──展覧会のステートメントにおいて、「『私』という個人の領域を超えたところにある人間存在の精神の力動へと到達を試みることは、時間と空間の外にある世界への接近を願うから」だという発想が、作品制作の根源にあることが記されていました。「無底の底」「空」「深淵」と表現される領域を示すための唯一の手段として「色彩」を用いるということを前提に独自の方法論を探求していることが伺えるのですが、そうなるに至った背景から聞かせてください。
高屋永遠(以下、高屋) 幼少期から絵を描き続けてきましたが、つねに言葉では表現できない世界との関わりを描き、創作を通して他者と共有したいと思ってきました。かたちがあるものから、見え方が日々変わっていくような、より多義的な作品をつくるようになったのですが、自分の身体と、それを取り巻く空間との反応や反響のようなものを無意識的に描き続けていたのです。自分の内的な動きを記録し、生の現象そのものを届けるための装置として絵画をとらえていたような感覚です。17歳のときに国画会が主催する公募展である国展に入選したのをきっかけに美術家を志すことを決心し、自分の方法論を模索するようになりました。
──ご自身と空間との関わり方を絵画に置き換えるうえで「色彩」を重視するようになり、市販の絵具ではなく顔料とオイルを練り上げて絵具も自身で手がけられていると伺いました。
高屋 美術家を志すにあたり、「見る」ことの可能性を追求したいという思いがありました。色をどのように受け止め、光をどう感じるのかというのは、本当に微細な経験です。レディメイドのチューブ絵具では、とてもではありませんがその繊細さや微細な変化をとらえることはできないと考えたことがはじまりです。色の鮮やかさ光の美しい反射を表現するために、筆法を探究しようと考えたのですが、そうするには私にとってレディメイドの絵具の質感が重たかった。そう感じたので、なるべく純正で、余計なものが入っていない純度の高い色材とメディウムで絵具をつくるようになりました。
──画面上で混色するのではなく、細かく色をつくり分けることによって、濁らない画面を生み出しているのですね。「青」のシリーズからもそのことがよくわかります。
高屋 例えば青であれば、その作品の中心となる青を決めたら、そこからどの程度まで白みを加えるか、赤みを加えるかというのを考えながら、100色近い青のグラデーションをつくり分けます。その赤みの度合いによっては紫になってしまうので、どの段階で止めるかを決め、色ができあがってから作品に取りかかります。色をつくる際には、私自身も出会ったことのないような絶妙な色をつねに探しているので、とくに規制を設けることなく、様々な方法を試します。
──顔料とメディウムの組み合わせで、グラデーションを限りなく試されるのですね。今回の資生堂みらい研究グループと高屋さんが進められた共同研究は、化粧原料のパール剤の新しい可能性を探求することがテーマです。では、山脇さんが高屋さんとの共同研究を始めた経緯を聞かせていただけますか。
山脇竹生(以下、山脇) 私は研究者として化粧原料の色材開発に携わってきており、化粧品に用いられるパール剤の新たな使用方法を見つけたいと考えたのが始まりです。そこで、科学ではなく芸術の視点から色を考え、色材とメディウムに造詣のある作家さんにお願いしたいと思ったところ、高屋さんは自ら絵具もつくられているのでお声がけさせていただきました。また弊社の商品は、アールデコのデザインを日本風にアレンジして展開するなど、和洋折衷のストーリーが特徴ですので、日本画で用いられる色材を西洋の油彩と融合する高屋さんの制作方法とも合致しました。
また、パール剤の特性と高屋さんの作風にも共通点が見られます。パール剤というのは、物理的な角度、光の反射によって見える色合いや輝き方が変わる素材です。高屋さんの画風も、抽象画でありながら何か具体的なモチーフが読み取れたり、見る人の心象によって異なるイメージがとらえられたりする特徴があるので、そのような点も、見る角度によって光と色が移ろうパール剤の特性と結びつくのではないかと考えました。
──パール剤をどのように高屋さんにプレゼンテーションされたのでしょうか。
