現代美術においてもっとも評価されている現存作家のひとり、ゲルハルト・リヒター(1932〜)。その、日本では16年ぶり、東京の美術館では初となる個展「ゲルハルト・リヒター展」が6月7日に東京・竹橋の東京国立近代美術館で開幕した。そのハイライトをレポートしたい。
リヒターは1932年、のちに東ドイツの都市となるドレスデンで生まれた。ベルリンの壁がつくられる直前の61年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケと友情を築き、「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動のなかで独自の表現を発表。その名が知られるようになる。
フォト・ペインティング、カラー・チャート、アブストラクト・ペインティングなど、様々な技法を駆使しながら作品を生み出してきたリヒター。油彩画のみならず、写真、ガラス、鏡など様々な素材によって「人間がものを見る」ということを問い続けてきた。
今年、90歳を迎えたリヒターだが、いまなお積極的に制作を続けている。本展はそんなリヒターの活動を、各シリーズの代表作を含めた122点の作品によって振り返る大規模個展となる。
本展の会場構成はリヒター自身が手がけており、具象から抽象まで、各時代、各シリーズの作品が場内で入り乱れるような構造となっている。来場者は自らの目で作品を結びつけながら空間を移動し、リヒターが問い続けてきた「見る」という行為を追走することになる。
本展におけるもっとも大きなトピックは、やはり初来日することとなった4点からなる絵画作品《ビルケナウ》(2014)の展示だろう。アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で密かに撮られた4枚の写真イメージから描かれたという本作だが、キャンバスには具象的なものは見つからない。黒と白を基調に、赤と緑の絵具によって塗り固められたこの絵画は、その積層の下に複製写真のイメージが描かれており、鑑賞者である我々は絵画を制作する行為の結果でしか無い作品に塗り込められたイメージから、それが表象するであろう複雑な歴史を想起することになる。
この《ビルケナウ》は、リヒターを代表する絵画の制作手法であるアブストラクト・ペインティングによって描かれている。リヒターが70年代より取り組んできたこの手法は、「スキージ」と呼ばれる自作の長細いへらを用いるもの。この道具で絵具を伸ばしたり削ったりすることで制作された作品は、描くという行為をつねに鑑賞者に意識させる。
担当学芸員の桝田倫広によれば、《ビルケナウ》を自身の作家活動における重要な仕事に位置づけていたリヒターは、本作を描いたあとは「自由になってもいいと思うようなった」という趣旨の言葉を残しているという。本作の後のアブストラクト・ペインティングは色彩の鮮やかさが増していくが、2017年に自身最後の大型絵画を宣言したことで終幕を迎えた。本展ではこうしたディティールの変化も、《ビルケナウ》から最後のアブストラクト・ペインティングとなった2017年の作品をたどることで、より理解しやすい。
アブストラクト・ペンディングにたどり着く以前から、リヒターはフォト・ペインティングに取り組んでおり、現在まで継続的に制作されてきた。紙媒体に掲載された報道写真や広告写真、また個人的な家族写真などをキャンバスにボケたように描き写すこの手法は、題材の持つ意味をできるだけ薄くすることで、絵画を描く行為それ自体が意味を帯びているといえる。
また、アブストラクト・ペンディングに至る系譜としては、60年代後半から取り組んできたグレイ・ペインティングも重要なシリーズとなる。「無を示すのに最適」とリヒターが語る灰色、その階調のみで描かれたこのシリーズは、筆やローラーといった行為の形跡を前景化することで、やはり見るものに描く行為についての思索を喚起させている。
いっぽうで本展では、いまもリヒターが手元に残している家族の肖像や身近な風景を描いたフォト・ペインティング作品も見ることができる。絵画の意味性の剥奪を志向してきたように思えるリヒターだが、これらの作品からリヒターという作家の個人的な思いの在り処を察してみるのもおもしろいかもしれない。
会場内において、ひときわ明るい彩色で目を引く作品が、カラーチャートのシリーズ作品《4900の色彩》(2007)だ。公共空間に設置する大型作品の製作依頼に応える過程で生まれた本作は、東ドイツ時代、壁画制作を職業としてきたリヒターが、公共空間におけるイメージのあり方を思考した軌跡ともいえる。既製の色見本(カラーチャート)の色彩を偶然にしたがって配する本作は、私たちの身の回りの公共空間にあふれる、あらゆるイメージとの接続も想起させる。
ガラスや鏡を用いた作品もリヒターは数多く制作している。会場の中心に置かれた《8枚のガラス》(2012)は、角度を違えて重なるように設置された8枚のガラスの作品だ。反射と透過の比率を巧みに調整されたこのガラスは、光の反射によって像を認知するという絵画の根本的な機能についての問いを見るものに投げかけてくるようだ。ガラスと金属によりつくられた作品が、絵画についてことさら雄弁に語るという、リヒターの思考を端的に表したような作品となっている。
ほかにも、唯一となるフィルム作品《フォルカー・ブラトケ》(1966)や、ガラス板にラッカー塗料を転写させることでつくる「アラジン」シリーズ、絵画をスキャンしたデジタル画像を2等分し続け無数の細い横縞をつくり出した「ストリップ」シリーズなど、展示作品の数々から、リヒターの絵画に対する飽くなき問いに触れることができる。
2020年、リヒターは今後作品番号をつける作品を制作しないと述べたという。しかし、本展において展示されたドローイング作品は、いまなおリヒターが描き続けているものだ。枡田は次のように語る。「リヒターにとって絵を描くということは、職業という枠を超えた、ひとりの人間としての営みなのではないか」。
また、国立近代美術館では本展にあわせて、収蔵作品展である「MOMATコレクション」内で「ゲルハルト・リヒターとドイツ」という章が設けられている。ここではリヒターの《9つのオブジェ》(1969)や《抽象絵画(赤) 》(1994)が、ベルント & ヒラ・ベッヒャーやゲオルク・バゼリッツといった、ドイツ現代美術の巨匠の作品とともに展示されている。こちらも見逃さないようにしたい。