名の召喚
フィリピンはコロン湾の水深33メートル地点で現在も沈黙し続ける旧日本帝国海軍の水上機母艦「秋津洲(あきつしま)」。Blum & Poeでの柳幸典の初個展は、1990年代後半から2000年代初頭にかけてつくられたこの秋津洲をめぐる旧作と新作によって構成された。
秋津洲についての旧作は、2000年に広島市現代美術館で開催された「柳幸典展-あきつしま-」で発表されている。ここでは秋津洲と同様、米軍の攻撃によってコロン湾に沈没した給糧艦「伊良湖(いらこ)」の2艦がモチーフとなった。これらは柳が隠された記憶を保ち続ける場としての太平洋に着目した「パシフィック・シリーズ」に連なる作品だ。
しかし今回の個展では、伊良湖をモチーフとした作品は出品されず、秋津洲についての作品のみが中心となった。なぜ、秋津洲なのか。そしてなぜ、2019年のこのタイミングで再び「秋津洲」を「アキツシマ」として焦点化する必要があったのか。ここには柳による確信犯的な問題提起があるように思えてならない。
さかのぼれば秋津州という言葉は『日本書紀』に登場する。ここから秋津州は「本州」を意味する呼称となり、「日本列島」の別称として日本国の総称をあらわした。そのような名を冠された艦、秋津洲は、製造・設計が初めて国内で行われた防護巡洋艦であり、日清・日露戦争で活躍した。
初代秋津洲は1927年に除籍となるが、42年に名を継ぐかたちで再び建造された。2代目の秋津洲は、攻撃力を持たず、大型飛行艇への補給、整備を任務とする世界唯一ともいわれる特殊な航空母艦であった。この秋津洲は1944年9月、米軍の攻撃により沈没し、伊良湖とともに海底で眠り続けている。敗戦の記憶を色濃くとどめる「沈んだ日本列島」を、柳はスキューバダイビングで探索し、その記録を作品化した。
これは柳の代表作のひとつ、色砂でつくられた万国旗を蟻が巣づくりの過程で越境していく様子をとらえた《ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム》(1990)の構図を想起させる。どういうことか。本作の前身にあたる星条旗を用いた《アメリカン・フラッグ・アント・ファーム》(1989)において、柳はこのような指示文を示していた。
You are given the U.S.A. You are left to wander in this space. あなたたちはアメリカ合衆国を与えられた。あなたたちはこの空間に残されてあてもなく動き回る。
このインストラクションにおける「あなた・あなたたち」とは、本作の実質的な制作者である蟻であり、蟻の営巣の痕跡をたどる鑑賞者でもあった。とくに秋津洲を探索する行為を記録した一連の作品群は、柳自身によるこのインストラクションの翻案と再演に思える。沈没した秋津洲という「不能の国」を作家本人がさまよい、私たちに与えられたものはいったい何だったのかを再認識する試みであるからだ。
現在、秋津洲という名は海上保安庁における最大の巡視船「あきつしま」に引き継がれている。同型の「しきしま」は、使用済み核燃料、プルトニウム輸送の護衛を目的として製造されたが、2012年に進水式が行われたあきつしまは、マラッカ海峡・ソマリア沖の海賊問題や尖閣諸島問題に対応するために導入された。
本展における新作《アキツシマ50・Ⅰ/Ⅱ》(2019)は、2000年に発表され、広島市現代美術館に収蔵された、鋳物による秋津洲の50分の1サイズ模型《アキツシマ50・Ⅰ》の新しいバージョンである。過去作の「うつし」をつくることを通じて、2000年の発表当時と2019年のあいだの20年弱に起こった日本という国、および太平洋をとりまく外圧の変化を、戦中と戦後の連続性を直視するかたちで、繰り返し召喚され続ける「アキツシマ」という旧日本国の名称に重ねて提示したわけだ。
本展は、Blum & Poe Los Angelesで開催され、「パレルゴン」という語をめぐり話題になった「PARERGON: Japanese Art of the 1980s and 1990s」(キュレーション:吉竹美香)と、2020年に同ギャラリーで開催予定の柳の大規模個展をつなぐ布石である。「アキツシマ」と同様、「パレルゴン」もまた、「名の召喚」という点でじつに興味深いものを有している(*1)。海外資本のコマーシャルギャラリーという場の特性を織り込み、柳がここでアキツシマを通じて日本という国を「商品化」してみせた意義は大きい。
さて、今年2020年は広島県初の大規模芸術祭「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」の開催が決定している。本トリエンナーレにおいて柳はキーマンであり、自身がディレクターを務める「アートベース百島」が位置する百島も主要会場のひとつとしてすでにプレイベントが催され、話題を集めた(*2)。
2019年は「あいちトリエンナーレ2019」を通して、津田大介がいわゆる北川フラムモデルではない国際芸術祭のあり方を示した記憶されるべき年だ。オリンピックイヤーである2020年は、札幌国際芸術祭2020、さいたま国際芸術祭2020、ヨコハマトリエンナーレ2020と大規模な芸術祭が続く。芸術祭という形式が日本においてどのように機能するかが真の意味で試されている。
あいちトリエンナーレの達成と課題は、どのようにひろしまトリエンナーレ、そして今後の国際芸術祭に引き継がれるのか。ここにおいてアーティストとして柳が果たす役割は刮目に値するだろう。
*1──Blum&Poe Los Angelesで2019年2月から2会期にわたって開催された同展のキュレーター・吉竹美香による論考と、展覧会名の由来となったギャラリー「画廊パレルゴン」の主宰者・藤井雅実の証言が『美術手帖』2019年6月号に掲載されているが、ある意味では「日本・美術」の海外マーケット向けのパッケージ化に不可避とも言えるこの問題の根幹を見据えたかたちでの検証が望まれる。
*2──2019年11月17日にアートベース百島で開催予定であった、あいちトリエンナーレ2019の一企画「表現の不自由展・その後」に出品した大浦信行らが登壇したシンポジウムはいわゆるネット炎上状態となるも、警備体制を強化することで無事開催された。当日の様子は次の記事が詳しい。辻田真佐憲「愛知、ウィーンに続いて「またプロパガンダ」の声 離島アートイベント炎上で街宣車、警察官が上陸」https://article.auone.jp/detail/1/2/5/136_5_r_20191124_1574560803891514