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2022.4.18

池田亮司が弘前れんが倉庫美術館の個展で語ったこと。「意味や答えも求めないで自由に」

ダムタイプでの活動に始まり、現在はミュージシャンでありメディア・アーティストとして世界で活躍する池田亮司。弘前れんが倉庫美術館を会場にサイトスペシフィックなデジタルインスタレーションを展開する、国内では13年ぶりとなる個展がスタートした。

文・撮影=中島良平

展示風景手前から、《data.tecture [n°1]》(2018)、《data-verse 3》(2020)
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 池田亮司の活動は多岐にわたる。ミュージシャンとして制作を開始し、ダムタイプでは音楽をメインとしながらも、インスタレーションのためのセノグラフィやコレオグラフィにも触れていた。デジタルを駆使したヴィジュアル表現も精力的に行なってきて、最近ではオーケストラからの委託でアコースティックの楽器でクラシック音楽に近い曲づくりでも話題を呼んできた。その背景には、「自分は何の専門家でもない」という思いがある。どの分野の専門教育を受けたわけでもなければ、アートも音楽もステージも分け隔てるもののない芸術表現だという考えが、創作活動の原動力になっている。

 今回の展示は、2000年以降の取り組みのひとつである、データを主題とするアート表現にフォーカスしている。DNA情報や素粒子といったミクロなものから、宇宙のマクロなデータまで主に科学領域に関するデータだ。それはどう扱い、作品化するのか。自身の職業を「コンポーザー(composer)だ」と答えたときの話からこう説明する。

 「コンポーザーは普通に考えれば、日本語で作曲家ですよね。僕は音楽から来ているので、自分を作曲家だと思っているんですが、今回の展覧会を見ていただいてもわかる通り、映像も作曲と同じように構成していて、建築的な意味でもそう。空間と時間のコンポジションを行なっているんです。映像の内容的にも、音楽的にも、要するに、色々な要素を組み合わせて何かをつくる、ということを生業としているんです」。

展示風景より、《point of no return》(2018) 撮影=浅野豪
展示風景より、《data.flux [n°1]》(2020)

 何かを組み合わせる。つまり、何か材料が必要となってくる。音楽と映像の材料とは何なのだろうか。その突き詰め方は徹底している。

 「音楽で考えると、音が存在してもそれは音でしかなくて、音楽ではありませんよね。普通に考えると、音は空気の振動でしかない。物理的な現象です。そこに数学的な構造を与えて、初めて音楽になります。J POPでもモーツァルトでも共通していて、音に何かしらの構造を与えて音楽になっているわけです。例えばジョン・ケージの《4分33秒》という無音の作品もありますが、あれも、音楽の前提となる構造を否定することで音楽作品として発表している、つまりはアンチの姿勢ですが、それも前提があるわけだから音楽ですよね。

 では、映像で考えると何か。僕のなかで映像の目に見えるものは何かというと、光なんですね。その光を突き詰めて最小の単位まで考えると、ピクセルです。映像はピクセルの集積であって、ひとつの画面を何百万個、何千万個というピクセルで充填して映像ができるわけですが、僕はスクリーンなりディスプレイをグリッドとして考えているので、それをいかに構成するか、どう光らせて点滅させるかをハンドリングする。ピクセルだけあっても何も起きませんから、構造が必要なわけです」。

展示風景より、《data-verse 3》(2020)
展示風景より、「grid system」シリーズ(2022)

 音を最小単位まで還元しようとすると、正弦波(サイン波)と呼ばれる規則的な波形で表すことのできる音と、完全にランダムで無秩序で、あらゆる周波数が織り込まれたホワイトノイズというものに分けられる。そして映像は光であり、最小単位にするとピクセルだ。それらの最小単位に還元された音と映像の要素に、どうやって構造を与えるか。そこで使用するのがデータというわけだ。常人では考えられないような膨大なデータを扱い、その範囲も素粒子などのミクロなスケールからビッグバンにまつわるマクロなものまで、想像を絶する幅広さだ。そんなデータに裏打ちされた作品なのだから、鑑賞者を没入へと誘い、ゾクっと震えがくるような圧倒的な威力を備えるのだ。

「この世界をどうやって最小単位に還元するかというと、それがデータですよね。本質です。観測した事実であって、例えば星の座標だとしたら、xyzの数値だけで決まっていたり、DNAのシークエンスも解読されていて、タンパク質は20種類のアミノ酸でできていることがわかっています。牛のこの部分であれば、アミノ酸がどういう組み合わせでどう配列されているのかわかっているので、そうしたデータをもとに様々なことを記述することができるわけです。僕がやっているのは、そうしたデータを用いてアート作品をつくることです。その作品に意味はないし、答えもない。だから、音楽のコンサートに来るように、意味や答えも求めないで自由に楽しんでほしいと思っています」。

展示風景より、「exp」シリーズ(2020-2022)
展示風景より、2階の《data.tecture [n°1]》(2018)より吹き抜け越しに見えるのが《data-verse 3》(2020)

 弘前れんが倉庫美術館の展示では、最初の展示室から次の通路、そして高さ15メートルの吹き抜けという建築構造を見て、プランはすぐに決まったというほどに美術館と呼応した作品の並びだ。通常であれば床にカーペットを敷くところを、あえてそうせずに展示全体で音が響き合い、また同館特有の倉庫だったコールタールの壁面もその無骨さが池田の光と音の表現にマッチする。

 光の波を浴び、一定の規則で響く音を受信し続けていると、そのインスタレーションから身動きできないような没入感を味わうことができるはずだ。意味など考える必要はない。体験があればいい。池田は「美はハンドリングできるもので、例えば壮大な自然の崇高さには、畏怖のようなものが生まれて、簡単には脳と身体が追いつくことができない」と話していたが、膨大な量のデータに裏づけられ、最小単位に還元した光と音を緻密に積み上げたインスタレーションには、その崇高さと通ずるものを感じることができる。実際に体験し、その没入感を身体で味わってほしい。

展示風景より、《data.scape [DNA]》(2019)
展示風景より、「data.scan」シリーズ(2011/2022)