中国において、東晋時代(317–420)と唐時代(618–907)は、書法が最高潮に到達したとされる時代。そして「書聖」とも呼ばれる王羲之(おうぎし)が活躍した東晋時代に続いて、唐時代には虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)ら初唐の三大家が楷書の典型を完成させた。
そして顔真卿(がんしんけい)は三大家の伝統を継承しながら、「顔法」と称される特異な筆法を創出。王羲之や初唐の三大家とは異なる美意識にもとづく顔真卿の書は、後世に大きな影響を与えた。
2019年1月16日に東京国立博物館で開催する展覧会「顔真卿 王羲之を超えた名筆」は、そんな顔真卿の人物や書の本質に迫るとともに、後世や日本に与えた影響にも目を向け、唐時代の書が果たした役割を検証するというもの。7月26日に行われた記者会見では、東京国立博物館・学芸企画部長の富田淳がその見どころを紹介した。
見どころ1:「楷書」の美しさ
本展の注目ポイントとして富田が挙げたのは、「楷書」の美しさだ。篆書、隷書を経て楷書へと進化を遂げた楷書。この展覧会では、唐時代の貴重な肉筆楷書を見ることができる。そのなかには、これまで様々な人々が写本を取り続け、手本にしてきた虞世南の《孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)》(628-30)、唐時代の優雅な気分を盛り込んだ、褚遂良の《雁塔聖教序》(653)などが含まれる。
また、後漢時代から東晋時代までの名士の逸話を編纂した国宝《世説新書巻第六》(7世紀)の裏側に書かれた楷書に着目するなど、ユニークな試みも行われる。
見どころ2:初来日するドラマチックな《祭姪文稿》の魅力
顔真卿の《祭姪文稿(さいてつぶんこう)》(758)は、安史の乱によって従兄とその未子を亡くした顔真卿が、亡骸を前に書いたという。冒頭は平静に書かれているが、しだいに気分の高まりや激情が見られる筆致となり、書き間違え、行そのものが曲がっている部分なども現れる、劇的な書だ。
台北の国立故宮博物院に所蔵され、保全のために3年に1度しか展示されることのない本作もこのたび初来日する。「交渉を重ねてやっと日本で展示することになりました」と富田が語るこの書が台湾を離れるのは、ワシントンのナショナルギャラリーでの1997年の展示以来、今回が2度目だという。
見どころ3:王羲之神話の崩壊
本展のサブタイトルに「王羲之を超えた名筆」とあるように、この展覧会では王羲之の伝統的な書を超えた展開にもフォーカスする。日本でも、これまで数度にわたって王羲之の展覧会は行われ、「書聖」として名高い王羲之だが、じつはその真跡は存在しないという。
真跡の存在しない王羲之の書法ではなく、青銅器や石碑の文字をもとにした文字の習得法がさかんになった19世紀。王羲之神話は崩壊し、野趣あふれる書風が主流となった。本展ではその代表格のひとつである趙之謙《行書五言聯》(1858)も登場する。
こうして、唐時代とそれ以降の書のあゆみを多角的に見ることのできる本展。10点にも満たないという顔真卿の肉筆(墨跡)のうち数点が集まるていう点においても、貴重な展覧会と言えるだろう。