2021.3.23

「純粋な絵画」を求めた旅路をたどる。23年ぶりのモンドリアン展がSOMPO美術館で開幕

日本では23年ぶりとなるモンドリアン展「純粋な絵画をもとめて」が、東京・西新宿のSOMPO美術館でスタートした。オランダのデン・ハーグ美術館所蔵のモンドリアン作品50点に加え、国内の美術館から借用するモンドリアン作品と関連作家による作品約20点を出品した本展の見どころを紹介する。

展示風景より
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 水平垂直線と赤・青・黄の三原色の平面による「コンポジション」シリーズで広く知られているオランダ出身の画家、ピート・モンドリアン。その日本では23年ぶりとなる展覧会「モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」が、東京・西新宿のSOMPO美術館で開幕した。

 本展は、オランダのデン・ハーグ美術館所蔵のモンドリアン作品50点に加え、国内の美術館から借用したモンドリアン作品と関連作家による作品約20点によって構成。初期のハーグ派様式の風景画から神智学に傾倒した作品、キュビズムの影響を受けた作品、そして晩年の水平垂直線と原色の平面による代表作シリーズなど、多岐にわたる作品を関連作家の作品とともに紹介することで、その制作スタイルの変遷をたどる。

展示風景より

 展覧会はモンドリアンの自然主義的な初期の風景画から始まる。モンドリアンは、1872年にオランダ中部のアメルスフォルトに生まれた。アムステルダムの国立アカデミーで正規コースと夜間部を終了したあと、アムステルダムを拠点に自然主義風の風景画を描き、アムステルダム印象派やハーグ派の影響を受けた。

 例えば、アムステルダムの郊外にあった王立蝋燭工場を描いた《王立蝋燭工場》(1895-99頃)やオランダ北ブラバント州の小さな町・ニステルローデにある納屋を描いた《ニステルローデの納屋》(1904)などの風景画の作品では、画面が幾何学的に配置され、その後の抽象的形態としての構図の先駆けととらえることができる。

展示風景より、左は《王立蝋燭工場》(1895-99頃)
展示風景より、左から《ニステルローデの納屋》《農家、ブラバント》(いずれも1904)

 アムステルダム郊外のヘイン川の岸辺の風景を描いた《ヘイン河畔の洗濯物干し》(1900-02頃)では印象派的な自由の画風が使われており、混り合うような筆致と色の対比は、印象派と同様に野外で風景画を多く制作したハーグ派の影響を受けたと考えることもできる。

展示風景より、左は《ヘイン河畔の洗濯物干し》(1900-02頃)

 《にわとりのいる農家の庭》(1901)は、モンドリアンが印象主義的な処理を施したほぼ最後の例であり、農家の後ろの太陽と果樹の下の草の緑を調和することで、いきいきとした光摇らめく光景を生みだしている。

展示風景より、左は《にわとりのいる農家の庭》(1901)

 1909年、モンドリアンは神智学協会に入会し、最晩年まで神智学に関心を寄せ続けた。神智学とは、すべての精神の動きはひとつの普遍的な教義に統べられると考えた神秘的な世界の見方(作品のキャプションより)。神秘的な力強さを感じさせる色使いで花を描いた《オランダカイウ(カラー);青い花》(1908-09)や《2本のオランダカイウ》(1918)、枯れていくひまわりを描いた《枯れゆくひまわりII》(1908)などの作品では、成長と腐敗、再生と進化など神智学の代表的なテーマを表している。

展示風景より、左は《オランダカイウ(カラー);青い花》(1908-09)《枯れゆくひまわりII》(1908)

 1911年、モンドリアンはアムステルダム市立美術館での第1回「近代美術サークル展」に参加。同展に出品されたセザンヌ、ピカソらの絵画に触発され、後にパリに移住。翌年の第2回「近代美術サークル展」では、キュビスムの作品を発表した。

 展覧会の後半は、モンドリアンがキュビスムの影響を受けた作品へと続く。第2回「近代美術サークル展」に出品された《風景》(1912)は、モンドリアンが制作した最初のキュビスム絵画のひとつ。小さな平面に画面を分割し、形体の輪郭と周囲の空間を融合させる空間処理においては、セザンヌからの影響も明らかになっている。

展示風景より、左から《女性の肖像》《風景》(いずれも1912)

 1912年後半からモンドリアンは木々(《コンポジション 木々 2》、1912-13)や建築(《色面の楕円コンポジション 2》、1914)などのモチーフをキュビスム風に表現する作品や、水平線と垂直線を交差させるプラス・マイナス技法(《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》、1916)の作品を制作し、17年からは色面のコンポジション(《色面のコンポジション No.3》、1917)に移った。

展示風景より、左から《コンポジション 木々 2》(1912-13)《色面の楕円コンポジション 2》(1914)
展示風景より、右から《色面のコンポジション No.3》(1917)《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》(1916)

 1920年から、モンドリアンは水平線、垂直線、三原色の矩形からなる構成の作品のみを制作。21年に完成した《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》(1921)は、モンドリアンがモデュールの方式を用いた作例のひとつ。モデュールのひとつは画面全体と同じ比率で全体を反映させ、原色と無色(白、黒、灰)のサイズの対比や関係性には様々なゆらぎが引きだされている。

展示風景より、左から《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》《赤、青、黒、黄、灰色のコンポジション》(いずれも1921)

 《赤、青、黒、黄、灰色のコンポジション》(1921)では、三原色の平面を周辺に配置することで、「拡張」を構図の主原則として視覚化。《線と色のコンポジション:Ⅲ》(1937)では、線を複数にすることで平面を「破壊」する。同作は、画家がジャズ音楽から着想を得て、新たなリズムの端的な例のひとつでもある。

展示風景より、左から《コンポジション No.1》(1929)《線と色のコンポジション:Ⅲ》(1937)

 1917年、モンドリアンはデオ・ファン・ドゥースブルフらと「デ・ステイル」を結成。本展では、ドゥースブルフをはじめ、モンドリアンが意見を交わしていた同時代の作家たちによる関連作品も展示。加えて、過去日本で開催されたモンドリアンの展覧会図録や、その作品を紹介する単行本や雑誌など貴重な資料も展覧会の最後に並んでいる。日本でのモンドリアンの受容を窺うことができるだろう。

展示風景より、左からデオ・ファン・ドゥースブルフ《コンポジションXIII》(1918)、バート・ファン・デル・レック《コンポジション》(1918-20)《コンポジション(花開く枝)》(1921)、デオ・ファン・ドゥースブルフ《コンポジション XXII》(1922)
展示風景より、モンドリアン展覧会図録や単行本などの関連資料

 独自の画風を築き、デザインやファッション、建築領域にも多大なを与えたモンドリアン。その「純粋な絵画」を求めた旅路を、ぜひ会場で目撃してほしい。

展示風景より、手前はヘリット・トーマス・リートフェルトによる「アームチェア」シリーズ
展示風景より、右は《自画像》(1918)