歴史や記憶、人間の存在の痕跡をテーマに作品を生み出し続けるクリスチャン・ボルタンスキーは、間違いなく現在においてもっとも重要な作家のひとりだろう。その芸術家としての人生を振り返るのが、国立新美術館で開幕した「Lifetime」だ。
本展は、大阪の国立国際美術館を皮切りに、国立新美術館、そして長崎県美術館へと巡回するもの。開幕前よりボルタンスキー自身が会場に合わせてインスタレーションを手がけるということで話題を集めてきた。ボルタンスキーが日本の美術館で個展をするのは、2016年の「アニミタス-さざめく亡霊たち」(東京都庭園美術館)以来、約2年半ぶりだ。
会場に並ぶのは、初期の映像作品《咳をする男》(1969)から本展のために制作された新作《幽霊の廊下》(2019)までの47作品。その多くは大阪会場でも展示された作品だが、会場の広さや天井高が異なる本展では、まったく違う表情を見せる。
ボルタンスキーはこの会場の差異について、こう言及する。「各展覧会は似ていて異なるもの。例えば同じ戯曲を、違う演出で見せているようなものです」。
国立新美術館の特徴である高い天井も、ボルタンスキーの作品にとっては有効だったようだ。《皺くちゃのモニュメント》(1985)は鑑賞者が見上げるほど上部にも展示されており、《スピリット》(2013)は雲のように頭上を漂う。真っ黒な衣服を積み上げた《ぼた山》(2015)は大阪会場よりも巨大化し、不安を煽るかのような存在感はより強くなっている。
本展会場では、例えば先の《ぼた山》と《スピリッツ》はひとつのインスタレーションのように組み合わせられている。この「作品同士の組み合わせ」について、ボルタンスキーは「展覧会を構成することは、絵の構成を考えることと同じです」と話す。
「ここは大きな展示室があります。私が望んだことは、物事を流動的にするということ。私は空間にとても関心があるのです。ですから建築家のように空間を構成していきました。仕切りの壁も私がすべて考えたんですよ」。
ボルタンスキー自身によって構成された会場は、展覧会タイトル「Lifetime」にあるとおり、ボルタンスキーの人生そのものを意味している。「芸術的な人生の展開すべてがここにある」と話すボルタンスキー。「展覧会全体をひとつの作品のように見てもらいたいです。それは見る人それぞれの人生を映し出す鏡のようなものでもある。哲学的な考察に身を任せていただきたい」。
展覧会は、教会に入り、沈思黙考することと似ているとボルタンスキーは言う。「展覧会は沈思黙考の時間です。私の作品は問題提起するものであって、答えを出すものではありません。感動を与えるということでもありません。私が提起した問題から触発され、みなさん自身で問題提起をしてもらいたいと思います」。
なお、本展(大阪会場)については、批評家・社会活動家の多木陽介による批評も参照してもらいたい。