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「見る」をめぐる旅は続く。豊田市美術館でゲルハルト・リヒターと対峙する

「ゲルハルト・リヒター展」が豊田市美術館に巡回。巨大抽象画《ビルケナウ》(2014)、「フォトペインティング」「アブストラクト・ペインティング」「カラーチャート」といった代表的なシリーズから近年のドローイング、そして同会場のみで展示される2022年の最新作まで、あわせて約140点が展示されている。

展示風景より、すべて《アブストラクト・ペインティング》(2016)

 今年6月から10月にかけて東京国立近代美術館で開催され、大きな話題を集めた「ゲルハルト・リヒター展」が豊田市美術館に巡回、開幕した。会期は2023年1月29日まで。

「ゲルハルト・リヒター展」エントランス

 本展はリヒターが大切に手元に残してきた作品群を中心に、60年にわたる画業を紹介するもの。幅2メートル×高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》(2014)をはじめ、60年代の「フォトペインティング」やドローイング、そして豊田会場のみで展示される2022年の最新作など、あわせて約140点が展示されている。

展示風景より、左から《9月》(2009)、《エラ》(2007)、《ユースト(スケッチ)》(2005)

 東京展との最大の違いは作品の展示順だ。東京展では《8枚のガラス》(2012)を中心に、各展示室に年代を問わず作品が散らばる構成だったが、本展ではほぼ年代順に作品を並べており、順路に沿ってリヒターの作品歴を追っていける構成となっている。

展示風景より

 1階の展示室は大きく4つの空間に分けられ、60年代から2014年のビルケナウまでが並ぶ。その最初に展示された作品が《モーターボート(第1ヴァージョン)》(1965)だ。

 本作について、豊田市美術館での展示を担当した学芸員の鈴木俊晴は次のように語った。「60年代のリヒターを代表するフォトペインティングによる作品だ。広告写真を拡大してほぼそのままに描いた本作は、東ドイツで厳格なルールとテクニックによる美術教育を受けていたリヒターが、デュッセルドルフで現代美術の洗礼を受けたことを象徴的に物語っている。それまで定型化された絵画の様式に疑問を持っていたリヒターは、写真を絵画としてコピーすることで、自分が身を置いてきた絵画のルールから解放されることに気がついた。本作が提示している絵画と写真の差異や、ボートに乗りこちらを向いた4人がいずれも『見る』という行為を喚起させることは、リヒターの作品にいまも貫かれている『イメージとは何か』という問いが根源的なものであったことを感じさせる」。

展示風景より、《モーターボート(第1ヴァージョン)》(1965)

 《モーターボート(第1ヴァージョン)》の周囲には、鈴木の言葉を裏づけるようにグレイ・ペインティングや鏡の作品が並ぶ。例えばグレイ・ペインティングであれば絵具のテクスチャの質感が様々な表情を見せ、鏡はまさに見る者を見返してくる。いずれの作品も「見る」という行為への意識が強く出たものであることに気がつけるだろう。

展示風景より、左から《鏡》(1986)、《グレイ》(1973)、《グレイ(樹皮)》(1973)、《グレイ》(1976)

 次の部屋ではリヒターの代表的な制作手法であるアブストラクト・ペインティングが登場する。自作した大きなヘラ状の道具「スキージ」を使い、キャンバスの上で絵具を引き伸ばしたり、あるいは削り取りながら制作された作品群だ。

展示風景より、左から《トルソ》(1997)、《水浴者(小)》(1994)、《アブストラクト・ペインティング》(1999)

 鈴木は一連のアブストラクト・ペインティングのなかでも、リヒターが所蔵しているという《アブストラクト・ペインティング》(1992)に注目してほしいと語る。本作の支持体はキャンバスではなくアルミニウムで、重ねられた絵具のあいだから輝くアルミニウム地がわずかに覗く。多くの場合、絵画を見るときは表面に重ねられたメディウムに視線が誘導されてしまうが、その下にいくつもの積層があるからこそ絵画が成り立っているという構造そのものを本作は印象づける。

展示風景より、《アブストラクト・ペインティング》(1992)

 豊田市美術館では本展のキービジュアルとして《モーリッツ》(2000/2001/2019)を大きく使用している。描かれた当時8ヶ月だったリヒターの息子を描いた本作は、リヒターの作風を雄弁に語る類のものではない。しかし、本作がリヒターの画業を語るうえで重要な理由を、鈴木は次のように述べた。 「《モーリッツ》に描かれている8ヵ月の子供は、視力が発達し意識して『見る』という行為を習得し始める時期だ。ここにもリヒターの『見る』ことへの興味がうかがえる。本展に展示されたリヒターの作品は様々だが、いずれもネットワークのように(各作品の主題を)互いにひもづけることが可能だ。本作はその最たるものではないか」。