山脇 まず絵具としての検証をほとんどしたことがなかったので、特性をざっくりと説明させていただきました。混ぜるごとに白くなっていくという効果があり、厚塗りをすれば白くなっていくが、薄塗りをするとそこから色が立ち現れてくるという、絵具とは逆の効果があることを伝えました。そこに慣れていただくことから始まり、パール剤とその下の層にある油絵具の層の組み合わせ方は、高屋さんに実験を続けていただくかたちになりました。
高屋 混色するとどんどん黒に近づいていく絵具の原理に対して、パール剤は反射の光によって白に近づいていくので、物性として交わりにくいもの同士だという認識が最初にありました。それを絵画のマテリアルのレベルでうまく融合させるためには、光の角度によって変わるパール剤の変異性をレイヤーとしてとらえるのではなく、油絵具の色に組み合わせていく必要があると考え、トライアンドエラーを繰り返しました。
──油絵具の表面に、光の反射を起こさせるためにパール剤の煌めきを用いるのではなく、色のなかに取り込むことで奥行きを生み出そうという発想をされたのですね。
高屋 作品をご覧になって感じていただけると思うのですが、平面作品として独自の奥行きが特徴的ではないでしょうか。通常の顔料を使って生まれる奥行きをより深めることがパール剤によって可能だと感じています。それはパール剤が光を反射するのと同時に、透明性を備えていることに由来します。絵具のピグメントとオイル、そこにもうひとつ関数が加わるというか、パール剤によって物性としてしなやかな動きが生まれます。
山脇 やりとりをするなかで、高屋さんはパール剤と既存の絵具の層をいかに馴染ませるかを気にされていましたが、それはやはり作品に落とし込まないとわかりませんでしたし、実際に落とし込めたことに技術的な発展を感じます。作品制作を通してパール剤の特性を引き出していただけたのだと思います。
──アーティストとの協働だったからこそ発見できたパール剤の特性であり、実現した新しい絵画表現である。今回完成された作品をそのように総括できるかもしれません。
山脇 パール剤というのはすでにメタリックの絵具の一種としては実際に使われていますが、それは絵具の一種に過ぎません。ただ画面にキラキラした要素を載せるだけではなく、今回高屋さんと議論して出たのは、パール剤の特性を用いて絵画空間の認識を変えられるのではないかという考えです。例えば、この作品は桜の花を描いていますが、パール剤の効果を用いて水面を描くと、水面に映った桜も画面に表現することができます。
つまり、画面の上下が倒立し、絵画空間のなかで実像から鏡像に変わる。一枚の絵画空間においてその変化を生み出せたのは、パール剤を単なる絵具として用いるのではなく、パール剤によって絵画にもう一段階上の意味をもたらすことができた、共同研究のひとつの成果だと思っています。
高屋 「見る」ことは経験することと重なる行為だと私は考えています。カメラのようにオプティカルに記録するのとは異なり、人が見る際には、心の状態によって何を感覚するか、どの程度の奥行きを察知するのかも変わってきます。パール剤の透明性を生かし、従来の絵具で表現してきた以上の奥行きを画面に生み出すことで、美術鑑賞の限界を超えたいという思いで、共同研究と制作を続けてきました。
──そのひとつの成果が、今回発表された「罔象(もうしょう)」のシリーズです。パール剤によって表現された奥行きによって従来の平面作品とは異なる没入感が感じられますが、作品タイトルにはどのような意図を込めたのでしょうか。
高屋 私がこれまで手がけたシリーズに「水」「桜」「万象」とありますが、なかでも今回は「象」の文字が鍵になると考えていました。見ているものが鑑賞中に変化していくさまをどう言葉で表現するか。山脇さんとも議論を重ね、神話的な世界において水の神を意味する「罔象(みづは)」と表現しました。音読みでは「もうしょう」と読み、虚無でかたちがなく、漂うさまを言い表しています。ふたつの目に見えない現象が共存する単語として、今回の作品に適していると感じられました。
