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「沖縄の問題」にアートはどうアプローチできるか。山本浩貴評「岡本光博展 オキナワ・ステーキ」

東京・神楽坂のeitoeikoにて、ポップ・アイコンをモチーフとした作品や、風刺的な表現で知られる岡本光博が個展を開催。作家自身がかつて滞在していた「沖縄」をタイトルに据え、米軍基地問題などをテーマとした作品が展示された本展を、文化研究者の山本浩貴がレビューする。

山本浩貴=文

展示風景より、《落米のおそれあり》(2017)  Photo by Daisaku OOZU

「沖縄」と「オキナワ」のあいだ

「沖縄」と「オキナワ」のあいだ──そこが焦点となる。展覧会タイトルを耳にしたとき、そのように思った。東京・神楽坂のeitoeikoで開催されている「岡本光博展 オキナワ・ステーキ」(2021年2月6日~27日)のことである。

岡本光博 オキナワ・ステーキ 2005 Photo by Daisaku OOZU

 2004年から06年にかけ、岡本光博は沖縄を拠点に活動した。そのあいだの04年8月13日、沖縄国際大学に在日米軍のヘリコプターが墜落する事件が起きた。本展キュレーションを務めた工藤健志(青森県立美術館学芸員)によると、岡本は「現地の大学で非常勤講師を務めた際に、米軍のジェット機の騒音を沈黙のままやり過ごす学生を目の当たりに」し、そうした状況に疑問を抱いた。彼が沖縄と本土の関係、あるいは在日米軍の問題にアプローチする作品を数多く制作してきた背景には、こうした実体験がある。

「広島」と「ヒロシマ」、「福島」と「フクシマ」、そして「沖縄」と「オキナワ」──いずれのペアでも、前者がそこにいる具体的人々を含む地理的区域に与えられた名称であるのに対し、後者は人類史上の忘れがたい災厄と不可分な抽象的記号として使われることが多い。世界で初めて原子爆弾が人間に炸裂した「ヒロシマ」は、恒久平和と反核のシンボルとなった。いっぽう、東日本大震災に伴って国際原子力事象評価尺度(INES)のもっとも深刻な事故に分類されるレベル7の原子力事故が発生した「フクシマ」は、「21世紀の冒頭で、20世紀がはじめて大規模に暴発させた[核に対する]恐れや問いをよみがえらせた」地が授けられた普遍的名辞である(*1)。

岡本光博 赤絨毯 2020 Photo by Daisaku OOZU

 かつて琉球王国を形成した沖縄は、近代国家・日本の境界線を画定する政策のなかで、強権的にその一部に組み込まれた(琉球処分)。さらに第2次世界大戦における日本国内唯一の大規模な地上戦である沖縄戦では、「県全土とその人々が本土と天皇の防衛のために犠牲となった」(*2)。1952年に日本が独立を回復したとき、アメリカは沖縄を共産主義に対する防波堤として重要視したため沖縄は本土から切り離され、72年までアメリカ占領下に置かれた。多くの人々が、この出来事を「第2の琉球処分、すなわち日本の政治・経済的復興を目的に沖縄を犠牲にすること」と理解する(*3)。そして現在、沖縄は冷戦の遺産としての米軍基地を多数抱える。こうした植民地化と搾取の多層的歴史の象徴として「オキナワ」がある。

 社会学者の開沼博は「『フクシマ』とは3・11以後に、それまでとは違い、世界を浮遊するようになった、見られる福島、表象としての福島のことだ」と定義したうえで、「確実に『福島の現実』と、そこから乖離し世界を浮遊する表象としての『フクシマ』との溝はますます深まり、「支配する眼差し」のなかで震災以前にあった構造が、それと同じかそれ以上に深く再生産されようとしているなかで、あえて「フクシマ」を軸に課題を提起し続ける意義は大きい」と言う(*4)。だが、過度の抽象化・記号化はそこに生きる人々の多様性を縮減し、その場所で作動する複雑な力学を不可視化するリスクもあるだろう。重要なことは、そして極めて困難なことは、そのあいだに踏みとどまりながらバランスを保つことである。

岡本光博 演習中 2005 Photo by Daisaku OOZU

 岡本(キュレーターの工藤)は、本展のなかで「沖縄」と「オキナワ」のバランスをどのように保持しているのか──そこに関心があった。

 本展には、主に岡本が沖縄を拠点とした2004〜06年につくられた作品が多数展示されている。展覧会タイトルにもなっている《OKINAWAN STEAK》(2005)は、日本人とアメリカ人と思われる2人のシェフが沖縄のかたちをしたステーキを切り分けている姿を描いた絵画である。太平洋をまたぐ日米の軍事的要請が沖縄を食い尽くそうとしている──こうした状況を風刺しているのは明らかだ。もともと沖縄県内の商店街のシャッターに描いた《落米のおそれあり》(2017)は、大学非常勤講師時代の経験を(交通標識というユーモアも交えて)政治批評性のある表現に昇華させた作品である。

岡本光博 一方的な英雄たち 2005 Photo by Daisaku OOZU

「本展はこれまで岡本が制作した沖縄関連の表現からユーモアとウイットに富む作品を中心にセレクトし、その寓意性をもって、固定化した地域認識を乗り越え、沖縄に対するより自由な思考を喚起する場を提示する試みである」とは、展覧会カタログに記されたキュレーター・工藤の言葉である。自身の経験とそこから派生する思索から生まれる岡本の作品は、鑑賞者を強く引き付けるリアリティとインテンシティを備え、「オキナワ」に偏在する問題の所在を鋭くえぐり出す。しかし、岡本はけっして安易な一般化だけに頼ることはない。その作品群には、彼が実際に見て感じた「沖縄」の諸相が顕現している。

 また、岡本はトラブルを恐れた過度の配慮(自主規制)とも無縁である。そのため、彼の作品は鑑賞者が安全地帯からそれを眺めることを許さない。それを眺める人々は、つねに自らのポジショナリティを批判的・反省的に見つめ直さざるをえない。以前、筆者は岡本にインタビューを行ったことがある。彼は自身の芸術を通して論争をつくり出し、タブー視されてきた主題に関する議論を喚起することをいつも念頭に置いていると述べた。沖縄の問題に関して避けられてきた「議論を喚起すること」──本展の作品群には、こうした岡本のエートスが存分に発揮されている。

展示風景より Photo by Daisaku OOZU

 最後に、アーティストとしての岡本のもっとも驚くべき特性のひとつに言及して本稿を閉じる。それは彼の多産性と行動力である。思い立ったら即行動する岡本の性格がトラブルを招いてきたことは一度や二度ではない(と自分で語っていた)。本展出展作は、この時期に制作された沖縄関連の作品のほんの一部である。2000年代以降、やむことなく精力的に作品を生み出し続ける岡本のエネルギーに、筆者は改めて驚嘆の念を覚えた。

*1──ジャン=リュック・ナンシー著『フクシマの後で—破局・技術・民主主義』、渡名喜庸哲訳、以文社、2012年、27–28頁。
*2── Gavan McCormack and Satoko Oka Norimatsu, Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States, Rowman and Littlefield, 2012, p42.
*3──Frank Brandes, Josef Kreiner, Ralph Lützeler, and Hans-Dieter Ölschleger, Minorities in Japanese Society, Brill, 2004, p248.
*4──開沼博著『フクシマの正義—「日本の変わらなさ」との闘い』幻冬社、2012年、375頁。

編集部

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