社会とアートの接点をつくるために
──今年で17年目を迎える「TOKYO MIDTOWN AWARD」は、これまでアワードを通じてアーティストのサポートを行ってきました。今回は「ソノ アイダ」と一緒に新たなかたちの支援にチャレンジされます。その背景や目的をお話しいただけますか。
井上 「TOKYO MIDTOWN AWARD」は、東京ミッドタウンの1周年にあたる2008年にスタートして、毎年開催しています。東京ミッドタウンではクリエイティビティが経済の発展や街の活性化につながるという議論のもと、21_21 DESIGN SIGHT、サントリー美術館、デザインハブの誘致も含めて、アートやデザインをめぐる様々な取り組みをしてきました。そのなかで、アワードは「JAPAN VALUEを世界に発信しつづける街」という東京ミッドタウンのビジョンを具現化するアクションのひとつとして始めたものです。ハード=箱物をつくるだけではなく、ソフト=活動を大事にしようという試みです。
アートコンペでは、アーティストに賞を贈るだけではなく、関係性を継続しながら、様々なサポートプログラムを展開しています。例えば受賞の半年後に新作の展覧会を行ったり、ハワイでのレジデンスなど海外プログラムへの招聘、コンペやコミッションワークも実施してきました。
──大巻さんは昨年までの5年間、アートコンペの審査員を務めています。
大巻 このアワードのほかにない特徴は、本当に応募者の幅が広いことです。上は39歳まで、下は中学生も応募するし、デザインや工芸も全部ひっくるめて、アワードがひとつの大きな皿として存在しているんです。しかも、審査員が一次審査から入って応募者全員の提案を審査することで、いまの時代の人たちの小さな声を拾うことができます。実際に僕もアートの常識では落とされるような作家を何人か拾い上げたことがあります。ギャラリーや美術館に入る手前、沸騰する前のアートが面白いんです。
井上 アワードには「アーティストになるかならないかまだわからない」という方も参加します。パブリックスペースが舞台なので、受賞者にとって多くの目にさらされる過酷さもありますが、社会とアートの接点をつくっていくことにこのアワードの意義を感じています。
大巻 ジャッジだけではなくサポートのプログラムであることも、このアワード独特のスタイルだと思います。数年前に高校生が入賞したときも「プレッシャーで潰れてしまわないか」という議論がありましたが、本人が立ち向かっていく姿勢を大事にしよう、そして受賞者をサポートしていこうという結論に至りました。
井上 アーティストにとって何が本当の支援になるかを真剣に考えて、サポートプログラムも変化してきました。そのなかで「ソノ アイダ#新有楽町」がクローズすることを知り、今回、日本橋で展開してみては、と思ったんです。コラボレーションすることで、いまあるものと何かをつなぐこと、が社会に開かれたアワードの意味だと思うんです。
都心の一等地に価値観が逆転した場を開く
──藤元さんは今回のお話を受けて、東京ミッドタウンとのコラボレーションの可能性について、どう感じましたか。
藤元 「ソノ アイダ」は2015年に始めたプロジェクトです。何かと何かの隙間、空間的な「あいだ」と、時間的な隙間、つまりスペースに次のテナントが入ったり取り壊しになるまでの「あいだ」という意味があります。空き物件を使って展覧会だけでなく様々な活動を行ってきましたが、徐々に規模が大きくなり、関わる企業の思惑や、街づくりの観点などを組み合わせるかたちで、都心オフィスエリアにアーティストアクティビティのある風景、という新しいかたちの「ソノ アイダ」が生まれました。2021〜23年の「ソノ アイダ#新有楽町」では、通勤型アーティストレジデンスを12期展開しました。アーティストのアトリエは賃料の問題で郊外・地方になりがちです。作品は都心に集まるのに、アクティビティはドーナツ化している。でも本当に面白いのは、作品を生み出したり仲間が集まったりするアーティストスタジオやその振舞いなんです。アーティストが都心の一等地で制作をしていると、関係者や友達が集まってまた人を呼ぶので、いろんな業界の人が自然とつながります。場を設えるのではなく、勝手に場になっていくんです。そこでは様々な企画や「OUT SCHOOL」というスクールも生まれて、一般のアートを勉強したい方々とアートプロパーがつながっていくことも起こりました。
都心の一等地に価値観が逆転した自由な場ができて、人が集まって面白いことが連鎖していく。それがカルチャーじゃないですか? 期間限定だからこそ関係者も何かを変えようと積極的になる。今回のプロジェクトも、続けることでそんな面白さが出てくると思います。
──参加するアーティストはどのように選ぶのですか?
