1972年5月、戦後長らくアメリカの統治下にあった沖縄が日本へと返還。今年は返還から50年の節目となる。これを記念して、琉球の歴史と文化をひもとく過去最大規模の特別展「琉球」が上野の東京国立博物館で開幕した。会期は6月26日まで。なお、本展は九州国立博物館に7月16日より巡回する。
展覧会は5章構成で、琉球列島の先史文化から琉球王国の隆盛、いまも受け継がれる祈りの文化などを紹介。東京国立博物館と九州国立博物館の2館のコレクションを中心に、九州・沖縄地区の博物館が所蔵するものも含めて、国宝を含む400点近い品々が一堂に集結した。
第1章「万国津梁 アジアの架け橋」では、交易で発展した琉球王国の文物を紹介する。琉球王国は現在の沖縄県から奄美諸島に存在した国家で、11世紀〜12世紀に一体的な文化圏を形成。「中山」「南山」「北山」の3王国が鼎立した時代を経て、15世紀に政治的に統合を遂げた。本章では、中国、日本、朝鮮、東南アジアなどがアジアの海で豊かな交流を繰り広げた時代に、その中継貿易の拠点として栄えた琉球王国の姿をいまに伝える品々が並ぶ。
重要文化財となっている藤原国善作の銅鐘《旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)》(1458)。この鐘には、琉球が自らを蓬莱島になぞらえ世界の架け橋(万国津梁)たらんとする気概が撰文として刻まれており、当時の琉球王国のあり方を端的に伝えるものといえるだろう。
三山統一時代以前からグスク(城)として使われてきたと考えられている首里城をはじめ、沖縄各地のグスク跡や遺跡から出土した品々も、中国、朝鮮、東南アジアなどの器が入り混じり、琉球王国が交易で担った役割をいまに伝える。会場には景徳鎮や龍泉窯でつくられた陶磁器、明時代に現在の福建省で焼かれた「華南三彩」、「シャム南蛮」と呼ばれる《褐釉四耳壷》(16世紀)などが並ぶ。
第2章「王権の誇り 外交と文化」では、1470年からおよそ400年にわたり琉球王国を治めた第二尚氏の王権と、その庇護のもと花開いた独自の芸術文化を紹介する。
本章では、国宝に指定された尚家伝来の貴重な品々を展示。国宝《玉冠(たまんちゃーぶい)[付簪(つけたりかんざし)]》(18〜19世紀)は、現存する唯一の琉球国王の冠だ。明王朝の冠の規定に従いながらも、時代が下るとともに金筋の数が増え独特の美意識が投影されていった、琉球ならではの装飾が見どころだ。
また、国王の正装衣裳である国宝《赤地龍瑞雲嶮山文様繻珍唐衣裳》(18〜19世紀)を筆頭に、鮮やかな織りや柄があしらわれた当時の衣裳類が数多く展示。加えて、沈金や螺鈿の格調高い装飾が目を引く杯、箱、盆など、当時の宮中の華やかな生活を想像させる名品も見どころだ。
当時、首里王府に属した絵師たちの系譜や作品が紹介されるのも、本展の特色だろう。清代の福州で活躍した画家・孫億は、留学してきた琉球の絵師を指導し、琉球画壇に強い影響を与えた。会場では孫億の絵のほか、孫億に学び琉球画壇を代表する絵師となった山口宗季(呉師虔)、その弟子である座間味庸昌(殷元良)、山水や花鳥図を残した泉川寛英(慎思九)といった、東京ではまとまって見る機会の少ない琉球画壇の作家たちの作品を見ることができる。
第3章「琉球列島の先史文化」では、縄文時代や貝塚時代の出土品が紹介される。会場にはジュゴンの骨でつくられた《蝶形骨製品》(縄文時代晩期)のほか、貝やサメ歯といった素材でつくられた装身具が展示され、海洋由来の素材がこの時代の道具の素材として重宝されていたことをいまに伝える。
また、本州・四国・九州の弥生文化とは異なり、琉球列島では「貝塚文化」と呼ばれる、海の恵みと交易を土台とした文化が花開いた。遺跡から出土した南海産の大型巻貝であるイモガイや、ヤコウガイを柄杓型に加工した《貝匙》(貝塚時代後期、6〜7世紀)などからは、その豊かな文化を垣間見ることができる。
第4章「しまの人びとと祈り」は、祭祀に代表される琉球の人々の宗教観や美意識を紹介するものだ。
村落の祭祀をつかさどる「ノロ」と呼ばれる女性を描いた《ノロの図》(第二尚氏時代、19世紀)や、ノロが身につける「ハビラハビギン」や用いる「神扇」、神女が村落祭祀で身につける「玉ハベル」や「玉ダスキ」といった祭りの道具の展示から、琉球が育んだ豊かな祭祀の文化を感じてほしい。
また、この章では久米島、宮古島、八重山などでつくられた衣裳も紹介される。各島の風土や歴史ににかたちづくられた衣裳を比較することで、ひとくちに琉球といっても、そのなかで多彩な文化が花開いていたことがわかるはずだ。
最後となる第5章「未来へ」は、首里城の復活を中心に、沖縄復帰後の半世紀において琉球・沖縄のアイデンティティを取り戻すための努力がいかに行われてきたのかを伝える展示となっている。
近代の沖縄研究において重要な役割を果たしたのが伊波普猷(1876〜1947)だ。「沖縄学」の父と呼ばれる伊波は、1879年の琉球処分後、日本への同化が進む沖縄の歴史や文化を強く眼差した。伊波の「日琉同祖論」などは日本との同化政策に利用されるという負の側面があることは無視できないが、琉球・沖縄を文化としてとらえる機運をつくった運動といえる。
また、沖縄を調査して膨大な琉球・沖縄関連資料である「鎌倉資料」を残した鎌倉芳太郎(1898〜1983)も、近代の琉球研究を語るうえで重要な人物のひとりだ。本章での伊波、鎌倉による資料展示を契機に、近代以降琉球・沖縄文化がいかに研究し、歴史のなかで位置づけられてきたのかを学んではいかがだろうか。
そして、本章の展示のメインとなっているのが首里城だ。第二尚氏時代に王城となった首里城は、明治の琉球処分を経て、荒廃した大正時代には解体撤去の危機に瀕したが、鎌倉をはじめとする識者たちの奔走によりそれを免れた。しかし、第二次世界大戦末期の沖縄戦で消滅。その後、正殿は復元され1992年に一般公開、2019年には整備事業が完了したが、同年の火災により主要な建物はすべて焼失した。
会場では、各時代の首里城を知ることができる図や、戦前に首里城正殿前に設置されていた《大龍》」、そして往時の首里城を伝える映像展示などをみることができる。2026年度の正殿再建を目指して動く首里城の歴史に改めて思いを馳せたい。
本展の白眉となっているのは、第2章で展示される尚家伝来の国宝群だろう。しかしながら、これらの国宝は戦前に東京へ移されていたために沖縄戦の戦火を免れた品々だ。本展では各展示パネルを読むだけでも、いかに多くの文化遺産が戦争で失われていたのかがわかる。いま見ることができる残された文物が、過去の遺産としてだけではなく、琉球・沖縄のアイデンティティとはなにかを改めて考える礎となることを願わずにはいられない。