イスラエル博物館が所蔵する、貴重かつ膨大なピカソ・コレクションから厳選した作品を紹介する展覧会「ピカソ -ひらめきの原点-」が、パナソニック汐留美術館で開幕した。70年にわたる画家の創作軌跡をたどり、画家が生涯にわたって出会った「ミューズ」たちや波乱の時代など様々なインスピレーションの源を探る展覧会だ。
本展ではピカソが20世紀初頭から1970年にかけて制作した100点以上の紙作品に加えて絵画を展示する。見どころのひとつは、画家が生涯にわたって制作した4つの代表的な版画作品シリーズだ。そしてアーティスト自身に魅了され、時代を代表する写真家たちが残したピカソのポートレートも見逃せない。
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1972年、ピカソの個人的な友人であり、イスラエル博物館の長年の支援者そして友人であるチューリヒ出身のジョルジュ・ブロックがイスラエル博物館に寄贈した各版画の初刷りや、ニューヨークのイシドール・M・コーエンが寄贈した、20世紀を代表する版画作品「ヴォラール連作」(1930-37)なども並んでいる。
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本展は年代順に5つの章で構成される。第1章「1900-1906年」は、憧れのパリに初めてやってきた、18歳のピカソの作品によって幕を開ける。青の時代からバラ色の時代への作風の変遷を版画「サルタンバンク」シリーズ(1904-05)でたどる。
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「青の時代」を描くきっかけとなったのは、親友カルロス・カスへマスの自殺と言われている。その陰鬱な時期を抜け出したのは、パリへの永住の決意、フェルナンド・オリヴィエとの出会い、他の芸術家やモンマルトルのサーカス団シルク・メドラノとの交流を通じてだった。「バラ色の時代」の始まりである。画家の心境の変化が画風にも反映されていくのだ。
第2章「1910-1920年」では、ピカソとブラックが追求したキュビスムという革新的な絵画表現と、グラフィック作品との密接な関連性を示す。ポール・セザンヌの絵画やアフリカの部族芸術、古代イベリア彫刻から得たインスピレーションがキュビスムにつながった。外部の要素を意識的導入する芸術家の姿勢がこれらの作品から見て取れる。
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第3章「1920-1937年」では、イタリア旅行そして最初の妻となるオルガ・コクローヴァとの出会いから、ピカソの関心がルネサンス美術、新古典主義、そして印象派へと移っていった変遷をたどる。1933年にはシュルレアリスムの雑誌『ミノトール』第1号が刊行され、その表紙絵となったピカソの作品も展示されている。ピカソのライトモチーフのひとつであり、残虐、愛、生と死、不条理を象徴する芸術家の分身であるミノタウロスが描かれている。また、画家が亡くなるまでつながりを保ち続けたマリー=テレーズと出会ったのも、この時期だ。
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「ヴォラール連作」は画商アンブロワーズ・ヴォラールのために制作した100点の版画連作。エッチング、ドライポイント、アクアチントを初めとする版画技法を駆使した傑作だ。いうまでもなく、ピカソの当時のミューズであるマリーの姿や、根源的な衝動を呼び起こすミノタウロスのテーマが繰り返し現れる。
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第4章「1937-1953年」では、ピカソの象徴的な作品《ゲルニカ》を予告する作品を紹介する。《フランコの夢と嘘I、II》(1937)は2点のエッチングで構成されており、ピカソによる初めての明らかに政治的な作品。当時出会ったのがシュルレアリストで写真家のドラ・マールだ。マールとピカソの嵐のような恋愛関係は、スペイン内戦から第二次世界大戦のあいだの時期と重なる。1943年、ピカソは当時21歳の画家フランソワーズ・ジローに出会った。この新たなミューズからインスピレーションを受けて、リトグラフの制作を再開した。
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第5章「1953-1970年」では73歳から86歳にかけて、衰えるどころかむしろ旺盛になるピカソの創作意欲を象徴する作品群を展示。2人目の妻にして人生最後のミューズとなったジャクリーヌ・ロックと出会う。この時期の作品の特徴のひとつが、リノカットという版画技法。木よりも柔らかく、手軽に彫れるリノリウムという素材を用いるこの技法によって、ピカソはジャクリーヌや彼が生涯愛した闘牛などのテーマを描き続けた。エロスを追求した「347シリーズ」(1968)は本展で紹介する最後の版画シリーズだが、もっとも強烈な連作だと言ってもよいのではないだろうか。
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本展からはっきりと感じとられるのが、ピカソの創作意欲を突き動かす欲望が、画家の生への渇望の如実な表れであることだ。その欲望と渇望を掻き立てるミューズたちは、ピカソの人生の節目に現れる不可欠な「ひらめきの原点」なのだ。
なお本展は今後、佐川美術館(7月2日~9月4日)、長崎美術館(11月11日~2023年1月9日)にも巡回予定となっている。