井上 アワードの受賞者から、東京ミッドタウンと藤元さんで決めています。2期以降も、やりながら、選び方も含めて場のあり方のフォーマットをつくっていけたらと考えています。
藤元 今回は過去のアワード受賞者のサポートという枠組みで、アーティストが日本橋のスタジオに通って2ヶ月間制作します。通勤型のアートスタジオって、作品ができるのが早いんですよ。フィーもあって制作に集中できる環境だと、アーティストって本当にパワーを出せるんです。アワードで評価された感性が社会で機能するかどうか、そして自分の想像を超えるところにいけるのか。それを受賞者に体験してもらうことが目的のひとつです。きっと作家自身が想像するより新しいものが出てくると思うんです。
企業とアートの治外法権エリア
大巻 例えば世界のアーティスト・イン・レジデンスの場合、別に制作する必要はないと思う。ものをつくるというより、その国での出会いを大切にして、束縛のないニュートラルな状況で作家としての自分を見つめ直す場でもある。レジデンスは世界中からキュレーターがビジットに来るから、その意味でも自分を見つけることができる場なんです。
藤元 「ソノ アイダ」の場合、レジデンスとは違ってパフォーマンスを発揮してほしいですね。みんながよく言うのは、「ソノ アイダ」で制作し続けると、作品のアイデアがどんどん出てきて時間が足りなくなるんです。そのリズムを掴んだ作家はその後もつくり続ける癖がつくんですよ。今回は場所が日本橋のいわゆる一等地で、中央通りの三越の対面の1階じゃないですか。そういうところに置かれて「あなたが主役ですよ」と言われると、人間心理としても黙って座ってはいられないですよね。
大巻 制作を条件にすることで、ここをきっかけに、アーティストがつくることを軸に、その先まで展開できる。その点で「ソノ アイダ」の役割ははっきりしていますね。
藤元 以前「ソノ アイダ」でライアン・ガンダーがトークをしたときに、彼は「ここはウォームルームだ」と言っていました。「とにかく暖かい場所。アーティストにはウォームルームが必要なんだよ」って。面白い言い方をするなと思いました。
藤元 いわゆるアート・インスティテュートを行政主導だけでやるのではなく、企業が街づくりの観点からそういうことを評価して、場に参加したり、お金を出したりする時代ですよね。企業人も建前と一個人として面白いと思うことが多様化していて、時代の変化を感じます。昔とは違うプレイヤーが入って、新しい場所が生まれています。
大巻 世の中がインターネットのインターフェースで動くなかで、企業自体に身体を持ちえないという問題が起こっています。身体を持ちえない過酷な労働のなかで、身体を持ったことをやるアーティストを面白く感じるんだと思う。アーティストがひたすら絵具や粘土にまみれるさまを見ると心地いいし、原点回帰というか、何かを見つけられるんじゃないかな。
藤元 そうですね。現場は圧倒的な情報量で、解像度も高くて面白い。「ソノ アイダ」の場合、そういうものがすぐプレゼンテーションにつながるので、企業の方もそこを面白いと思っていますよね。
井上 今回のプロジェクトは、企業の目線が自ずと入ってくるのがいいところです。アートワールドだけに閉じてしまうと、予想を超えた広がりがでにくいと感じます。いま企業側にはアートに接近しようという機運があります。そうして、アートが社会に開かれると、アーティストの生態を知らない企業の人たちが「ソノ アイダ」で、アーティストと出会って何かが生まれる。それが今回の実験的な取り組みの意味だと思います。場があることで何かが起こり、お互いの社会が融合していくことを期待します。
大巻 治外法権のようなものだと思う。違うルールのもとにあったものが治外法権化された広場があって、そこでアーティストたちが野放しになるという感じ。
藤元 それは大事ですね。違う価値観のなかで共犯関係になれる場って、これまでなかったんですよ。
売る場所ではなく、見届ける場として
──東京ミッドタウンから離れて日本橋で「ソノ アイダ」をやるにあたり、企業として何を期待していますか。
