国宝から名もなき建築まで。「マツモト建築芸術祭」で建築とアートを巡る体験を
通常、芸術祭ではたんなる会場として見過ごされがちな建築。その建築を主役に据え、17組のアーティストたちの作品とともに紹介する新たな芸術祭「マツモト建築芸術祭」が長野県松本市で始まった。
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江戸時代には松本藩の城下町として栄え、長野県でも有数の商都として発展してきた松本市。そんな繁栄のもと、市内では数々の個性的な建築が生み出されてきた。戦災を逃れ、いまなお残るこうした建築を主役に据え、アーティストたちの作品を展示するのが今回が初回となる「マツモト建築芸術祭」(1月29日〜2月20日)だ。
この芸術祭は民間主導で開催されるもの。松本で90年以上の歴史を持つ扉温泉を擁する扉ホールディングス株式会社代表取締役・齊藤忠政が発起人となり、実行委員長を務める。また総合ディレクターは、田中一光に師事し、これまで数々のセノグラフィーやグラフィックデザインを手がけてきたおおうちおさむ(有限会社ナノナノグラフィックス代表)が担っている。
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建築とアーティストが主役
齊藤は、取り壊しの危機に瀕する市内の優れた建築ををいかに残すかを考えるなか、旧知のおおうちからヒントをもらい、今回の芸術祭開催を発案。この初回をきかっけに、単発ではない継続的な開催を目指すと意気込む。
いっぽう総合ディレクターのおおうちは、松本市美術館のロゴデザインを手がけた経験を持ち、松本市と少なからぬ縁があった。現在、国内には数多くの芸術祭があるが、「どれも似通った印象がある」と話す。そこで今回は通常の芸術祭のようにキュレーターを入れテーマを設定するのではなく、「建物ありきで、そこに展示してもらいたいと思ったアーティストに声をかける」という方式を採った。おおうちは、「自分たちの強い気持ちの集合体が今回の芸術祭。世界に誇れる芸術祭になったと思う」と自信をのぞかせる。
後援する松本市の臥雲義尚市長は「松本の建築をもっと楽しんでもらい、価値として最大限活用する必要がある」としつつ、この芸術祭を「松本市民にとって意義深いこと」だと評価する。
会場の数は松本城を中心としたエリアに点在する19ヶ所。参加アーティストは石川直樹、磯谷博史、小畑多丘、鬼頭健吾、鴻池朋子、五月女哲平、本城直季、松澤宥、中島崇など17組だ。本稿では、そのなかからとくに注目したい展示をピックアップしてお届けする。
旧開智学校&中島崇
本芸術祭の会場としては唯一の国宝となるのが旧開智学校だ。1876年に建設されたこの擬洋風建築(西洋建築と日本の伝統建築のミックス)は、車寄せ部分に竜や瑞雲などの彫刻が施されており、唐破風屋根には東京日日新聞の題字部分を真似た天使が彫り込まれている。今回、その建物の玄関前には中島崇によるストレッチフィルムを素材としたインスタレーションが設置されている。中島はこの場所のほか、アルモニービアン(旧第一勧業銀行松本支店)とコーヒーラウンジ紫陽花の2ヶ所でも作品を屋外展示している。
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池上百竹邸 茶室&松澤宥
1958年に建てられた私邸・池上百竹邸。その茶室には、長野県下諏訪町出身で今年生誕100年となるアーティスト・松澤宥(1922〜2006)が日々生み出していたスケッチがインストールされた。松澤は日本中の茶室をスケッチしており、その鮮やかさがそのまま茶室内のセノグラフィーに生かされている。
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旧宮島肉店&五月女哲平
松本市内最初の精肉店で、大正から昭和初期に建てられた旧宮島肉店。「M」の字モチーフのマークが控えめに主張するシンプルな外観のこの建物内部を、五月女哲平が一変させた。絵画を中心に立体や映像などを織り交ぜた作品を手がける五月女。今回の展示にあたり、五月女はボランティアとともに歴史とともに蓄積されてきた壁や床、窓などを可能な限り解体。そこに様々な色や形の図像をインストールすることで、新たな積層が生まれている。
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割烹 松本館&小畑多丘
今回の会場でもっとも驚くべき場所が、国の登録有形文化財である「割烹 松本館」だ。目黒雅叙園に感銘を受けた2代目当主が1935年頃に建設したこの松本館。シンプルな外観とは反対に、2階にある99畳にもおよぶ大広間「鳳凰の間」は豪華絢爛。松本出身の彫刻家・太田南海が設計・監修と彫刻を担当しており、金子嶺挙による「百花百鳥」を題材にした天井画が折上げ格天井を埋め尽くす。
