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101年ぶりにヨーロッパへ。マルテ・ドナ《ダンス》、日本でヨーロッパ・モダニズム理解を拓いた前衛の一作

第一次世界大戦直後の激動期に男性中心の美術界で異彩を放ち、前衛を切り開いたベルギー人女性画家がいた。マルテ/トゥール・ドナだ。池田20世紀美術館が所有する彼女の大作《ダンス》は、現在101年ぶりにヨーロッパを訪れ、現在アントワープ王立美術館で開催中の展覧会「ドナ、アーキペンコ、そしてセクション・ドール:魅惑のモダニスム」にて展示されている。《ダンス》が日本に渡った背景には、前衛美術が紡いだ知られざるモダニズムの物語と、国境を越えた芸術交流の軌跡があった。

文=貝谷若菜

マルテ・ドナ《ダンス》(1917-19)の展示風景 撮影=筆者

マルテ・ドナとは何者か?

 マルテ・ドナ(1885〜1967)は、ベルギー・アントワープの裕福な家庭に生まれ、幼少期から芸術に対する情熱と類まれな才能をもっていた。しかし彼女の芸術への道を認めなかった父は、美術学校を退学させ、展覧会に行くことも禁じるなど、あらゆる手で芸術から彼女を遠ざけようとした。さらに、第一次世界大戦の勃発と逆境が重なったが、ドナの創作への情熱は増すばかりだった。ドイツ軍の侵攻でオランダに避難した家族を離れ、ダブリンに渡り、そこで美術学校に通い始めた。この時期に学んだステンドグラス制作でも才能を発揮した。

アトリエでのマルテ・ドナ(1920) © Stichting Marthe Donas, Gent

 翌年のイースター蜂起を機に、フランスに移ったドナは、ステンドグラス制作で稼いだ資金でパリのアートシーンに飛び込んだ。そこで、アンドレ・ロートのキュビスムに魅了され彼のアトリエに通い始める。その後、短期間のパリ滞在を経て、絵画教師として移住した南仏でウクライナ出身の彫刻家アレクサンダー・アーキペンコ(1887〜1964)と運命的な出会いを果たす。二人はすぐに意気投合し、互いに芸術的刺激を与え合う日々を送りながら、数年にわたる恋愛関係にも発展した。

左から、マルテ・ドナ《Sitting Nude》(1917、個人蔵)、アンドレ・ロート《Sitting Nude》(1917、Musée Marthe Donas, Ittre)

 当時すでに革新的な彫刻家として定評のあったアーキペンコは、形態・空間・再現における「ネガティブ・スペース(余白)」の可能性に強く惹かれていた。彼にとって空洞は欠落ではなく、形を定義するもうひとつの“物質”だった。そして、ドナは彼の思想を絵画の領域に転写し、空間と空白のあいだに生まれる緊張感と余韻を、線と色彩で表現することに没頭した。

アレクサンダー・アーキペンコ

 形態・ボリューム・色彩をいかに調和させるかという探求のなか、アーキペンコは「スカルプト・ペインティング(Sculpto-painting)」と呼ばれる立体的なキュビスム絵画を発展させ、ドナは主題の輪郭に沿って画面自体を変形させ、長方形の枠を逸脱する「シェイプド・ペインティング(形状キャンバス)」を創出した。

 この2人の実験的な試みと当時のモダニズムのトレンドを反映した作品群のなかでもとくに大型の作品が《ダンス》である。

アレクサンダー・アーキペンコ Two Women 1920 © SABAM Belgium, 2025
アーキペンコによる「シェイプド・ペインティング(形状キャンバス)」の例

編集部