表現方法を暗中模索して見つけた自分らしい技法
松岡柚歩(以下、松岡) 岡田さんは「写真」と「ペインティング」というまったく違うメディアを、転写技法であえてひとつに融合していますよね。モデリングペーストに直接写真を転写してクラックを入れるという、わりとシンプルな技法ですが、そのクラックや絵具自体の質感の違いによって、写真一枚で見るよりも説得力がずいぶんと増している印象があるんです。この技法にたどり着いたのは、いつ頃ですか。
岡田佑里奈(以下、岡田) 学部の3回生のとき、友人からチェキカメラをもらったのをきっかけに写真を撮り始めたのね。ちょうど自分の表現したいことが油彩だとうまくいかなくて悩んでいたから、チェキで夜の街を撮るのがすごく楽しかった。
そんな頃に、私のアトリエにふらりとやってきた大庭大介先生が、お茶の葉を濾してインクにするという古い技法で描いた私のドローイング作品を見て、「この表現方法が、君がいま読んでいる海外のファッション誌に載ると思う?」と言ったの(笑)。もちろん載るわけないけれど、同時に反発心も生まれて、余計に写真を撮ることにのめり込んだというか。
そうして4回生のときに学内で写真展をやったら、大庭先生が見に来てくれて、「いいじゃん!これでいけば?」と言ってくれて。自信がついたのと、新しい道筋が見えた。
松岡 先生の言葉に背中を押されたんですね。学部生時代に「TOKYO FRONTLINE PHOTO AWARD #7」に出品して、後藤繁雄賞も受賞していますよね。
岡田 あの受賞は、作品制作を続ける原動力と自信になりました。
松岡 転写技法が自分の表現としてしっくりくる点はどこですか?
岡田 カメラを手にした頃は、油彩か写真か、どちらかに決めないといけないと思っていたのだけど、大学院でいろいろと模索している最中に、両方を融合させた表現が見えてきた。自分に意外と向いていた写真という表現方法をプラスすることで、油彩では難しかった独自の表現にたどり着けて、本当によかったと思う。
松岡 写真の素材として、4人の被写体を4、5年撮り続けていますが、同じ人を撮り続ける面白さはなんですか。
岡田 ひとりの人の変化をグラデーションで表現できるところ。おたがいに環境が変わればコミュニケーションの仕方も変わるし、相手の顔や表情も変わるので、撮っていてすごく面白い。
松岡の作品は、筆を一切使わずに、毛糸を編んで貼ったり、その上から別の絵具を重ねたり一部を剥がしてみたりと、すごく造形的だよね。
松岡 私はずっと抽象絵画が好きで、卒業制作で3 × 2.8メートルくらいの大きさの作品を3点出したんです。でも、画面が大きくなればなるほど筆では追いつかなくなってきて、自分が絵を描いているのか壁をつくっているのか、わからなくなって(笑)。
それで絵具を手ですくって塗り込んだら、しっくりきたんです。私は絵を描くことが好きなのではなく、絵具の感触が好きなんだということに気がついた。たぶん、子供が泥団子をつくるような感覚。作品の完成形を求めているのではなく、絵具を触っている時間が好きだから、自然とこのような技法になったのだと思います。
ルーティン派の松岡、一点集中型の岡田
松岡 岡田さんが大学院に進んだのは、やはり大庭先生の影響が大きかったんですか。
岡田 大庭先生もそうだし、池田光弘先生や後藤繁雄先生の存在が大きかった。自分が白紙の状態で彼らの前に立つと、いろんな色を受け渡される感じというか。「この画材たちで何をどうやってつくればいい?」という試行錯誤を卒業制作の段階で経て、さらなる展開を続けたのが大学院の2年間だった。
松岡 私はもともと大学院に行く気はまったくなかったんです。「教職を取って、学部を卒業したら先生になります」と親にも約束していたし。でも、3回生のときの進路に関しての面談でゼミの担当教授に「本当にそれでいいの?」と言われて、号泣しちゃって(笑)。たぶん、先生になりたい気持ちと同じくらい、絵を描き続けたい気持ちがあったんですね。どちらも魅力的に感じていました。
それで、先生になるならどんな先生になりたいかをあらためて考えたとき、小中高の美術教師、美術大学の教授、作家として活動しつつワークショップで教える先生、などいろんなかたちがあることに気づいた。しかも、誰かに何か教えるには説得力がいちばん大事だと思っているから、その説得力をつけるためには作品をつくっていないと意味ないな、だったら大学院に進もうかなという考えに至りました。
岡田 松岡は本当に真面目で、努力家だよね。
松岡 いや、真面目というより、私自身すごく不器用だと思っていて。絵を描くことが好きで得意だと思って美大に入学したら、そんな人は山ほどいた。だったらどこでその差をつけていこうかと考え、誰よりも朝早く学校に行き、門が閉まる最後まで学校にいることにしました。とくに大学院に行くと決めてからは、朝9時から22時の閉門までずっといた。何もできなくても、せめて絵の近くにいようと。
でも、その頃も、大学院に入ってからも先生からは「あなたほど不器用な人は見たことない」「これだけ言っても作品が良くならない」などと言われたし、毎月20枚、30枚描いてもまったく進歩した気がしなかった。修了展でやっと納得できる作品ができあがったという感じです。
岡田 自分で「いけたな」と感じられたってこと?