展示風景より、《モーリッツ》(2000/2001/2019)

 「カラーチャート」と《8枚のガラス》(2012)、そして《ストリップ》(2013-16)によって構成された展示室は「色彩」を主題とした部屋といえる。

展示風景より、《4900の色彩》(2007)、《8枚のガラス》(2012)

 「カラーチャート」は既成品の色見本を196枚、ランダムに並べた作品だ。作家の意図とは無関係に並べられたその色彩は、見る者に具象的な図像を喚起させたり、あるいは特定の色のみを目で追わせたりと、多重なイメージをつくりだす。

展示風景より、《4900の色彩》(2007)

  また、2011年に始められたデジタルプリントによる《ストリップ》(2013-16)も同様に、色彩の持つ多重性が表現されている。幅0.3ミリメートルほどの細い色の帯の積み重なりは、見る者の焦点を無限に変化させる。

展示風景より、《8枚のガラス》(2012)、《ストリップ》(2013-16)

 展示室の中央では、鮮やかな色調に囲まれるように《8枚のガラス》(2012)がたたずむ。周囲の作品の色彩を映して様々に変化するガラスの重なりもまた、「見る」という行為に対する問いを発する存在だ。

展示風景より、《4900の色彩》(2007)、《8枚のガラス》(2012)

 1階の最後の展示室に進むと《ビルケナウ》(2014)が現れる。これはアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で密かに撮られた4枚の写真を着想源として描かれた、4つのアブストラクト・ペインティングだ。本作について鈴木は次のように語った。

展示風景より、《ビルケナウ》(2014)

  「アブストラクト・ペインティングは『描く』と『削る』を同時に行う行為だ。何かを描き出して記録すると同時に、消し去っていくというこの手法でしか、リヒターはアウシュビッツという悲惨な歴史を描写することができなかったのではないだろうか」。

展示風景より、《ビルケナウ》(2014)、《グレイの鏡》(2019)

 豊田市美術館を象徴する2階の吹き抜けの展示室では、2016年に描かれた近年のアブストラクト・ペインティングが展示されている。これらの作品を鈴木は次のように評する。「作品における自己表現を避けてきたリヒターだが、この時期の作品はリヒターの身振り手振りが垣間見えるようになっている。作家の持つエネルギーが直接的に伝わってくる作品といえるのではないだろうか」。開放的な吹き抜けで、80歳を超えたリヒターがたどり着いたひとつの境地をじっくりと堪能したい。

展示風景より、すべて《アブストラクト・ペインティング》(2016)
展示風景より、《アブストラクト・ペインティング》(2016)

 吹き抜けから階段を昇った3階には、近年のリヒターが描いてきたドローイングが集まる部屋がある。さらに進むと、自然光が差し込む部屋に、アブストラクト・ペインティングが並ぶ。

展示風景より、ドローイングのシリーズ

 これらは2017年、リヒターが自身最後のアブストラクト・ペインティングを宣言した時期の作品だ。大ぶりな筆致で描かれたそれらを、鈴木は次のように分析した。「この水面を思わせるイメージは、本展の最初に展示されていた《モーターボート(第1ヴァージョン)》を連想させはしないだろうか。90歳を超えてなお作品をつくり続けるリヒターが、当時から一貫して『見る』と向き合ってきたことがわかる」。

展示風景より、すべて《アブストラクト・ペインティング》(2017)
展示風景より、《アブストラクト・ペインティング》(2017)

 最後に、特別出品として本展のみの出品作品《ムード》(2022)が展示されている。水彩絵具によるドローイングを撮影した写真作品で、鮮やかな色彩が壁面に並んだ。鈴木は展覧会を締めくくる本作について、次のように語った。「会場の出口から外に目を移すと、美術館の窓から木々や街や空が見える。(こうした事物が存在する)今日の世界において『イメージはどのように生まれてくるのか』という問いを立てながら、リヒターがイメージをつくり続けていることの意味を考えさせられる」。

展示風景より、《ムード》(2022)
展示風景より、《ムード》(2022)

 リヒターとの文面でのやり取りを重ねながらつくりあげたという本展について、鈴木は次のようにまとめた。「回顧展のたびに構成を大きく変えてきたリヒターは、自身の作品を毎回発見し、それを楽しんでいるようにも思える。展覧会の直前には『パーフェクト』の言葉ももらえてほっとした。ぜひ多くの人に見てほしい」。

展示風景より、《8人の女性見習看護師(写真ヴァージョン)》(1966/1971)

 東京展を見逃した人はもちろん、見た人にも新たな発見を与えてくれるであろう本展。豊田市美術館まで足を運ぶ意義は極めて大きいといえるのではないだろうか。

編集部

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