ミスミグループ創業者の田口弘によって収集された世界各地の現代アートのコレクションを紹介する展覧会「タグコレ 現代アートはわからんね」が、角川武蔵野ミュージアム1階のグランドギャラリーで始まった。
田口はミスミの社長在職時にアメリカのポップアートを中心とした「ミスミコレクション」を築き、現代アートの企業コレクションとして日本を代表する先駆けとなった。その後に始まった個人コレクションでは、世界各国あるいは日本国内にも対象を広げ、立体・写真・映像など、素材・形態も幅広く収集。また、2013年より長女の田口美和が運営に参画し、展覧会の開催とコレクションの拡充に努めており、コレクションのカラーも少しずつ変化している。
本展は、そんなタグコレの作品を通して、田口がアートとの出会いで経験した驚きや発見などを追体験できるもの。「未知との遭遇」「コレクションは広がる」「作品を買うということ」「アートは変わる、世代も変わる」「作品はみんなのもの」といった5つの章で構成されている。
会場は通常の「ホワイトキューブ」のような空間でなく、黒いスペースがつくられている。また、本展のディレクターによる解説文や、田口弘・美和、そして同コレクションの形成に携わっているアートアドバイザー・塩原将志が書いた各作品にまつわるエピソードなど大量のテキストが、作品とともに紹介されていることも特徴だ。
その意図について本展ディレクターである神野真吾(角川武蔵野ミュージアム アート部門ディレクター)は、現代アートは非常に魅力的なコンテンツだが、「よくわからない」という声も一般の鑑賞者から聞いているとしつつ、作品がつくられた背景や文脈を詳しく紹介するキャプションを通して、作品に対する理解を深めることができるだろうと説明している。
第1章「未知との遭遇」では、キース・ヘリングやアンディ・ウォーホルなど、田口弘が「現代アートはわからんね…」ということをつぶやきながら、アートに惹かれ集めた作品を紹介。
第2章「コレクションは広がる」では、コレクション形成を手助けしたアドバイザーとの二人三脚によりコレクションがいかに発展していったかをたどることができる。例えば、当時のタグコレには日本人作家の作品が少なかったが、アドバイザーの助言により収蔵された奈良美智の作品《サイレント・ヴァイオレンス》(1996)や、アーティストに依頼制作したライアン・マクギネスの大作《このマシンは憎悪を包囲し降伏を強要する》(2007)などがある。
いくらお金があっても、多くの人たちが欲しがる作品がなかなか入手できないことは、コレクターにとって珍しくないことだろう。第3章「作品を買うということ」では、良い作品を手に入れるための苦労話を紹介している。
同章で展示されているインド人アーティスト、ラキブ・ショウの《ポピーの花の聖セバスティアヌス》(2011-12)はその例のひとつ。美和が海外のアートフェアでどうしても日本に持っていきたいというこの作品は、セカンダリーマーケットでの出品のため、予算をはるか上回った。アドバイザーの塩原は販売ギャラリーに一晩のみキープすることを依頼し、アーティストの作品相場のリサーチやほかのコレクターやディーラーとの相談を重ねることで、翌日、販売ギャラリーと価格交渉に成功し、購入に至ったという話だ。
第4章「アートは変わる、世代も変わる」では、父の弘から美和にバトンタッチしたあとに収集された作品が並ぶ。森村泰昌の映像作品《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)》(2007)や、アルゼンチン人アーティストのアド・ミノリーティによる彫刻や絵画の作品群など、暴力、ジェンダーなど社会の様々な課題をテーマにしたものだ。ここまで進むと、展示作品のテーマや雰囲気が冒頭のポップ・アートとは一変し、娘の参画によりコレクションの色変わりをうかがうことができるだろう。
第5章「作品はみんなのもの」の展示作品は、ほとんどメイン会場であるグランドギャラリー以外の様々なエリアで展開されている。ミュージアム外壁で展示されている、テレサ・マルゴレスが路上掲示板を撮影した30枚の写真からなる《尋ね人》(2016)や、グランドギャラリー前の床にある宮島達男の「Floating Time」シリーズ(2000)、2階ロビーに出現した西野達の《やめられない習慣の本当の理由とその対処法》(2020)など。
タグコレは、美術館に作品を貸し出すことや、学校の体育館で展覧会を行うこと、作品のカードゲームをつくることなどで、より多くの人々に現代アートを楽しんでもらえる取り組みを行っている。第5章もそのような考え方に基づいた構成だ。
田口美和は、「プライベートスペースではなく、誰でも行ける場所で作品を展示することが、タグチアートコレクションにとって大切だ。今回は、このような場所で作品を体験していただくきっかけがつくれば」と話している。
よくわからないが、現代アートが好きだという父の思いから始まり、娘に引き継がれた後、テーマや社会性などにおいてさらなる広がりを見せているタグコレ。現代アートのファンもわからない人もきっと楽しめる展覧会だ。