2022.12.23

小鼓奏者・大倉源次郎がTikTokに見出す能楽の継承の可能性。「芸術は拡張と深化の繰り返し」

美術館やギャラリーなどと連携したTikTok公式アカウントの開設から展覧会のTikTok LIVE配信まで、文化芸術を支援する取り組みを続けるエンターテイメントプラットフォーム「TikTok」。現在は、伝統芸能の普及活動支援の一環として公益社団法人能楽協会と連携し、「能楽」の魅力を発信するプロジェクトを進めている。囃子方で人間国宝の小鼓奏者・大倉源次郎と、TikTok Japanの公共政策マネージャー・金子陽子にその意義や可能性について話を聞いた。

聞き手・文=坂本裕子 ポートレート撮影=林ユバ

左から、大倉源次郎(小鼓奏者) 、金子陽子(TikTok Japan)
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歴史はあるが昔のものではない「能」

──能になじみのない方へ、その成立や背景、継承の歴史について教えていただけますか。

大倉源次郎(以下、大倉) 能は室町期に成立し、豊臣秀吉や徳川家康にも愛されて、現在まで600年以上絶えることなく演じられてきた日本独自の舞台芸術です。かたちが整えられたのはその時代ですが、そのルーツは、5世紀には日本に伝わったとされる雅楽や、国内の民間で行われていた様々な祭礼などにまで遡ることができると言われています。

 例えば、この小鼓の胴。ここには安土桃山時代の蒔絵が施されています。梨地に描かれているのは、笙(しょう)という雅楽の管楽器で、12音階はこの時に日本に伝わったのですが、日本で独特の受容をします。それは四季の変化を取り入れるということです。大陸では安定した気候のなかで絶対音階が定められますが、日本では気候によって音の質が変わる。豊かな自然の変化のなかで、「時の調子」という感覚楽器が発達します。いっぽうの黒地には、卵から生まれ出た鳥が描かれている。楽器という人工物と自然の二元世界が表され、その調和が暗示されるのです。

小鼓

 また、こちらの小鼓の胴には、流水に稲の切り株がデザインされています。江戸初期に流行した意匠で、秋の収穫後の田を象徴します。これは「刈田蒔絵」と言われ、戦国時代を経て平和になった江戸時代の豊かな暮らしへの願いが表されています。こうした絵に現れているような、民衆の切なる思いが能には込められているのです。

小鼓

 演目にもそうした要素は見られます。奈良時代の平城京における春日大社の造営は、植林から始まりました。「采女(うねめ)」という曲には、その場面があります。都市をつくっていく過程でも自然環境とのバランスをつねに考える。人間も自然界で生きているということを絶えず意識し、ときに苦しみながらも共存をいかに楽しみに変えるか。そんな想いを連綿と語り、謡い、舞につないできたのが能なのです。

金子陽子(以下、金子) いまのお話を聞いて、先日能を拝見したときのことを思い出しました。いまも昔も変わらない、自然への親しみや畏れ、日々の生活における祈りが能の世界に表現されており、私たちにとって非常に身近なものであると感じます。「伝統」芸能というと「昔のもの」ととらえられがちですが、伝わり、続いてきた結果、いま存在しているものであって、決して昔のものという意味ではないのですね。

大倉 そうですね。伝統芸能は、多くの表現のなかで淘汰され、残ってきたものです。繰り返し演じられるなかで、各時代の呼吸を取り入れ、変化をも含み発展させてきた。つねに「いま」を折り返し地点として繰り返す、この発展のシステムが「伝統」と言えるでしょう。

金子 お話を伺うと、能だけではなく、私たち自身の歴史や未来のすがたへの興味も増えて、楽しみ方が拡がりますね。

伝統芸能が現代と対話をする場「TikTok」

──自然観や多様な要素を時代の変化とともに継いできた能を、現代に楽しむポイントはどこにありますか。

大倉 能は、翁、神、男、女、鬼の5つの世界を1日に見るのが基本形です。現代はそのなかの1番を、時間を限って鑑賞する形態になっていますが、そもそもは、1日かけて様々な立場での物語を追うものです。それらの物語に感情移入することで、自分自身を見直し、新しい自分を発見する契機となる。能とは、「自分と向きあう芸能」と言えるでしょう。