松岡 そうですね。こういう制作スタイルを続けたいと思えた。それが多くの方に観てもらうきっかけとなり、現在につながりました。
岡田 私は松岡と真逆。学校は夕方からしか行かなかったし、気分が乗らなければ帰るし、夜はたいがい街に繰り出していた。ただ、カメラってどこでも持っていけるし、私の生活や性格にも合っていたから、こうして制作を続けられたのかなと。
松岡 岡田さんはいまもずっとそのスタイルですよね。私は、いまは週3〜4回、10時から18時までギャラリーでアルバイトをしていて、その日にできる作業が限られているから、毎日アトリエに通っている。たとえ何も進まなくても、とりあえず作品の近くにいたいと思う。岡田さんはそれこそ一点集中で、外でインプットしてきたものを短期間でアウトプットするタイプ。
岡田 22時過ぎにアトリエに来て、朝までには決着みたいな(笑)。
松岡 でもおたがい、人の気配があったほうが、制作が捗る。そこは共通点かな。
岡田 共同アトリエだからこそ、制作を続けられている部分は確かにあるよね。
松岡 岡田さんが専業作家になると決めたのはいつですか?
岡田 大学院でようやくいまの技法を会得してきた頃、学年ひとつ上の小谷くるみさんや山本捷平さんを見ていて、私も後についていきたいと思った。
ここ数年でコレクターの年齢層に若い人がだいぶ増えたのは、若手アーティストの発表の場が増え、安価に購入できる作品が市場に増えたから。小谷さんや山本さんの頃から少しずつ火がつき、コロナ禍が起爆剤となって、私たちの世代にうまく着火したのではないかなと思う。
松岡 コロナ禍がきっかけで生まれた企画やイベントも多いですもんね。
岡田 しかも京都芸術大学は「食べていける作家を育てる」という意識が強い。卒業展も見に来てくれた人に作品を買ってもらえるように、お客様との1対1でのやり取りの仕方や、それこそ梱包の仕方まで大学が教えてくれる。それはすごく重要なことだし、そのおかげで私も作家として食べていける自信がついたのだと思う。
松岡 卒業展や修了展で自分の作品をどうみせるか考える学生が多いですね。私も先生や先輩からも色々と話を聞いて、展示構成など参考にしました。
岡田 そう。売れなかったらアルバイトで画材代と生活費を稼いで、空いた時間で制作することになる。私自身、コロナ禍1年目はちょっと怖くてアルバイトを続けていたから。でも、コロナが理由でバイトがなくなったのを機に、「制作だけに集中しよう!」と専業作家になりました。
松岡 専業になってよかったことはありますか?
岡田 私は100パーセント集中しないと作品が仕上がらないタイプだから、アルバイトなんてしないほうがいいことにようやく気がついた。専業作家になることは博打というか、今後どう評価されるかわからない恐怖がある。でも、「もう戻れへんわ!」というほうが、諦めもつくしね(笑)。
松岡 退路を断ったと(笑)。私は岡田さんと逆で、働いていないと制作がうまくいかないんです。学部の頃もアルバイトを4つ掛け持ちしていたし。
岡田 どんなアルバイト?
松岡 飲食はもちろん、大学の通信のアシスタント、イベントの派遣スタッフ、工場の単純作業や掃除とか。親の支援もあったけれどひとりで生きていけるようになりたかったから、学部の1年生の頃から働いて貯金して、制作費はなるべく自分で出して、修了後に向けての資金にしようと思っていました。
だからというべきか、大学院を出て作家として朝から晩まで24時間制作できる環境になったら、ぼおっとしちゃって。1日のスケジュールをびっちり組みたいタイプなんです。働いているときは、制作とは違うスイッチが入る時間。
きっと私たちって真逆だから、いろいろとうまくいっている部分もあるんでしょうね。
岡田 そうだね。逆に共通点といえば、松岡は神戸、私は尼崎と、おたがい兵庫県生まれ。神戸で生まれ育ったことは、自分の作品に影響あると思う?
