2021年4月、現代美術家・柳幸典の手でロビー兼ギャラリーをリニューアルさせた京都の老舗旅館「すみや亀峰菴」が、140平米におよぶ巨大なアートルーム「呼風」を新たにオープンさせた。
京都府亀岡市に位置するすみや亀峰菴は、1955年創業。かつてはジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、松田優作なども宿泊したことで知られる旅館だ。昨年には「外と内」「室内と庭」「ロビーと宿泊棟」の橋渡しをするトンネルの役割を担う5つの「鉄のキューブ」が存在感を放つロビー兼ギャラリーが生み出され、柳の作品が複数点展示されている。
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この旅館に新たに誕生したアートルーム「呼風(こふう)」は、柳の作品世界を一晩滞在しながら体験できる露天風呂付きのスイートルームだ。旅館5階にあった3つの客室を1つにつなげた巨大なこの空間はギリシャ神話でのイカロスが幽閉されていた迷宮から着想された。柳はこのプロジェクトについて、次のような言葉を寄せている。
禅語における「呼風」とは、風を呼ぶ力があるということから、不可思議な素晴らしい能力を持つ者についていう場合もあるとのことだが、まさしくそのような能力を持つ匠とのコラボレーションによる空間は、日本の伝統文化と現代美術が融合した新しい風を呼んでくれるものと願っている。そして天の間にしつらえた菊の紋様の壁と地の間にしつらえた日本刀による私の作品「菊と刀」から、現代の日本の再生の物語 — 天に近づきすぎて翼が焼かれ墜落するイカロス — について夢想していただけたなら、百代の過各をお迎えする逆旅としての本望である。
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ではその内部を見ていこう。ロビー兼ギャラリーと共通する鉄製の扉を入ると、宿泊者は柳作品の象徴でもある回廊へと歩みを進めることになる。「イカロスの回廊」と名付けられたこの場所の左右には鏡が設置されており、まるで迷宮だ。鏡には三島由紀夫の詩から引用された言葉が浮かび上がる。
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回廊の先には、「天の間」と「地の間」、そして「菊花の間」が配置されている。
ベッドルームである「天の間」の壁面では、和紙職人・ハタノワタルとの協業により生まれた柳の作品《菊と刀》の「菊」が存在感を放つ。ルース・ベネディクトが日本文化について考察した『菊と刀』から引用された《菊と刀》。ここでは和紙によって菊の浮き出し模様と金箔の花びらが壁に散りばめられ、花占いを思わせる「すき」「きらい」という言葉が添えられている。
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いっぽうダイニングルームである「地の間」には、左官職人・久住章が手がけた夕陽を思わせる壁と、上述の「菊」と対を成す《菊と刀》の「刀」が展示されている。
第二次世界大戦終戦の年につくられたという軍刀を使ったこの作品には、柳によって日本国憲法第九条が彫り込まれている。武器である刀と戦争放棄を謳う九条。柳はそこに生まれる矛盾から、現代日本の国家としてのかたちについて思索してほしいと語る。
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アートルーム「呼風」では2つの独創的な露天風呂も大きなポイントだ。「天の間」では分厚いアクリルによってつくられた透明かつミニマルな「天の風呂」から虹が浮かび上がり、視覚的に天を表現している。
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客間である「菊花の間」の先には、破れ壺と「地の風呂」がある。1200度を超える高温で焼かれ変形した破れ壺は陶芸家・石井直人の作。また「地の風呂」には石井による織部釉の緑の陶板と久住が手がけた巨大な浴槽があり、大地の力強さを伝える。なお、菊花の間には今後、帯匠十代目・山口源兵衛が伊藤若冲の菊花から着想した意匠が加えられるという。
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すみや亀峰菴の代表取締役・山田智はこの新たな試みであるアートルームについて、「『呼風』とは風を起こすもの、風を呼び込むという意味を持つ。ただゆっくりしてもらうだけではなく、様々な思いを巡らせてほしい」と期待を寄せる。