三菱で4代にわたって社長をつとめた岩崎家の彌太郎、彌之助、久彌、小彌太。広く文化財に関心を抱いた歴代社長が収集したコレクションは、現在、静嘉堂文庫美術館や東洋文庫ミュージアムを中心に収蔵されている。
「三菱創業150周年記念 三菱の至宝展」は、国宝や重要文化財をふくむ三菱4代にわたる収集品を、両館と三菱経済研究所の収蔵品100点あまりを集めることで展観するものだ。前期・後期の展示替えを併せて国宝12点、重要文化財31点を含む美術工芸品や古典籍を展示する。会期は前期が6月30日〜8月9日、後期が8月11日〜9月12日。
第1章「三菱の創業と発展─岩崎家4代の肖像」では、彌太郎、彌之助、久彌、小彌太の三菱四代の社長がいかに学問や文化に関心を抱いてきたかを紹介する。とくに2代目の彌之助以降は、当時の芸術家や研究者らとの交流を通じて、幅広い視点から収集を行った。ここでは各人の功績とともに、彌太郎の像や書、小彌太の茶道具など、それぞれの収集の傾向を象徴するものが展示されている。
第2章「彌之助─静嘉堂の創設」では、明治以降の廃仏毀釈で衰えた寺院への援助を行い、また刀剣や茶道具、さらに古典籍を収集して静嘉堂文庫を設立した彌之助の収集品を紹介する。
彌之助はとくに刀剣に対して並ならぬ情熱を抱いていた。帯刀禁止令で海外へと刀剣が流出するのを憂いて収集を始めたそのコレクションが展示されるが、なかでも刀工・手掻包永の手による国宝《太刀 銘 包永》(13世紀)は、700年あまりを経ても地刃に衰えを見せない名作とされている。
絵画の名品にも注目したい。国宝《風雨山水図》(13世紀)は、南宋の宮廷画家・馬遠の手によるものと伝わるもので、水墨表現を基調としながら、木々の葉などに淡彩をほどこして前を描き、傘をにぎって先を急ぐ男を描く山水画だ。
また国宝《源氏物語関屋澪標屏風》の「澪標図」は、俵屋宗達のもの。源氏一行に遭遇した明石君が参詣せずに去る場面を描いた源氏絵だが、白砂の曲線で海と浜を分けつつ、源氏も明石君も描かずにすれ違いそ描くという宗達らしい斬新な表現が特徴的だ。
ほかにも彌之助の同時代の作家である橋本雅邦の《龍虎図屏風》(1895)や、元時代を代表する文人・趙孟頫の書である国宝『与中峰明本尺牘』(14世紀)、鎌倉時代の慶派による仏像《木造十二神将立像》(1228頃)といった品々が並ぶ。
続く第3章「久彌─古典籍愛好から学術貢献へ」では、読書家で漢籍を好み、東洋学術研究の要でもある東洋文庫の設立者、久彌による収集品を展示。
古代インドの聖典である『リグ・ヴェーダ』の英訳本(1849〜73)や、マルコ・ポーロ『東方見聞録』の15、16、17世紀の各時代の刊行本、フランスのブルボン朝最後の王妃であるマリー・アントワネットが所持していたとされる『イエズス会士書簡集』(1780〜83)など、東洋文庫が所蔵する貴重な書籍が並ぶ。
また、大航海時代にオランダで観光された世界地図や、江戸時代の日本や江戸の土地を記した古地図も展示。さらに学術研究のために描かれた動植物の図版、チベット仏教の経典や曼荼羅、唐代から平安時代にいたるまでの四書五経の写本など、学問の探求に多くを資した久彌らしいコレクションを見ることができる。
最後となる第4章は「小彌太─静嘉堂の拡充」と名打たれ、父・彌之助の収集品を整理しつつ、中国陶磁の収集や、茶道への造詣を深めた小彌太の足跡をたどる。
とくに小彌太の功績として語られるのが、1936年に京都の北野天満宮を中心に開催された「昭和北野大茶湯」だ。豊臣秀吉が1587年に開催した「北野大茶湯」を350年ぶりに再現し、102席の釜が設けるという大がかりなものだったが、本展ではこの茶の湯で小彌太が使用した名品を紹介。朝鮮時代の井戸茶碗《御所丸茶碗 黒刷毛》(17世紀)や、南宋時代につくられた龍泉窯の《青磁鯱耳花入》(13〜14世紀)など、重要文化財に指定されている貴重な器がそろった。
また、建窯で南宋時代につくられた国宝《曜変天目(稲葉天目)》(12〜13世紀)にも注目したい。内面に浮かぶ大小の斑文に青や虹色に輝く光彩が現れた、陶磁器の歴史における最高傑作のひとつと言われており、完全なかたちのものは本品を含めて日本に3点のみとなっている。
ほかにも清時代の景徳鎮窯でつくられ、象耳に遊環をつけた華やかな《粉彩梅花喜鵲図象耳瓶》(1736〜95頃)や、京焼の最高峰のひとつである野々村仁清の《色絵吉野山図茶壺》(17世紀)などの、重要文化財となっている名器を見ることが可能だ。
三菱の4代にわたる社長が収集した貴重な品々を楽しむだけでなく、日本の近代史において、実業家たちが学術や文化をいかにとらえてきたのかを知ることができる展覧会となっている。