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失われた映画に「声」を与える。
沢山遼が見た、平川祐樹「映画になるまで君よ高らかに歌へ」展

場所やものに流れる固有の時間を、映像や写真、またそれらを組み合わせたインスタレーションによって表現する平川祐樹。平川による9分間の映像作品《映画になるまで君よ高らかに歌へ》は、関東大震災や空襲によってフィルムが消失した日本映画のタイトルから平川が着想を得て制作した映像作品だ。この作品と同名の展覧会を、美術批評家の沢山遼がレビューする。

文=沢山遼

平川祐樹 映画になるまで 君よ高らかに歌へ 2018

平川祐樹「映画になるまで君よ高らかに歌へ」展 映画と詩と声 沢山遼 評

 世界には、かつて存在していたものの、いまでは失われてしまった膨大な数の映画が存在する。1930年代に、言語学者のロマーン・ヤコブソンは「映画芸術の遺産の発掘が、考古学者にふさわしい仕事になることであろう」と予告している。ヤコブソンは、1907年以前のフランス映画は、リュミエール兄弟の初期の作品を除いてほどんど何も残されていない、という事実をその根拠として挙げ、映画誕生後の最初の数十年は、すでに「断片の時代」と化しているという(*1)。失われた映画を主題とした、平川祐樹の「Lost Films」シリーズの第3作《映画になるまで 君よ高らかに歌へ》もまた、一種の「考古学者の仕事」の様相を呈している。

 平川は、失われた日本映画のリストを眺めていたとき、いくつかの映画のタイトルをつなぐと「詩」のようにみえることに気づいたという。本作は、黒いスクリーンに、すでに存在しない日本映画のタイトルと製作年が投影され、同期してそのタイトルを読み上げる男性ナレーターの声が響く、ごくシンプルな構造からなる作品だ。選出されたのは、雑誌やポスターに記録が残っているものの、フィルム自体が消失した映画である。30年代までに上映された映画のうち、じつに約95パーセントもの映画がいまでは失われている。小津安二郎や溝口健二の初期作品においても例外ではない。いまでは信じられないことだが、成瀬巳喜男が述べたように、かつて映画とは、それが映画館で上映されている期間だけ存在し消えていく、徹頭徹尾の光学的現象だったのである。

 平川の仕事は、映画というメディウムの本性に内在していた「消滅」の記憶に接近する。彼の「Lost Films」が前提とするのは、映画とは消滅や死に隣接するメディアであるということだ。平川が選び出した映画のタイトルは、存在の儚さや無情さを漂わせる言葉が多く並び、そのなかの3本のフィルムには「死線」という単語が入っている。いま、私たちが見ることのできる映画とは、文字通り「死線」を超えてサバイブしてきたものなのだ。こうしたタイトルの連なりをみるとき、当時の映画自体が、みずからの存在論的本性について自覚的であったのではないかと思われてならない。

 失われた映画のタイトルを言葉の断片としてスクリーン上に投影し、その連なりを「詩」として構成する平川の操作が、複数のショットをモンタージュ(編集)する映画技法に準じたものであることは言うまでもないだろう。そもそも詩と映像との関係は深く、映画の歴史において、ショットとモンタージュからなる映画の技術形式が映画言語論として議論されたのはロシア・アヴァンギャルドの時代にさかのぼる。まず、映画のアヴァンギャルドに先行してロシアでは未来主義者の詩人たちの実践があり、その実験はやがて映画にも流入した。前衛たちのロシアにおいて、映画はつねに詩と密接な緊張関係を結んでいた。ユーリイ・トゥイニャーノフは、ショットの連続をたんなる結合ではなく示差的なショットの交替としてとらえ、ショットの交替過程を「詩行」になぞらえている(*2)。また、ヤコブソンは映画に詩と同様の記号論的な操作性を見出し(*3)、ヴィクトル・シクロフスキーもまた、散文的な映画と詩的な映画があると述べている(*4)。平川が今回の新作で対象とした10年代から30年代にかけての日本映画が、詩と映画が連続する前衛たちの思考と同時代の空気を呼吸するものであったことは、無視することができない。

平川祐樹 映画になるまで 君よ高らかに歌へ 2018

 平川の作品は、こうした失われた映画を、詩句のモンタージュ=連結によって復活させる。ゆえに平川の作業は、失われた映画をめぐる喪の作業であると同時に、モンタージュによる映画の「復活」の動機に支えられたものでもあるだろう。モンタージュによる復活を示唆する平川の仕事はこうして、モンタージュを通して「イメージは復活の時に到来するだろう」と語る『映画史』(1988-98)のゴダールの姿さえ思わせる。平川の《映画になるまで 君よ高らかに歌へ》は、失われた映画の、二重の意味での映像の「再生」を遂行する。

 例えば作品の冒頭、タイトルの連なりは、「霧込むる夜 闇を行く 難破船 未知の国へ 凋落の彼方へ」という「詩行」を形成する。こうした「詩行」が想起させるのは、美学者の中井正一が「カットの文法」(1950)に書いた「映画にはコピュラ(繋辞)がない」という考えである。中井は、ショットとショットの連続からなる映画には、言語でいうところの言葉と言葉をつなぐ「むすび」となる品詞(例えば「である」「でない」など)が存在しない、という。平川の「詩」にもまたコピュラが存在しない。奇妙な符号であるというほかない。そのことによって、平川の「詩」は、文字通りの「映像の詩学」を図らずも実践してしまうことになるのだ。詩と異なり、散文にはコピュラが不可欠である。映画とは詩なのだ。

 ところで、《映画になるまで 君よ高らかに歌へ》という今展の新作のタイトルもまた、2つの失われた映画のタイトルを連結させたものである。《映画になるまで 君よ高らかに歌へ》というタイトルが、平川が作品内で行う操作それ自体を自己言及的に指し示すものであることは明らかだろう。すでに述べたように、平川の作品は、言葉の断片の連なりをショットの結合として〈映画になるまで〉詩行としてモンタージュする。すぐ後に続く〈君よ高らかに歌へ〉という節はこのことに対応している。この作品が目論むのは、失われた映画に「声」を与えることだからだ。

 おそらくそこには少なくとも3つの「声」の含意がある。まず、平川が選択した映画の多くが無声映画であること。そしてこれらの映画のタイトルが、失われた映画、すなわち声なき者(=死者たち)の声なき声を代補するものであったこと。そして、そうした映画のタイトルを、スクリーン上の、ちょうど「字幕」の位置に投影し、さらにナレーションすることで、実際の音声を与えることである。「君よ」と呼びかけられるタイトルだけを残して私たちの前から消え去った映画たちは、こうした操作を経て、私たちの前で、「高らかに歌う」ことになるのだ。

脚注
*1――ロマーン・ヤコブソン「映画は衰退しているのだろうか」大石雅彦・田中陽編『ロシア・アヴァンギャルド(3)キノ–映像言語の創造』(国書刊行会、1994年)
*2――ユーリイ・トゥイニャーノフ「映画原論」同前。
*3――ロマーン・ヤコブソン「映画は衰退しているのだろうか」同前。
*4――ヴィクトル・シクロフスキー「映画における詩と散文」同前。

編集部

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