東京・虎ノ門の大倉集古館で、オーストリア・ウィーン近郊のロースドルフ城の陶磁器コレクションを紹介する特別展「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」が開幕した。第二次世界大戦により破壊されたコレクションとその修復品、そして古伊万里の歴史的な名品が並ぶ。会期は11月3日~2021年1月24日。
1820年代後半、ウィーン近郊のロースドルフ城の城主となったピアッティ家は、日本や中国、西洋各地でつくられた陶磁器を代々コレクションしてきた。しかしながら、第二次世界大戦直後の1945年に、同城は旧ソ連軍によって接収。そのコレクションが破壊される悲劇に見舞われた。ピアッティ家は戦後もこの破片を拾い集めてインスタレーションとして展示をし、その歴史と悲劇を伝え続けている。
本展では、このピアッティ家のコレクションを日本人主体のチームで調査し、破壊された一部の品を修復して展示。また現存する同城のコレクションや、古伊万里の歴史を物語る名品も同時に紹介する展覧会となっている。
展覧会は2部構成となっている。1階で開催される第1部「日本磁器誕生の地─有田」では、古伊万里の誕生や輸出の歴史を名品とともに紹介。2階の第2部「海を渡った古伊万里の悲劇─ウィーン、ロースドルフ城」ではロースドルフ城の破壊された器と再生修復された器、その他のコレクションを見ることができる。
まず、1階のエントランスでは、第1部の展示に先がけてローズドルフ城のコレクションを代表するともいえる古伊万里の《色絵唐獅子牡丹文亀甲透彫瓶(部分修復)》(1700〜1730年代、有田窯)が紹介されている。亀甲状の透彫が特徴的な瓶で、当時の破壊行為によりペアの片方は大きく欠け、双方の蓋は失われてしまったものの、往事の華やかな姿を偲ぶことができる逸品だ。
また《色絵花卉美人文盆器(組み上げ・部分修復)》(18〜19世紀、ヨーロッパ)も展覧会冒頭にて展示。これは、江戸の遊女と桜や牡丹が描かれた鉢だが、日本製ではなく古伊万里をモチーフに19世紀のヨーロッパで制作されたものだ。当時のヨーロッパで古伊万里の意匠が広く支持され、その技術が現地にて模倣されていたことがよくわかる。
それでは、第1部「日本磁器誕生の地─有田」を見て行きたい。まず最初に、古伊万里が誕生した時代を、当時の品々とともに振り返る。中国・景徳鎮窯を中心に生産されていた磁器の技術は、朝鮮半島を経由して1610年代に日本に伝えられた。桃山時代より根づいた茶の湯で使用する、茶道具や茶懐石のための向付、また当時流行していた大皿などが制作されており、当時の技術や好みを知ることができる。
さらに1650年代以降、明から清に代わる時代の混乱を避けて景徳鎮窯の陶工が日本に渡ってきたことで、古伊万里の技術も飛躍的に向上。当時のものを見ると、白磁はより白く、また染付も明るくなっていっていることがわかる。
色絵の具を使った色彩豊かないわゆる古九谷様式は、有田の釜でも多く焼かれ、江戸の新興大名が所有した。さらに1650年代には、伊万里を統治していた鍋島藩の主導により、中国の豆彩を手本にした鍋島様式が誕生、また1670年代にはヨーロッパからの需要に応えるべく、繊細な絵付け施した柿右衛門様式が生まれてくる。
柿右衛門様式は、温かみのある乳白色の素地に、優雅で繊細な意匠が施され、西洋で高い人気を誇った。また、金欄手様式と呼ばれる華やかなスタイルの大壺や大鉢などがヨーロッパの邸宅や宮殿で高く評価され、18世紀まで多様な製品が制作された。
さらにロースドルフ城では、明治維新前後の陶磁器も見つかっている。「超絶技巧」とも呼ばれるようになった輸出向けの焼物が有田でつくられ、明治新政府が公式に出展した1873年のウィーン万国博覧会では、ピアッティ家も会場で購入したと思われる。
2階の第2部「海を渡った古伊万里の悲劇─ウィーン、ロースドルフ城」では、いよいよロースドルフ城での陶片や、修復を施された磁器が展示される。
ロースドルフ城のコレクションは、古伊万里だけでなく、ウィーンの地元の工房やドイツのマイセン窯やオランダのデルフト窯、デンマークのロイヤルコペンハーゲン窯、清時代に景徳鎮窯でつくられたチャイニーズイマリ(伊万里を写したもの)など、世界各地の器で構成されている。
2階展示室中央では、ロースドルフ城の陶片の間の様子を再現した、インスタレーションが展開された。修復されたマイセン窯の《白磁大壺(組み上げ修復)》や《白磁大壺「四大元素・地」(組み上げ修復)》(ともに20世紀初頭)のほか、デルフト窯やロイヤルコペンハーゲン窯の修復品や破片が展示され、城内の破壊の悲惨さとともに、その悲劇を後世に伝えようとしたピアッティ家の矜持も感じることができる。
今回、陶片の再生に取り組んだのは、国内の陶磁器修復の第一人者である繭山浩司だ。繭山は修復の様子を次のように語った。「現地では75年ほど割れたままの状態で保管されており、虫の死骸が積もっているような状況だった。長年にわたって付着した汚れはしつこく、ぬるま湯や超音波による洗浄で汚れを落としていった。少し力を入れると折れてしまいそうような細かい造形もピンセットなどで洗浄し、色が禿げないように超音波の出力も慎重に調整しながら進めていった」。
繭山による修復の様子は、展示からも知ることができる。つながる陶片を探し出して接合しつつ、欠損部分は陶器に兼ね合った素地をつくって修復、さらに岩絵具などをベースに呉須を調合して埋め込んでいく様子が、写真とテキスト、使用された顔料の展示で紹介される。修復され往事の輝きが甦った、有田窯の《色絵松竹梅鶴文八角大皿》(1700〜20年代)を見れば、その卓越した技術と、甦った古伊万里の美しさを知ることができるだろう。
他にも、城に残された破片から現存するコレクションに至るまで、その多岐にわたるバリエーションは磁器の深い歴史を物語るものばかりだ。明代の瀟洒な文瓶や、バラエティあふれる西洋陶磁、景徳鎮で焼かれながらもデルフト窯で絵付けが行われた文化横断的なもの、さらに明治期に有田に創業した精磁会社や香蘭社の製品に至るまで、東洋と西洋の陶磁器における文化交流の大きな流れを伝えている。
一度は破壊されながらも、陶磁器を愛する人々の熱意により保存され修復された品々を堪能しつつ、そこに横たわる陶磁器の豊かな歴史までも知ることができる展覧会となった。