ニュージーランドに拠点を置く公益法人「Rei Foundation Limited」は、カンボジアのアーティスト、キム・ハクによる写真展「⽣きる IV」を、東京のスパイラルガーデン(8⽉19⽇〜28⽇)と横浜の黄金町にある「⾼架下スタジオ Site-A ギャラリー」(9⽉9⽇〜25⽇)の2ヶ所で開催する。
キム・ハクは1981年、カンボジアの北⻄部のバッタンバン市出⾝。ポル・ポト率いるクメール・ルージュ政権崩壊の2年後に⽣まれ、両親から当時の記憶を聞いて育った。クメール・ルージュ政権前後のカンボジアの社会史を記憶・再⽣・再解釈するプロジェクト「⽣きる」は 2014年からスタート。このプロジェクトはカンボジア国内にとどまらず、かつてカンボジア難民を受け入れたブリスベン(オーストラリア)、オークランド(ニュージーランド)でも展開してきた。
日本でもクメール・ルージュ政権下の圧政と虐殺、戦争を逃れてきたカンボジア難民を1970年代に受け入れており、今回の「生きるIV」では日本からカンボジアに戻れなくなった留学生や、1980年代に日本政府が受け入れた難民を含む12組のカンボジアの家族の物語にスポットがあてられる。
2020年に国際交流基金アジアセンターのフェローシップを受けて来日したハクは、神奈川県を中心にカンボジアにルーツを持つ人々を訪ね、時間をかけて⼀⼈ひとりの物語を聞き取り、その物語を写真とテキストで記録。腕時計、家族の写真、⽚割れのピアスなどの所持品を、遠い故郷と新しい⼟地での思い出が凝縮した記憶の器ととらえ、その写真を通して暗い過去に埋もれた個⼈の物語に光を当て、歴史を⽣き抜いた⼈間のたくましさと希望の⼒を映し出してきた。
今回の「生きるIV」では、これら1970年代からのカンボジアの内戦を逃れた⼈々の所持品を撮影した写真と⽂章による作品約40点を⽇本ではじめて発表する。作品制作への参加者(記憶の語り手)との協働でつくり出された作品を通して、日本に移り住むことになった人々がこれまでどのような道のりを歩み暮らしてきたのかを伝えるとともに、現在もなお世界中で起こっている紛争や強制的移住を取り巻くグローバルな社会的、政策的課題、歴史には記述されない個人の物語について、見る者に問いかける。
例えば、1960年プノンペン生まれの楠木立成(ロス・リアセイ)の本を映した作品。まだ幼かったふたりの娘と妻を置いて、クメール・ルージュ軍とベトナム軍から逃げながら難民キャンプに逃亡したリアセイ。読書好きのリアセイが逃亡のときに持ってきた3冊の本、そして彼がキャンプでの思い出を自らつづった本の写真からは、過去の悲劇と困難な決断への悔恨、そしたてそのなかでも見つけられた安息の在り処を読み取ることができるのではないだろうか。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の発表では、紛争、暴力人権侵害、迫害により故郷を追われた人々の数は1億人を超えたという。
本展は多様な文化や背景を持つコミュニティが日本に存在することを示すだけでなく、日本人にとって身近に暮らす隣人の生い立ちや経験を共有する可能性を持つ。日本国内の多様性と、その豊かさや強さについて家族や地域社会で対話するきっかけにもなるだろう。
本展を主催する「Rei Foundation Limited」は、2012 年に公益法⼈としてニュージーランドに設⽴され、多様性を尊重し、多様性こそがそれぞれの社会を強靭にするものであると考えられる社会に向けたプロジェクトの⽀援に重点を置いている。ニュージーランド、⽇本、トンガ、マラウイ、カンボジアで活動するさまざまなパートナーと連携し、ポジティブな社会変⾰の促進に従事してきた。「Rei Foundation Limited」はハクの「生きる」を支援する理由について、次のようにコメントしている。
「『生きる』は人間関係とその社会的な文脈に関する記憶をもとにつくり出された作品であり、作品に参加する人々やそれに触れる人々の間での調和、共感、共鳴、協働を試みるプロジェクトであると考えます。作品に参加した人たちは、その制作過程において長く心の奥に閉じ込めていた記憶とそれにまつわる思いを解放し、キム・ハクの手によって芸術作品として生まれ変わったそれらの物語は、多くの人たちと共有され世界に、そして後世にも生きるのです」。
また、開催にあたってハクは次のように語っている。「私の写真に登場するものの多くは、戦前、クメール・ルージュ政権時代、国境のキャンプで家族によって使われ、その後、犠牲者や⽣存者と共に新しい⼟地へ⻑い旅をして⽇⽤品として使われ続けてきたものです。それぞれの写真には、個々のモノにまつわる真実の物語につながるヒントが隠されています。ポル・ポト時代の後、汚れた⼟地から掘り起こされ、再⽣され、あるいは、家族の⽣涯を通じて保管されてきたものなのです。写真やものはすべて、深い意味をもっています。それらは、歴史の中の過去の時間の証拠です。戦争は犠牲者を殺すことは出来ても、⽣き残った⼈々の記憶を殺すことはできないのです。記憶は、現代に⽣きる⼈々の意識の中で⽣き続け、知られ、共有されるべきであり、次の世代のために遺産を保存する必要があるのです」。
カンボジアの歴史と日本におけるカンボジアのコミュニティを、写真を通して伝えるだけでなく、広く多文化と共生について問いかける本展。ぜひ、足を運んでみてはいかがだろうか。