2016.10.30

新アワードがまもなく募集開始 
審査員・三潴に聞く絵画の可能性

絵具メーカーのターナー色彩が、アクリル絵具を用いた作品の公募展「アクリルガッシュ ビエンナーレ 2016」を新たに開催した。国際的な舞台に挑む画家を支援するコンペティションに先がけ、審査員を務めるミヅマアートギャラリー代表・三潴末雄に、話を聞いた。前編に続き、後編では三潴の考える絵画の可能性に迫る。

聞き手・構成=山内宏泰

「アクリルガッシュ ビエンナーレ 2016」の審査員を務める、ミヅマアートギャラリー代表・三潴末雄。ギャラリー内にある和室スペースにて
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 絵画は、いつの時代も人に求められ続けるもの。いっぽうでマーケットにおける潮流は、変わっていくもの──。前編でそう話したミヅマアートギャラリー代表・三潴末雄は、これからの絵画の可能性をアジアと日本に見出している。

「アジアの文化は全体的に、物事を融合させるのに長けています。とりわけ日本は、様々な宗教が混在した状態を受け入れている。仏教と土着の神道が一体化して、神仏習合が起きているのです。日本では当たり前に思われることですが、いまだに一神教同士の戦いが続く世界から見れば、これはすばらしい思想です。共生や共存、寛容といった時代のキーワードが、ごく自然なかたちで成し遂げられています」。

 そうした文化に根差す表現こそ、今後面白くなっていくはず、と三潴は言う。

「現代音楽の発展は、東南アジアの民族音楽ガムランが、1889年のパリ万博を通して西欧に紹介されたことをきっかけとしたと聞きます。また、日本の浮世絵が印象派に影響を与え、写実とは異なる現代美術の源流に深く関与したのは、よく知られる事実です。現代の文化・文明が西欧中心に回っているという考えには見直しが必要です。今後のことを考えれば、アジアなど非西欧の文化が力を持つようになるのは間違いありません」。

生活に根付く独自性を見直す

「グローバリズム」といった言葉が喧伝されて久しいように、世界は一元化の方向に進んでいるようにも見えるのではないだろうか。

「一元化ではもう世界を保てない。英国のEU離脱を見ても、多様なものをひとつにまとめていくという考えには、どこか矛盾が生じてきているのだと思いますね」。

 そんな情勢のなかで若きペインターが表現を生み出そうとするとき、どんな道を行けばよいのだろうか。

「これまでの現代美術は、インターナショナルなマーケットがあるということを前提に、作品がつくられていた。でも、いまやそれは幻想です。本来の価値観は、もっと個別なところにある。何も世界中がニューヨークの方角を向いて絵を描く必要なんてないのですよ。日本独自の表現がある。そうはっきり叫ぶ気概が大切でしょう」。

日本の画家が取り組むべき表現について、三潴はさらに補足する。

「アジアや日本に目を向けろと言いましたが、それは何も富士山を描けということではない。生活や自分の身の回りで脈々と続いているものを、もっとしっかり見直したらいいのです。古来より日本人は、生活に深く浸透していた文化を、「アート」として発展させてきました。それを「アート」とは呼ばなかったし、意識してはこなかったのですが、浮世絵や根付、刀のなどに、とことん意匠を凝らしていましたよね。それらは高いレベルに達していて、世界に通用するものでした。教育が日本の美のすばらしさを教えないのはよくない、という面もあります。西洋美術史には詳しいのに国風文化を知らない、という人も少なくないですよね。中国というアジア文化における大国の影響から離れて、独自の文化を築こうとした最初の動きが国風文化。そこにはすさまじいエネルギーが渦巻いていたはずなのに、この文化について学び、見直すことが少ないのは、もったいない話です。今回審査させていただく『アクリルガッシュ ビエンナーレ 2016』には、どんなに稚拙であっても過剰な心意気が感じられる作品が、たくさん集まれば嬉しいです」。

 近年、アニメやマンガに代表される日本のカルチャーは、世界に影響力を示している。絵画においても、日本らしい表現を発信することができるのだろうか。

「それは国内にマーケットがあるかどうかにも関わってきます。マーケットがないところには作家は育ちません。絵を描く人とともに、ぼくらギャラリストにも、やるべきことはたくさんあります。ともにがんばっていかなければ、と心から思っています」。

PROFILE

みずま・すえお ミヅマアートギャラリー代表。東京生まれ。1994年にミヅマアートギャラリーを開設。会田誠や山口晃など日本を代表する作家を多く扱う。北京やシンガポールにも展開し、アジアを中心とする国際的なアートシーンに紹介している。