──山脇さんが研究員として保持している科学的視点に対して、芸術的視点からどのような影響を受けましたか。
山脇 科学の視点からものを見るときには、ある視点で切り取らないと物性の比較はできません。要するに、色であればRGBという分類によって比較しますし、パール剤に光を当てるとなると、角度によってどう変わるかを計算します。自然光なのか蛍光灯なのかという色温度でも見え方は変わってきます。今回の共同研究では、パール剤によって絵画空間性をどう変えられるかということについての理解が深まりました。それはまさに、高屋さんのアーティストとしての視点のおかげだと思っています。
──今回の新作には、パール剤に加えて別府温泉の「血の池地獄」の泥から抽出した色材も顔料として使用しています。パール剤の共同研究とも関係しているのでしょうか。
高屋 この2年間の共同研究を通じて、私にとって絵画というのはイメージでありながらも、やはり物質との対話であり、私たち人間のなかに宿る普遍的な感性や感覚に行きつくと思い至りました。そしてそこに至ったときに、自分がアトリエを一歩出た瞬間から、そこからの時間や環境と自分がどのように関係性を結んでいくか。ただ顔料を手に入れるだけではなく、採取しに行って持ち帰るまでの時間も含めて作品に込められないかと思い、新たな顔料採取のアプローチを考えました。
──「血の池地獄」を選んだ意図とは。
高屋 これまで「水」のシリーズでは、生と死をテーマに制作してきました。私にとって生と死というのは対立する概念ではなく、まさに生まれた瞬間から生きていくことが死に向かうことを意味しており、その二重の揺らぎのようなものを表現したいと思ってきました。人間は水がなければ死んでしまうし、身体の大半が水でできているように、命にとって水が重要です。その考えのもといままでは清い水を描いてきました、しかし同時に、地獄と呼ばれるような場所では、地熱で熱された高温の湯によって足を踏み入れれば死んでしまう危険がある。水が持つその両面性を裏づける場所として、別府の「血の池地獄」を選びました。
──パール剤の共同研究からは、それ以外の顔料採取の視点にもフィードバックが生まれているのですね。これまでにあまり類を見ない科学と芸術のコラボレーションだと感じます。
山脇 そうですね。現在の研究では、金属素材を用いてより面的に光らせたり、あるいは一部を曇らせたりすることで、パール剤とは異なる奥行きを表現することも可能になりつつあります。そうした異なる素材による異なる奥行きの組み合わせを絵画に生かしていけば、これまでになかった絵画の立体感が生み出せるのではないかと期待しています。
高屋 金属素材もパール剤もそうですが、ある物質の特徴を最大化し、絵画空間に生かしていければ、これまでにつくられたことのない絵画の奥行きに到達できるのではないかと考えています。ただそれは簡単なことではないので、いまの私自身の制作の過程や時間、工程をどう組み合わせていけばよいのか、考えながら挑戦を続けたいです。
山脇 今回の研究においては、パール剤を用いた方法論の探究と並行して絵画技法の分析も続けてきました。油彩やフレスコ、水墨画など、あらゆる画種における絵画の描き方をひと通り調べ、筆法をどのように分類できるかといったものです。共同執筆した論文はもうあと少しで公開できるので、論文でも人類の学知への貢献ができれば嬉しいです。
なお、会期中の3月16日には、高屋永遠、山脇竹生、そして文化研究者・山本浩貴によるトークイベントも実施された。本展に開催に際する山本のコメントも紹介する。
昨年度は横浜・みなとみらいにある「S/PARK(エスパーク)」にて高屋さん、山脇さんとの鼎談にお招きいただき、今回のコラボレーションについてお話を伺うことができました。
ともするといずれかがいずれかに引っ張られすぎるかたちになってしまう企業とアーティストのコラボレーションとして、その差異も含めて生産的な対話がなされている試みだと感じました。
芸術と科学という領域を横断していると同時に、美術における画法やメディウムの垣根を越境しようとする多層的な意味で「挑戦的な」コラボレーションだと思います。
山本浩貴(文化研究者)