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森村泰昌が問う日本人としての「私」。原美術館で「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私」開幕

様々な歴史上の人物に扮したポートレートで知られるアーティスト・森村泰昌。その個展「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私」が、東京・品川の原美術館で開幕した。

 

展示風景より

 日本が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領下にあった1951年、大阪に生まれた森村泰昌。その人生において、日本人としての自分について問い続けてきた森村が、東京・品川の原美術館で個展「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私」をスタートさせた。

 森村は、名画や映画の登場人物、歴史上の人物に自らが扮するセルフ・ポートレイト作品で知られるアーティスト。1985年に《肖像(ゴッホ)》でデビューして以来、一貫して「私とは何か」という問いに取り組んできた。

 「森村泰昌 レンブラントの部屋」(1994)、「私の中のフリーダ 森村泰昌のポートレイト」(2001)に続き、原美術館では3回目の個展となる本展は、2018年にアメリカのジャパン・ソサエティーで開催された個展「Yasumasa Morimura: Ego Obscura」の凱旋展として開催されるもの。

 もっとも巨大な展示室であるギャラリーⅡでは、エドゥアール・マネの《オランピア》(1865)を題材とした新旧作が並置するかたちで展示されている。

 いっぽうは、初期の代表作である《肖像(双子)》(1988)。そしてもういっぽうは、《肖像(双子)》から30年後の2018年に手がけた《モデルヌ・オランピア》だ。《モデルヌ・オランピア》で森村は、若い娼婦を蝶々夫人を思わせる芸者の姿に、召使いを西洋男性の姿に変容させた(なお同じ展示室には、《”オランピア“の部屋》(1988-2018)として、両作に使用されたセットも展示されている)。

展示風景より、《モデルヌ・オランピア》(2018)
展示風景より、《”オランピア“の部屋》(1988-2018)

 またこのほか会場には、これまで森村が取り組んできた、三島由紀夫やマリリン・モンロー、昭和天皇とダグラス・マッカーサーなどのポートレート作品が登場する。

展示風景より、《思わぬ来客》(2010-2018)

 こうした作品群に共通するのは、ロラン・バルト『表徴の帝国、記号の国』に参照される、日本特有の「中心が空虚な構造」と、「真理や価値や思想は自由に着替えることができる」という森村の考えだ。帝国主義から敗戦を経て民主主義へと転換した日本。戦前の教えは否定され、「空虚」が広がり、西洋の価値観がそこを埋めていった。

 こうした転換と、それに対する戸惑い=「さまよえる私」が、本展出品作を貫いている。

 森村はこう語る。「私は美術史の中をさまよってきたが、日本で育ってきた私の文化領域もさまよえる世界だったのではないか。どうさまよっているのかが重要で、今回はそこを考えた。現代、日本、私のすべてがさまよっていて、それを重ね合わせたときの関係性を表したい」。

展示風景より、奥は《なにものかへのレクイエム(MISHIMA 1970.11.25-2006.4.6)》(1970)

 こうした森村の考えがもっともよくわかるのが、今回のために再編集された映像作品《エゴオブスクラ》(2020)だ。映像には、会場にも展示されている昭和天皇とダグラス・マッカーサー、マリリン・モンロー、三島由紀夫、《オランピア》に扮した森村が登場。森村は会期中、この映像作品を使ったレクチャー・パフォーマンスを通じて、日本近現代史・文化史に言及し、「さまよえるニッポンの私」としての逡巡を語る。

展示風景より、左から《"エゴ・オブスクラ"の部屋》(2018-2020)、《鏡を持つ自画像》(1994)

 なお今回、各部屋には2020年の森村が書いた、各作品に対する「思い」のようなテキストが「セルフポートレイト」シリーズとして多数展示されている。森村は、自分の作品について、「時間が経つにつれて変わっていく」と話しており、森村の再解釈とともに、展示をめぐることができる。

展示風景より、《マニフェスト(烈火の季節)》(2018)

編集部

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