松岡 そうですね……。神戸は、生活文化、美術や建築、食、ファッションに至るまで、日本的ではないものが多い。大学入学のために京都に来て、「神戸のハイカラな文化は独特なんだな」と感じました。パターンや模様を見るのが好きなのも、神戸で生まれ育ったことが少なからず関係あると思います。
岡田 私は尼崎出身だけど、尼崎は南へ下っていくと工場しかない。「神戸のハイカラ」とは逆で、けっこう治安が悪いのね。
でも、中学生のときは自転車で工場まで走ったりしていたし、川を挟んで大阪の都心が見えるんだけど、その夜景が美しくてずっと見ていられた。工場地帯が日常の風景だったのは、いまの自分につながる重要なピースかもしれない。写真で野良猫を追いかけていたり、無機質な街の風景やモノクロの夜景を撮り続けていたりするのは、尼崎生まれと関係あるのかもしれないと思った。
作品を通して伝えたいこととは
岡田 この作品《outline(check#117)》(2022)は、「outline」の最新作?
松岡 はい。大学院の修了展からずっと続けているシリーズで、これまでに120枚くらいつくりました。
「outline」を続けている理由は、高校生までなんでも中途半端だったから。成績や習い事も、上手くできなくて辞めてしまうことが多かった。理想と現実が追いつかない感じ。やるなら0か100の極端なタイプだけど、辞めるに辞められず、ダラダラと続けていたこともたくさんあります。でも、このシリーズができて、100を過ぎたくらいで「1と100を比べるとどのような変化があるのか」というような楽しみができたし、自分がどこまで続けていけるのか挑戦したいという気持ちにもなりました。
岡田 松岡の作品はチェック柄が多いよね。
松岡 チェックって、一見するとどういう線の重なりでできているのか、わかりにくいじゃないですか。模様が好きというよりは、構造に興味がある。レイヤーの重なりでどういう模様や色が見えてくるのか、そこをとことん追求するのが好きです。
岡田 子供の頃もボールペンを分解したって言っていたし……。
松岡 そう(笑)。テレビのリモコンとか、家じゅうのものをバラバラに分解するから、親によく叱られました。
岡田 構造がどうなっているのか知りたいという欲望が強い。
松岡 人形遊びよりも、レゴやクロスワードパズルが好きだったし、ニンテンドーDSもそういうソフトばかり選んでいた。パズルみたいにぴったり合うのがずっと好きなんでしょうね。
岡田 なるほど、日々のスケジュールも松岡にとってはパズルなのね(笑)。
松岡 そうかもしれません。岡田さんの新作《Stare 07.》(2022)についても教えてください。
岡田 これは以前から続けている「DREAM IN OUT」というシリーズのアップデート版。以前は全面にクラックが入っていて、クラックの隙間にシルバーやゴールドを流し込んでいたのだけど、もう少し内面性を出そうと思い、背景をシルバー全面にしたことでシルバーがクラックの隙間から光って見え、また新しいレイヤーが重なり見え方が変わった。
ところで松岡は制作するとき、作品の「社会的な意義」みたいなものを考える?
松岡 社会的な意義とは違うけれど、私の作品は「絵画の鑑賞」、つまり制作者側の私と鑑賞する側の違いや受け取り方もテーマのひとつなんです。日常的な思考や疑問があるとして、「そうか、違う角度で見たら、違う答えが見えるんだな」というような、新しい発見がある作品であってほしい。正直なところ、政治的、社会的な側面は少ないと思う。目の前の作品をどう受け取るか、どう見るかというのが、私がいちばん伝えたいことです。
岡田 そのテーマを受け取ってもらうために気をつけていることは?
松岡 例えば自分の好みで色を決めずに、補色関係──この色とこの色が重なったらどういう色に変化して見えるかとか、強い色と弱い色のコントラストがあることで境界線が光って見えるとか、視覚的効果を考えながらつくっています。あと、上下左右を決めずにつくって、展示の際に向きを決めたり、違う展示ではまた違う向きにしたり。作品を通して「私はこうです」という自らの意見を主張するのではなく、「あなたはどうですか?」とつねに問いかけていきたいです。
岡田 面白いね。私も自分の作品に社会的な意義があるとは思っていないけれど、例えば撮影に出かけた先に野良猫がいたとして、場所によっては体型がぜんぜん違うなとか、さくらねこ(捕獲され去勢手術を受けて、耳の先端を桜の花びらのようにV字型にカットされた猫のこと)が多いなとか、同じ場所でも数年前より極端に数が減っているのはなぜなのかなとか考える。いわば野良猫を通して、人間と人間以外の関係性みたいなものを感じ取っているのかなって。
カモメもずっと撮っているけど、コロナ禍で観光客が激減し、餌をやる人がいないから、遊覧船にもカモメが寄り付かないしね。逆にトンビが場を支配して人間を襲っていたりして、世界中で起きている「立場の逆転」を感じたりとか。生き物を観察していると本当にわかりやすい。
松岡 「都市」も岡田さんの重要な被写体ですよね。
岡田 そう。つねに新しいものがつくられ古いものは壊される、まさにスクラップアンドビルド。再生と破壊の無情さと希望を同時に感じている。
松岡 好きなものを好きなようにつくっているように見えて、やはり本人なりのテーマや社会的な意義が自然と染み出すのが、アートというものなのかもしれないですね。