米国東海岸と西海岸ではアウトプットが違う
Johnny Akihito Noda(以下、Johnny) 僕らが初めて顔を合わせたのは、たしか2021年のこと。東京・新御徒町にあるMOGRAG galleryでした。
塚本暁宣(以下、塚本) Johnnyさんの個展のオープニングパーティーでしたね。もちろん、その前からJohnnyさんのことはギャラリーを通して知っていました。アメリカで活動していた日本人アーティストとして、勝手に親近感を持って作品を眺めていたんです。
Johnny 僕のほうも塚本さんのことはSNS上で知ってましたよ。作風がそれほど似ているというわけではないけど、影響を受けてきたものなんかは、かなり近いんじゃないかと想像してました。
塚本 世代も近いので、実際コミックとか好きなものや通ってきたものが、けっこう共通してますよね。
Johnny そう、ただ僕はアメリカの西海岸でしばらく暮らしていて、塚本さんは東海岸のニューヨーク。土地柄が反映しているのか、インプットは似ているのにアウトプットがかなり違っていておもしろい。ところでなぜ、ニューヨークだったんですか?
塚本 ニューヨークに友人がいて、滞在ビザをはじめとした様々なアドバイスをもらえたのが大きいです。それをきっかけに色々な縁もできたので、思いきって渡米しました。ニューヨークでの生活は大変な面もありましたが、日本人もけっこう多く、助けてくれる人がいつも周りにいてくれて暮らしやすかったです。
Johnny 僕はサンフランシスコにでした。20歳のとき西海岸のロサンゼルスに初めて遊びに出かけたとき、ギャラリーでロウブロウ・アートのオリジナルペインティングを見てハマっちゃって、それがきっかけで絵を始めたんです。
塚本 ロウブロウ・アートとの出逢いが、絵を始めたきっかけだったんですね。
Johnny そう、小さいころから妖怪とか「ウルトラマン」の怪獣とか、変なものが異様に気になるタチでした。ロウブロウ・アートの表現に出てくるちょっと毒々しいキャラクターが、僕には「めっちゃかわいい!」と感じられた。自分でもこういうかわいいキャラクターを生み出したいという思いが湧いてきて、いまだ同じ気持ちで描き続けている感じですね。とにかく絵を描いてさえいれば幸せ、というタイプのペインターもいるけれど、僕はちょっと違うかな。キャラクターなど自分の好きなものの姿かたちによって、ある世界観を表現したい気持ちが強いというか。
塚本 僕も、ひたすらに描くということができなくて、理論などをいろいろと考えて頭がごちゃごちゃになり、そこから少しづつ整理していくことが多いです。とくにモチーフ探しなどは、つい理屈で考えてしまうことが多いのですが、それを打ち破る「これ!」という感覚が湧いてくるときがあり、そうなったときに初めてひとつの絵になります。Johnnyさんみたいに自分のオリジナルキャラを持っている人はちょっとうらやましいです。
Johnny 僕の場合、自分がかわいいと思うものを見つけて「これを描こう」と決断するまでは早いかもしれないけど、それを絵にしていくにはものすごく時間がかかる。塚本さんのほうが、いったん構想やモチーフが決まればそこから早そうだから、逆にいいなと思います。塚本さんは描く前に入念にリサーチするということですけど、それはもちろんウケるものや流行りをチェックしているというわけじゃないですよね。
塚本 そういうことではないですね。リサーチとして、サンプリング元の詳細を調べたりしていますが、トレンドより「ズレ」や違和感をつくり出せたらいいなと思っています。鑑賞者に「?」マークや考察が沸き起こるほうが、見ていて飽きないものになるかなと思います。
Johnny それはそうですね。以前ある個展で新しい試みをたくさんしたくなって、モチーフなども変えてみたところ、見に来てくれた人の頭上にそれこそ「?」マークが山ほど浮かんでいたのを覚えています(笑)。
絵は労力がかかる、でもそこがいい
Johnny さっきの話だと、ふたりとも「小さいころから放っておいても絵ばかり描いていた」というタイプではない。なのになぜいま、おたがい絵画を仕事にしているんでしょうね。
塚本 僕が絵画を選んだのは、とりあえず紙とペンさえあれば描けるからです。実際、鉛筆デッサンから絵を始めました。だれにでも開かれている感覚が魅力的だと思います。
Johnny ああ、そうですね。入りやすさはたしかに大きい。実際には、作品として仕上げていくには膨大な時間と労力が必要なんですけど。たまに誤解されることありませんか? プロならどんな絵でもサラサラっと描けるんでしょ、と。
