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彫刻家・名和晃平が最新作を十和田で公開。初期のドローイングとともにその思考を追う

今年9月に開館する十和田市地域交流センターを記念して、同館と十和田市現代美術館において、彫刻家・名和晃平の個展「名和晃平 生成する表皮(Genetarive Interface)」が始まった(十和田市地域交流センターは10月1日からを予定)。本展のための最新作とともに、大学院生時代のドローイングシリーズ「Esquisse」で構成される空間は、彼の創作の思考をたどれる貴重な体験を提供する。オープニング記念として催されたアーティスト・トークとともにレポートする。

文・撮影=坂本裕子

展示風景より、名和晃平《Biomatorix(W)》(2022、部分)

 京都を拠点に世界的に活躍する彫刻家・名和晃平は、セル(細胞・粒)という概念で世界を認識するという独自の手法を掲げ、ガラスや液体、身近な既製品などの様々な素材や技法を使い、「彫刻」の新しいあり方を一貫して追求している。

 代表作「PixCell」シリーズは、鹿や羊など動物の表皮を大小様々なガラス玉でびっしりと覆った作品。それは、彫刻の定義を大きく揺るがすとともに、観る者は、目の前にありながら、対象をそのレンズを通した断片の集合体として認識するしかなく、同時に覆われた動物もまた、世界をたくさんのレンズの重なりとしてとらえる状態にあることを示唆する。レンズをカメラととらえれば、全方向的に増殖するカメラによって、事物を観測し、理解し、その情報を共有することで成り立つという、情報化社会のあり方へと重なっていく。名和は、視覚というこれまた人間に備わった生物の機能としてのレンズも含め、観測の対象と世界の認識との関係性を問うてきた。

十和田市現代美術館の常設展示室より、《PixCell-Deer#52》(2018) ※2023年9月まで公開
十和田市現代美術館の常設展示室より、《PixCell-Deer#52》(2018) ※2023年9月まで公開

 「情報化」と「観測すること」が名和の大きな起点といえる。それは、宇宙や自然の現象の認識への無限の可能性であり、「物質がどのように生物になるのか」を考える契機となる。

 太古から変わらない現象に、新たなイメージを重ね合わせること、私たちが日常的に享受し、理解している(と思っている)ものから「こぼれ落ちた情報領域」を提示することで、現象への解釈は拡がり、それを受け止める感覚と想像は拡張するとする名和は、だからこそ、物質と感覚を連結させるインタ―フェイスとして、もっとも鋭敏に現象が発露し、接触する「表皮」にこだわり続ける。

 まさにその概念を表すタイトル「生成する表皮」を付された本展「名和晃平 生成する表皮(Genetarive Interface)」は、現在、十和田市現代美術館で常設展示されている「PixCell」にはじまり、同館の展示室のために新たに制作された《Biomatrix(W)》、美術館では初展示となる新作「White code」シリーズで構成される。

十和田市現代美術館

 名和の作品では「視触覚」という言葉がよく使われるが、作品は様々なかたちで“目で触れる”体験の空間を創る。その創作の変遷のなかに、通底した意図を感じることができるだろう。

 注目は、名和が院生時代に制作していたドローイングシリーズ「Esquisse」の展示だ。コロナ禍、移動も制限される中で、実家の整理をしていて見つけたという二百数十枚のドローイングを、現象をキャプチャすること、セルの概念をどう視覚化するかという視点から改めてみたときに、現在の作品につながっているものを見出したという。

展示風景ドローイングシリーズ「Esquisse」

 「学生時代から普通の画材をそのまま使わないで表現を模索してきた。これらのドローイングも小さい頃に習っていた習字の残りであった紙と墨などを使っている。何層もの半紙に朱墨を染み込ませて途中で引き抜いたり、デカルコマニーのように合わせたり、割りばしの破片を浸けペンのようにして描いたり。そうしたなかで、血が赤いのはなぜか、植物の緑はなぜなのか、そう見えるのはどうしてなのか、思考を重ねていくうちに、視覚も意志も持たないのに、ネットワーク化して環境を認識している粘菌から、細胞(セル)の集まりへとつながっていった。何かを求めて空間を這って増殖していくイメージで、ドローイングはここでとどまっているけれど、いつでも再開できる終わりのない手の跡になっている」(名和)。

 紙の上に浮かび上がドローイングの数々は、近づいてみると、いまにも動き出すかのごときエネルギーを秘め、ふるえるような息づかいを感じさせる。名和の思考が手を伝わって表わされた、つぶやきのような、詩のような繊細で美しく、そして力強いシリーズだ。

ドローイングシリーズ「Esquisse」より、《Untitled》(2000)

 圧巻は、《Biomatrix(W)》だろう。広い展示室には、白い泡が浮かんでは消える長方形のプールだけ。白く発光させたシリコーンオイルの海に、一定の間隔で設置したエアポンプから空気が送り込まれることで、グリッド状になった表面に泡がポコポコと沸き立っている。近寄れば、その泡のはじける瞬間の音や、ジワジワというようなシリコーンオイルの粘度が生じさせる音が耳に入ってくる。生まれては消える、単純な動きを繰り返す泡(セル)なのに、なぜか見入ってしまう。

展示風景より、名和晃平《Biomatorix(W)》(2022)