井上 アート事業をやる企業も増えているなかで、事業母体が不動産業である東京ミッドタウンとして場所を使うということ、そしてアーティストが街に開かれたときに何が起こるのかには期待しています。アワード自体もパブリックな場所でやっていて、小規模ながら街に開かれているんです。面白い例として、ザ・リッツ・カールトン東京に泊まっていたアラブの富豪の方が東京ミッドタウンの通路に展示されていた作品を見て気に入り、作家にレジデンスへの声がけをしたことがあります。社会に迎合するのではなく、純度高くつくり込まれたものを見てもらうと、意外に垣根がないと感じると思うんです。アートの世界を人々が見に来たときどうなるのか期待しているし、そこに対してちゃんとプログラムを計画していかなくてはと思います。
藤元 偶然がたくさん起こるシチュエーションにしておけばいいんですよ。偶然、何かが始まればいいというか。計画をなぞるんじゃなくて、何も決めずに、何が起こるかわからないことを担保することが大事だし、そのほうが楽しいと思います。
──作家は2ヶ月の滞在と制作に、どんなことを期待しているのでしょうか。
井上 ひとつには作品を売る場、プレゼンテーションの場としても魅力に感じていると思います。必ずしも約束するものではないんですが、デベロッパーにとっても作家と知り合うのは作家を選ぶ強力なきっかけになると思うので、そこはポジティブにとらえています。
藤元 日々変わっていく場を残すために、3Dスキャンで空間をアーカイブしたり、キュレーションやクリティークでフォローアップしたりもできたらと考えています。場はあっという間になくなっちゃうものなので。
大巻 残すためには、作家は与えられた場で何を発信するのかという大もとにぶち当たらないといけないと思う。「売れるもの」や「提案するもの」になってしまうと、残すためのものにならない。「ソノ アイダ」はものではなくアクションのなかにアーティストのソウルがあるから面白いんです。そのソウルが商品に変わるとよくない。場に同調してしまうのではなく、三越の「彼岸」でなければいけない。それがこの時代に僕らアーティストが亡霊として立ち現れる意味だと思う。
藤元 これまで「ソノ アイダ」に商品的なものをつくるつもりで参加する人もいましたが、自然と変わっていくんですよ。意味がないって自分で気がつくんじゃないかな。
大巻 ここはとくに高級な商品を売る場所だから、そういう地域に対する問いを持ったほうがいいと思う。日本橋は日本の空間のゼロ地点です。ここからすべての距離が図られていく大事な場所で、怖い場所でもある。そういうときに、作家を価値づけるというより、きちっと見届けてあげることが大事です。東京ミッドタウンがいろんなところとコラボしながら、一歩踏み出すためのスケールをつくって、それが発信できるような場になればいいですね。
井上 すごいです。どんどん意味づけがされていきますね。
大巻 ひとりで叫んでいて言葉が返ってこないような作家としっかり向き合って話せる人を呼ぶといいね。哲学者でも、文化人類学者でも、数学者でも。企業だからそういう人を呼べるし、一般の人も対話を聴きたいと思う。対談のなかで作家の感覚が見えていって、壁にそれが書かれて、映像で流されて……。そうやって反芻できる場になれば、アーティストにとって次のビジョンを判断する岐路になるんじゃないかな。日本のアートがやっと広がってきたいま、日本橋から物差しをつくるんです。
藤元 「ソノ アイダ」は、経済の波とは違う価値観でやれるから続いているプロジェクトです。アーティストだけじゃなく、関わる人たちが何かを見つけていける場にしたいと思います。
大巻 例えば日本の若手キュレーターや批評家に海外の若手キュレーターたちを混ぜて検証やディスカッションをするのもいいし、コレクターやアーティストが勉強できるように美術史のレクチャーをしてもいい。アーティストとの議論にもぶつけていけば面白いと思う。
藤元 有楽町の「ソノ アイダ」でもキュレーター向けのプログラムをやって、すごくよかったんです。今回もプラスアルファとしてそういう部分はやりたいですね。
井上 今回のプロジェクトでは、こういう議論を通じて場ができていくと思います。そのなかで私は「社会も忘れないでください」と言っていきます。
藤元 治外法権の雰囲気が大事ですね。それが「なんか面白い」って安心できることも。
井上 東京ミッドタウンがあいだに挟まるからできること、逆に東京ミッドタウンだけではできなかったことができること、どちらもあればいいですね。
大巻 ふたつのあいだだからできることだね。
井上 まさに「ソノ アイダ」ですね。
藤元 そういうことです(笑)。