塚本 ありますね。制作にかかった時間を素直に伝えると驚かれたり。作風や絵柄にもよるでしょうけど、描くという行為はやっぱり膨大な時間とエネルギーがかかるものです。
Johnny 作家がそれだけのものを注ぎ込んでつくるからこそ、見る人に大きな衝撃を与えることもできるし、何度も見るに堪えるものとなるのかもしれませんけどね。美術館やギャラリーで絵と対峙していると、ひどく疲れてしまうことがあるのは、絵が発するパワーにあてられているんですよきっと。そういう強い力を持った絵画を描いていきたいものです。
塚本 絵を買ってくださる方にも、そのあたりを感じ取ってもらえると、自分のスペースに絵を置く楽しみがまた増えるんじゃないかと思います。もちろんアートの楽しみ方、関わり方はまったく自由ですし、その人の視点から接してもらうのがいちばんなのは大前提なんですが。
Johnny そういえば、サンフランシスコに住んでいたころに「どうしてこの街ではアートが生活の中にすんなり溶け込んでいるんだろう」とよく思ってました。街の看板や壁画、商品のパッケージなんかにも入り込んでいるし、ギャラリーやカフェなどで作品を目にする場所も多い。住居内にもお気に入りのアートを皆が気軽に飾っている。いい雰囲気でしたね。日本でも音楽や服や家具は、好きでこだわっている人がたくさんいますよね。同じようにアートも扱ってもらえないかな、といつも思いますよ。
塚本 新しいお気に入りの服を手に入れるのと同じ感覚で、アートも身近に置けるようになるともっと楽しくなりそうですよね。徐々にそういう流れになっているんじゃないかなとは感じられますけど。いまのところ、アート分野でも情報はたくさん出回るようになってきています。時間をかけて浸透していくんじゃないでしょうか。
Johnny たしかに情報はSNSを中心にパッと出回りますよね。歓迎すべきことですけど、情報が豊富なのって、制作するうえでは困ることありませんか? SNSとか見過ぎると、僕は描けなくなることもあるので、けっこう気をつけてます。人の作品をじっくり見てしまうと、そっちに気持ちを持っていかれてしまったり、知らないうちに自分のなかにその作品が入り込んで影響を受けてしまったりしそうなんです。
塚本 本当に多くの情報が流れ込んできますからね。自分で取捨選択する意識はしっかり持っていたいところです。
Johnny 情報をシャットアウトするのもまた違う気がするので、自分でうまくコントロールするしかないんでしょう。アートの世界でも、作家の完全なるオリジナルのものなんてめったにないわけで、たいていはその人が昔好きだったものに影響されている。皆多かれ少なかれ、好きなものを昇華させているのだから、あまり考え過ぎずにやっていきたいです。
塚本 SNS以外で、制作における大きな敵ってあります?
Johnny 僕は海外ドラマとか見始めると止まらなくなるんで、すごく気をつけて自制してます(笑)。
塚本 そうですよね。僕もごはん食べながらYouTubeとか見てると、あっというまに数時間経っていて焦ったりします。まあこれは作家というより、たんに現代人に共通の悩み(笑)。作家も現代を生きるひとりですからね、罠に陥らないように気をつけないと。
Johnny 塚本さんはこのアトリエが制作拠点なんですよね? 明るくていい環境で、集中できそうじゃないですか。
塚本 はい、意外と自然も多く、新宿の世界堂が近いので画材をすぐ買いに行けるのも大きい。誰かの展示があってもすぐ駆けつけられるし、地の利はありますね。ニューヨークにいたこともあり、刺激を多く受けれるエリアが自分には合っていて、自然な流れで都心でアトリエを探すことになりました。Johnnyさんもアトリエは名古屋の市街地でしたよね?
Johnny 僕は自宅の中に作業場をつくってます。築60年ほどの古い物件で、床にペンキ垂らしても、壁に釘を打ってもいいということになっているのでありがたい。アトリエの居心地は大事ですよね。サンフランシスコにいたとき、倉庫の一角のスペースを借りていた時期があったんですけど、周りで木材を切りまくる人がいたりして、空気清浄機を回し続けても息苦しくなってしまう。太陽も照らないところだったので昼夜逆転してしまうこともあり、描くものもずいぶん暗い絵になってしまった。環境の影響は大きいですよ。
塚本 たしかに言われてみれば、制作に集中できる場づくりは、納得いく作品づくりの第一歩かもしれない。いまのところ気に入った環境を確保できているのだから、創作をしっかり進めなければ。
Johnny 同感ですね。力の入った絵を、どんどん描いていくだけです。