 驚くべきことに、整然としたグリッドの並列になっている表面は、一切の仕切りなどはつくられていない。それぞれの気泡がもたらす波紋の停滞のタイミングで、シリコーンオイルに付けられた顔料が受け止める光の陰影がつくり出しているものなのだ。かき混ぜれば一瞬で升目は消滅し、また数秒後には何事もなかったかのように復活するのだという(名和談)。

 つまりグリッドは、私たちの視覚が読み取っている情報としてしか存在していない。

展示風景より、名和晃平《Biomatorix(W)》(2022、部分)

「静かに音とともにみてほしい。テレビの砂嵐のように、現象をずっとみていると、“見ている”状態がまっさらになる。『現象』と『見る』とが等価となった時、体の中のリズムが一致して、意識、知覚ともに外部(自然)と接続されている、そんな“差のない、ニュートラルな状態”をつくれないか、と考えた」と語る名和は、ライティングにも細やかな意識を配した。これまでのシリーズでは、プールの縁ギリギリでライトを落としていたが、今回は、その周囲も含めて、ふわりと照らされている。これにより作品は、そのものだけのイリュージョニスティックな存在ではなく、その空間に在るものとして物質性を付与された。

 同時に、エアポンプから送り出される空気も細かくコンピュータで制御していたものを、今回は一切行わず、自然のままに泡が発生するようにとどめたという。

 「時代の気分なのか、自分の気分なのか、今回は、“ただそこに在るものを見せたい”と思った。コンピュータで制御するのは大好きなんだけれども(笑)、今回、『PixCell』の制作と併せて初期の『Esquisse』を出したいと思ったことで、自身の制作の時間軸的なものを意識した。そして十和田という街で出会うこと、これをできるだけシンプルなものにしたいと感じた。十和田市現代美術館のホワイトキューブという空間で、ビジュアルなものと出会うインパクトというスペクタクルではない、そしてメディアアートといわれるようなイリュージョンではないもの、時間とともに自身の体験の中に堆積する何か、それが記憶となって残るようなものにしたかった」(名和)。

 あらゆる既存の形、状態に、異なるアプローチをしてきた名和らしい美術館のとらえ方は、プールの中で生成し消滅する永遠の繰り返しのささやかな胎動を空間全体に波及させて、みごとなインスタレーションに昇華している。

 最新作の「White Code」シリーズは、絵画のような彫刻作品。粘度を調整した白い絵具がしたたり落ちる下にキャンバスを秒速1センチの速度で何度か通過させる。それにより目の粗い麻布の上に落ちた絵具の粒(セル)は、点のまま残ったり、繋がって線になったり、拡がって面になったり不規則に変化して画面を構成する。しかし、あくまでも描くはずのインクそのものは動いてはおらず、支持体の方が移動した結果が刻印される。

展示風景より、名和晃平「White Code」シリーズ

 褐色の画面にのこされた白い刻印は、美しい絵画にもなるが、プツプツと盛り上がった白い絵具は、コンピュータのプログラムコードのようにも、磁気テープの表面を拡大したようにも、はたまたまさにテレビの砂嵐の画面のようにも見えてくる。

 キャンバスに絵具をのせるという、もっとも基本的な「描く」という行為や、デジタルとアナログの概念を反転させ、そこから情報と意味、データとマテリアルな質感との関係性への思考をうながしてくる。

 盛り上がったインクも彫刻と考える名和は、絵画と彫刻という近代以降あたり前とされる認識も軽やかに飛び越える。

展示風景より、名和晃平《White Code#8》(2022、部分)

 10月から開催が予定されている地域交流センター(仮称)での展示では、版画作品「Array-Black」シリーズから、《Dot》や《Line》などの作品が見られるという。

名和晃平 Dot Array – Black #239 2022 木製パネルにUVプリント、紙、アクリル 56×100cm 提供=Gallery Nomart 撮影=加藤成文

「光の受け方で画面が変わる。“よく見ないと見えない”作品で、“鑑賞すること”のズレを意図した。人間は、一定の感覚が形成されるとそれに慣れてしまい、他はおのずと排除されてしまう。それは、能力の一部しか使われていないことで、気づかないうちに眠らされているこの機能を覚醒し、拡張させるのがアートの力だと思っている。資本主義社会では、みんなが理解しやすいものにあらゆるものが固定しがちで、そこから自由に枠組みを外して、新たな可能性を提示する、そこにアートそのものの信頼性を取り戻したい」(名和)。

 十和田での制作を経て、今後の創作の新しい展望を聞くと、「やりたいことがいっぱいありすぎて、時間も技術も追いつかない。どうしようかと......」と、困ったような、しかし嬉しさいっぱいの笑顔で返答があった。

 「セル」を通して世界の、生命の新たな認識をうながすこと、日常からこぼれ落ちた情報を示唆することで受け手の認識と感覚を拡張すること、想像力を刺激すること、そしてそれができるアートの可能性を発信し続けること。名和の進化/深化もまた、可能性に満ち、拡張を続けていく。これからにも期待が高まる。

名和晃平 最新作《Biomatorix(W)》の前で

 なお同館常設展では、十和田湖に在った一艘の古木船を使った塩田千春のインスタレーション《水の記憶》(2021)や、昨年11月に新しい箱としてオープンしたレアンドロ・エルリッヒの《建物—ブエノスアイレス》(2012/2021)なども展示中。あわせて楽しみたい。

展示風景より、塩田千春《水の記憶》(2021)
展示風景より、レアンドロ・エルリッヒ《建物─ブエノスアイレス》(2012/2021)

編集部

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