2023.4.19

AI生成の写真がコンテストで受賞するも制作者は賞を辞退。その理由とは?

ドイツの写真家ボリス・エルダグセンがAIを使って生成した写真が、今年の「ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワード(SWPA)」でクリエイティブ部門賞を受賞。しかし、受賞してから約1ヶ月後にエルダグセンは賞を辞退した。

ボリス・エルダグセン Pseudomnesia: The Electrician 出典=ボリス・エルダグセンのウェブサイトより

 人工知能(AI)を使って生成され、今年の「ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワード(SWPA)」でクリエイティブ部門賞を受賞したある写真が、物議を醸している。

 受賞したのは、ドイツの写真家ボリス・エルダグセンによる作品《Pseudomnesia: The Electrician》。今年3月14日に同作の受賞が発表され、エルダグセンは自身のウェブサイトで同作について次のように説明している。

 「SWPAが選んだ作品は、私の豊富な写真知識を生かしたプロンプトエンジニアリング、インペインティング、アウトペインティングの複雑な相互作用の結果である。私にとって、AIイメージジェネレーターを使った仕事は、私がディレクターとなる共創である。ボタンを押し、それを実行するだけでない。テキストプロンプトを洗練させることから始まり、複雑なワークフローを開発し、様々なプラットフォームやテクニックをミックスして、このプロセスの複雑さを探求することである」。

 しかしエルダグセンによれば、SWPAは受賞の公式発表において同作がAIによって生成されたものであることを伝えず、同作の性質に関する報道機関からの問い合わせにも適切に回答しなかったという。また、エルダグセンは同作についての公開討論をSWPAに3回も提案し、授賞式の前に同賞のブログでQ&Aを公開するという回答を得たが、4月13日にロンドンで行われた授賞式まではそれが実現しなかったという。

 それを受け、エルダグセンは授賞式で同賞を拒否することを発表し、次のような言葉を残している(原文は英語)。

AIで生成された画像であることを知っていた、あるいは疑っていた人はどれくらいいるのでしょうか。何か腑に落ちないですよね?

AI画像と写真は、このような賞で競い合うべきものではありません。違う存在なのだから。AIは写真ではない。だから、私はこの賞を受け取らないのです。

私は生意気な猿として、AI画像が応募できるコンテストが準備できているかどうかを確認するために応募しました。それはできていません。

私たち写真界は、オープンな議論を必要としています。何を写真とみなし、何を写真とみなさないかについての議論です。写真の傘は、AI画像を応募させるのに十分な大きさなのか、それともそれは間違いなのか。

私は、この賞を拒否することで、この議論を加速させたいと考えています。

 翌日、エルダグセンの受賞と作品はSWPAのウェブページから削除され、同日からロンドンのサマセットハウスで始まった同賞の展覧会からも作品が撤去された。また、現時点でも本件に関するSWPAの公式な声明は発表されていない

 SWPAの広報担当者は、複数のメディアに送ったステートメントで「オープンコンペティションのクリエイティブ部門は、シアノタイプやレイヨグラフから最先端のデジタル手法まで、画像制作における様々な実験的アプローチを歓迎する」とし、コンペティションのルールに従って、写真家は応募作品の保証書を提供する必要があると述べている。以下はそのステートメントにある文言だ。

 「ボリスとのやり取りや彼が提供した保証書から、彼の作品はこの部門の基準を満たすと感じ、彼の参加を支持した。(中略)彼が受賞を辞退したため、私たちは彼との活動を停止し、その希望に沿うかたちで、彼をコンペティションから除外した。彼の行動とその後の声明によると、彼は意図的に私たちを惑わそうとし、その結果、彼が提供した保証が無効になったので、私たちはもはや彼と有意義で建設的な対話をすることができないと思っている」。

 それに対してエルダグセンは4月18日に声明文を発表し、SWPAの対応を非難。国際的な写真コミュニティやメディアが集中的にこの問題を取り上げるまで、同賞の主催側は沈黙を守っていたという。「彼らは、この問題を良い方向に利用するための多くの選択肢を持っていた。しかし、彼らはそのどれをも使わなかった。(中略)だから、『このトピックについて、より深い議論を交わすことを楽しみにしていた』なんて言うのはやめてほしい」。

 同作の受賞は、AIが生成した作品についてオープンに議論するための良いプラットフォームになり得るはずだったが、当事者間のコミュニケーションの問題により、こうした事態に陥っている。今回の事件が話題を呼び続けることにより、このトピックについての議論は、エルダグセンが望んだように「加速」していると言えるだろう。