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「鳳凰の間」の中央に佇むのは、B BOY/B GIRLをモチーフにした木彫で知られる小畑多丘の《KIIROI B GIRL》だ。本作は小畑が19年5月から20年3月にかけてロンドンで滞在制作したもので、これまででもっとも複雑な構造のジャケットパターンが刻まれている。濃密な空間との鮮やかなコントラスト。時を超えた彫刻家同士の共演に注目だ。
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まつもと市民芸術館&井村一登
伊東豊雄設計のまつもと市民芸術館。その内部にある優美な大階段の壁面から漏れる光と呼応するように作品を見せるのが井村一登だ。「自分が映らない鏡」をテーマに、マテリアルへの強い探究心を見せる井村。今回は、長野県・和田峠の黒曜石やガラスなどの塊を素材に化学的な力を与えることで様々な表情の「鏡」を生み出した。
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池上邸 土蔵&磯谷博史
まつもと市民芸術館からほど近い旧庄屋・池上邸の土蔵は、モルタル仕上げのモダンな佇まいが印象的な建築だ。磯谷博史は、明治時代に建てられたこの蔵に、身近な物理現象をモチーフにした大型写真12点を展示した。カラー写真をセピアに変換するいっぽうで、もとの写真にあった特徴的な色を抽出してフレームに着彩。撮られた瞬間に過去となる写真を、新たな現在として立ち上がらせる。
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旧念来寺鐘楼&山内祥太
池上邸の土蔵から徒歩数分の場所には、1705年(宝永2年)に建てられた総檜造りの巨大な鐘楼を見ることができる。旧念来寺は廃仏毀釈の際廃寺となり、伽藍は破壊された。しかしながら鐘楼は残され、1969年には松本市の重要文化財に指定され、2012年には長野県宝となった。近年注目を集める若手アーティストの山内祥太は、この鐘楼内部に自宅で起きた些細な出来事から日常のズレを導く映像作品2点を展示。鐘楼内部の階段や独特な雰囲気と、山内の映像は不思議なマッチングを見せる。
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レストランヒカリヤ&石川直樹
明治末期以降、商店街として栄えた上土(あげつち)通り。松本城と女鳥羽川をつなぐこの通り周辺には、複数の会場が集まっている。
国の登録有形文化財で松本市近代遺産の古民家を再生したレストランヒカリヤ。なまこ壁と黒漆喰による立派な蔵を有するこの屋敷では、登山家としても知られる写真家・石川直樹がカトマンズで撮影した写真作品が展示されている。カトマンズは松本市と姉妹都市であり、ともに登山家にとって重要な岳都だ。写真によって遠く離れたこの2都市をつなげる試みとなった。
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上土劇場(旧ピカデリーホール)・白鳥写真館&白鳥真太郎
上土劇場(旧ピカデリーホール)と白鳥写真館では、広告写真の分野で長年活躍し続ける白鳥真太郎が作品を展示する。
1960年開館の上土劇場は98年にいったん閉館したものの、地元新聞社の手が買い取り、市民によって改修。以降、ピカデリーホールとなり、現在はふたたび上土劇場として市民の芸術文化活動の拠点となっている。この劇場内部では、白鳥のライフワークであるポートレート作品から、北野武や岡本太郎、小澤征爾といった著名人の顔を拡大した作品が掲げられている。
いっぽうの白鳥写真館は1924年に建てられた写真館。白鳥自身、この写真家の4代目であり、今回はその屋外に強烈なインパクトを与える巨大写真を掲げ、大正建築との鮮やかな対比を見せる。
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NTT東日本松本大名町ビル&鬼頭健吾
1930年頃に建設されたNTT東日本松本大名町ビルは、外壁の下部がレンガづくりとなっており、上部の白い外壁とコントラストをなしている。鬼頭健吾はこの建物の窓一つひとつに布を吊り下げた。《hanging colors》は昼は太陽光で室内を色で満たし、夜は照明によって窓を彩る。昼夜でまったく異なる表情を見せる作品だ。このほか、鬼頭はフラフープやポストカード大のアクリル板を使い、モノトーンのビルに色を満たす。
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名もなき建築から国宝まで、じつに様々な建築がラインナップされた「マツモト建築芸術祭」。松本は街なかを歩けば、会場ではない個性的な建築の数々とも出会うことができる。建築のポテンシャルを感じながら、この新しい芸術祭を楽しんでほしい。
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