暗い部屋の中で「絵画」への適切な距離へと歩み寄る私のせいで、支持体と描かれたもの、投影されたものが様々に交代する。肌理の帰属先が宙づりになり、手はその、言ってみれば「肌理そのもの」へとそっと置かれているように見えてくる。この肌理のあり方をさしあたり「テーブルクロス」と呼ぶことにしよう。手やマグカップがそこで休らい立ち去る。

1階、入り口隣の展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

 

 リー・キットはハンド・ペインティングを施した布を、ピクニックシート、テーブルクロス、カーテン、布巾、シーツとして用いる作品によって画家として知られるようになった(*1)。そこにはつねに漂白された暮らしの気配が漂っている。「僕らはもっと繊細だった。(We used to be more sensitive.)」と題された今回の展示にそのような手法は見られないものの、会場のそこここに置かれたマグカップや古い扇風機、ラジオ、そしてときにプロジェクターを置く什器として使用され、ときに廊下の隅にさりげなく置かれているアクリルケースなどの製品は会場を誰とも知れない誰かの、しかし親しみのある空間にする。

 見知らぬ住宅街で漂ってくる夕飯の匂いのような非人称的な親しさとともに、「絵画」との正面切った相対は文字どおりにも不可能にされている。そのための地点はつねにプロジェクターの光を背中でさえぎってしまうからだ。私は作品から作品へとはす向かいに歩く。要素の帰属先を突き止めるというさかしらな意図がはたらくときを別にして。

1階奥の部屋の展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

 

 作家は周りを庭で囲まれた窓の多い、もともとは邸宅である原美術館に10日間ほど通って今回の展示を構成したという(*2)。彼は自身の展示を「シチュエーション」と呼んできた(*3)。この語の選択には、おそらく個々のファクターの関係性がアクチュアルな場を構成するということ以上に、それがつねに具体的なものであることの示唆を読み取るべきであるように思われる。会場の窓は、作品の抽象的な背景として退いていくのでなく、作品めいたものと、すくなくともその具体性において同等の存在をたたえている。作品リストもキャプションもない。それだけにこのシチュエーションは“works”というより“pieces”によってかたちづくられたものだという印象を与える。

 2階のひとつの部屋の入口の向かいにある縦横2mほどの大きな腰窓は庭木の枝葉にほとんど覆われ、透かして入ってくる陽光はさらにガラスとロールスクリーンにやわらかく稀釈されている、その光、その色は、右奥の壁に投影された映像によって同じ大きさで反復されている。投影と描画のあいだの揺れ動きが構成したテーブルクロスは、ここでロールスクリーンに透ける実景と、フォーカスを外されたその映像とのあいだで両眼視差(parallax)的に編まれる。

 レオ・スタインバーグは絵画が平面を情報のテーブルとしてあつかい始めたことを示すために「フラットベッド・ピクチャープレーン」という概念を案出した(*4)。絵画は光学的な世界へと開かれた窓であることをやめ、その面の上で様々な対象が操作される「作業台(workbench)」へと変貌する。リー・キットのテーブルクロスは操作の場ではない。無防備な手足が、親しみのある製品が、そして途切れがちな言葉がとどまりすれ違う停留の場だ。

2階中央の部屋の展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

 

 「僕らはもっと繊細だった。」とタイトルに打たれた句点は、この言葉が、始まったとたんに終わるタイトルとしての時間ではなく、前後の文を想定しうる文章としての時間を宿していることを示しており、かつその内容は過去と現在のギャップへと引き込むことで即座に観る者を「僕ら」にする。彼らは「感じ入る」こと以外のオプションは取り上げられるだろう。私はここで、私を私と呼ぶためにいったん「僕ら」を「彼ら」と呼ばなければならない。

 作品との1対1の正対というモダンな鑑賞は阻まれ、そのあとには「もっと繊細だった」「僕ら」という模糊とした親しさの連帯しか残されていないようにみえる。したがってリー・キットに対してはシリアスな態度も、カジュアルな態度も挫折を強いられる。批評としては論文スタイルも紀行文スタイルも失敗を約束されるわけだ。しかし批評はそもそも論文でも紀行文でもない。すくなくとも批評は「僕ら」をあらかじめ当て込むことはしないはずだ。

1階奥の部屋の展示風景 撮影=武藤滋生 © Lee Kit Courtesy of the artist and ShugoArts

 

 映像の字幕として、あるいは絵の中に書き込まれた文字として読まれる断片的な言葉は、ごく簡素な構文("I am sorry, but I am happy", "Shave it carefully")、あるいは間投詞("Hello", "Hey")や名詞句("Selection of flowers or branches")であり、これらはどれもイメージとの明示的な連関を持たない。かたちとしては呼びかけや命令や指示であるのにもかかわらず、言葉はそれらの機能を果たさず、宛先に届くことなく落下する。テーブルトークの下では言葉の孤独がざわめいている(*5)。

 そのとき初めて、「僕ら」をどこに位置づけるべきかが見えてくる。テーブルを挟んで「私」と「あなた」を交換し続ける発話者の側ではなく、彼らの言葉が落下し、彼らの手やマグカップが休むテーブルクロスの上にこそ、「僕ら」は、それらと並んで置かれている。肌理が物質的な帰属先から遊離することでシチュエーションが非物質的に閉じられたように、言葉はコミュニケーションから剥離することで自身の孤独を恢復する。この孤独な停留の場こそがテーブルクロス・ピクチャープレーンであり、リー・キットの絵画だ。そこでは親しさを人称化しないことの条件が問われている。この文章をスクロールしていないほうのあなたの手のために。

*1――Hu Fang, "Surplus time", Lee Kit: Never, edited by Martin Germann, Koenig Books, 2016, London, p. 8.
*2――作家は今回の展示に際したインタビューで、原美術館について「空間全体がカンヴァスのようだ」と語っている。
*3――Martin German, "Preface", Lee Kit, p. 4.
*4――Leo Steinberg, "Other criteria", Other Criteria, The University of Chicago Press, 2007 [1972], p. 84. (レオ・スタインバーグ「他の批評基準——③」林卓行訳、『美術手帖』1997年3月号、美術出版社、181頁)
*5――前掲のインタビューには次のような発言がある。「(原美術館について印象的だった)もうひとつの側面はこの美術館にある孤独な感じです。私はいつも孤独を東京と結びつけて考えていますが、そこにはポジティブでもネガティブでもない孤独というものがあります。この美術館もそれを持っていて、それはとても文明化されたたぐいの孤独です。私はただそれを、何か人間的なものとしてつかまえたかったのです」。

編集部

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