フランスのジャーナリスト、ブリジット・バンケムンは、夫が紛失したエルメスの手帳の代わりになるものを探していた。昔のエルメスの皮にこだわる夫のために、彼女はeBayでヴィンテージのエルメスの手帳カバーを探し当て購入した。届いた品物を開けてみると、日記帳のリーフレットは取り除かれていたが、1951年度のアドレス帳がカバーに差し込まれたままになっていた。20ページほどのアドレス帳を何気なく開いてみるとそこには、コクトー、シャガール、ジャコメッティ、ラカン、バルテュス、ブレトン、ブラッサイなど、錚々たる人物たちの連絡先が並んでおり、バンケムンは驚愕した。
バンケムンは、この手帳が、当時フランスのカルチャーシーンの中核にいた人物の所有物だったとすぐに理解した。美容院やネイルサロンの電話番号が記載されていたため、女性と推測。さらに南フランス・メネルブの建築家の連絡先があったことから、この地域に住んでいたアーティストに絞り込んだ。この二つの条件から浮上したのが、「ピカソの愛人」として知られ、アーティストとしても長年活動したドラ・マールであった。そして彼女の筆跡が残る他の史料と照合し、この手帳がマールのもので間違いないことを確認した。
マールは、1907年フランス生まれ。建築家だった父の仕事の都合で、幼少から十代の後半まで、アルゼンチンとフランスを行き来して過ごした。フランスに戻ってからは、写真を学び、商業写真家として成功を収めていた。初めての交際相手を介して、シュルレアリストのグループと親交を持つようになり、その後ジョルジュ・バタイユと交際。若くしてフランス知識層のインナーサークルに属していった。ピカソと出会ったのは1936年。それから1946年までピカソとの関係は続いた。モデルを務めたピカソの「泣く女」のイメージもあり、気性の激しい人物であったとする文献が多い。晩年までアーティストとして活動をしていたが、「ピカソの愛人」という昔の肩書がマールには生涯つきまとった。