 最近は「楽しませる」受動的な娯楽が主流になっていますが、能は自ら「楽しむ」能動的な娯楽としてとらえないと、本当の意味では楽しめません。

金子 「自分と向きあい、新しい自分を発見する契機となる」という意味では、TikTokも、能と近しい役割を担えているかもしれません。誰かが投稿した創造性豊かな動画を見て、自分なりに自由に解釈をする。さらに、私だったらこう表現する、と投稿が広がっていく。日々、新しい表現が生まれる場になっています。

──今回、能楽協会がTikTokとのコラボレーションを決めたのにはどのような想いがあったのでしょうか。

大倉 能の演目は、自然と人間との関わりを、多様な地域の伝承や歴史を題材に人々に伝えるためにつくられたものです。江戸時代までは当たり前に存在していた能は、全国の物語からつくられた、人間の記憶のメディアと言えます。

金子 しかし、現代ではそのような伝統芸能に若い方々が触れる機会が減ってしまっており、魅力を伝えるのに苦労なさっているというお話も伺っていました。

大倉 芸術は拡張と深化の繰り返しです。革新はスクラップ&ビルドではなくて、いまあるものを深め、拡げていくこと。そうした化学変化がないと文化は途絶えてしまいます。

 無国籍化した現在の日本ですが、それでもまだ高層ビルの谷間にふと神社があったりする。こうした感覚が「気づき」のチャンスだと考えています。伝統芸能を継承していくためには、現代との対話が必要です。そのきっかけとしてTikTokに可能性を見出しています。

金子 そこで今回、日本の伝統芸能の魅力に触れる新しい機会をつくるという能楽協会様の取り組みをご支援させていただくことになりました。

 能楽堂での公演に加えて、TikTokがオンラインで能の面白さを届ける新しいチャネルになることで、これまで能や伝統芸能に触れる機会がなかった若い方々も能の素晴らしさを見つけてくれるのではないかと思います。このような新しい架け橋、しかも、世界に開かれた架け橋として、これからも伝統芸能の活性化に貢献できればと考えています。

TikTokで能に「揺さぶり」を

──取り組みの第1弾として、11月8日に開催されたTikTokクリエイター向け「能楽レクチャー」と「TikTokクリエイターによる能楽の魅力ショートムービー配信」が実施されましたがいかがでしたか?

大倉 TikTokクリエイターの「みりんさん」が彼女の地元を主題にした「高砂」を当地で見て動画を投稿してくれました。その後、「能楽レクチャー」でその演者と実際に対面することになったのです。まったくの偶然でしたが、バーチャルとリアルがつながる、こんな可能性があるのだと嬉しく思いました。また、けん玉チャンピオンの「ゆーだまさん」は、能の面をつけて20連けん玉に挑戦した動画を投稿してくれています。能の面の視野は、想像以上に狭いので技術の凄さが際立ちます。TikTokクリエイターさんそれぞれの世界観があり、能楽とは違う分野から、能楽に触れるきっかけをつくってくれています。

 一方的な受動ではなく、「自分だったら……」をひとつの起点として、新しい視点で能の魅力を表現することで、能という伝統芸能に新たな揺さぶりをかけてくれる。見る人たちも、良い/悪いの二元的な評価を超えて受け止める。この揺らぎと受容こそが新しい可能性を生み出すのだと感じています。

金子 TikTokクリエイターの皆さんは、「能」を初めて観て感じた驚きや面白さをそれぞれのスタイルを活かして発信してくれました。TikTokは「もっと世界を好きになる」瞬間に出会えるプラットフォーム。クリエイターさんの投稿を通じて、多くの方々が伝統芸能の魅力を再発見してくれたのではないかと思います。また、大倉先生がおっしゃるように、もしこの取り組みが能の世界にも揺らぎを起こし、現代における新たな発展の可能性が見出だせたのだとしたら、素晴らしい化学反応だと思います。

──今後、TikTokでの能楽からの発信に、どのような展開を考えていますか。

金子 来年は能楽協会さんと連携して、若手の能楽師さんに向けた人気TikTokクリエイターによる動画制作レクチャーの実施などを検討中です。今後は、未来の後継者の育成も重要な課題になると伺っています。TikTokを通じて能楽の魅力を多くの方に再発見いただくとともに、若手能楽師さんから能楽師という仕事そのものの面白さもTikTokで発信いただくことで、次世代の後継者育成のお手伝いもできたらと考えています。