2023.10.14

内野聖陽と北⾹那が語る、「春画」の魅力

平安時代からはじまり江⼾時代の⽊版画技術の発達で全盛期を迎えた⼈間の性的な交わりを描いた「春画」。これを題材にした映画『春画先生』が10月13日に公開された。劇映画初のR15+で認証され、⽇本映画史上初、無修正で浮世絵春画がスクリーンに映し出されるこの作品について、主演を務めた内野聖陽と北⾹那がその魅力を語った。

聞き手=浦島茂世 ポートレイト撮影=稲葉真

主演を務めた内野聖陽と北⾹那
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春画に見せられた男女の奇妙な関係

──『春画先生』は春画に魅了された研究者、“春画先生”こと芳賀一郎と、その芳賀に恋し、弟子入りした春野弓子を取り巻く物語です。ストーリーも役どころも非常にユニークでした。

『春画先生』より

内野聖陽 春画先生こと芳賀一郎という役にたどり着くまでは試行錯誤でした。撮影に入ってすぐの頃でしたが、何度もテイクを重ねたときがありました。物語の冒頭、僕が演じる芳賀一郎が、北さん演じる弓子さんに最初に春画を指南するシーンだったのですが、それは塩田明彦監督のなかで、芳賀の喋り方や佇まいなど、すでに確固としたものできあがっていたから。そのイメージと内野の肉体から出るイメージを調合していくような感じでした。面白くもあり、大変でもありましたが、芳賀のチューニングを合わせた後はとても楽になりましたね。

 芳賀がどんな人物で、どのようなストーリーになるのかを示すシーンでしたから、監督も丁寧に撮られたんですね。あのシーンで何度も演技を重ねていくうちに、自分も芳賀一郎がどんな人物だか体で理解できるようになってきた。ようやく監督からOKが出たとき、物語のスタートラインに立てたように感じました。芳賀は自分の好きな世界を語っているうちに、ついつい相手を忘れていつの間にか距離感を失ってしまう人物。そんなところが芳賀のかわいらしさなんだ、と監督はとらえていたようです。

 確かにあのシーンの芳賀さんはとてもかわいらしく感じました。私が演じる弓子に春画について話しているうちに、突然なにかを思い出して奥に書物を取りに行ったり、ひらめいたことを書き始めたりするんです。弓子自身も春画に目覚めてのめり込む大切な瞬間だったので、非常に印象に残っています。

 私は弓子を演じるにあたり、塩田監督からは情熱やエネルギッシュな雰囲気を出し、発声はしっかり、けれども自然に見えてほしいとのリクエストがありました。普段、私が芝居で意識しているのは日常の温度に近づけ、いかに自然に見えるかということでした。ですから、その溝を埋めていくのに同様に時間がかかりました。監督がイメージする過去の邦画作品などを教えていただいて拝見し、自分なりの弓子をつくっていきました。

内野聖陽と北⾹那

──劇中での春画鑑賞のスタイルは非常に独特でした。

内野 塩田監督独自のアイデアや美学が詰まっていますね。監督は昔の映画作品のオマージュを思わせるような、レトロな雰囲気・世界観をこの作品にたくさん盛り込んでいます。研究者である芳賀と若い弓子の関係性などもそうですね。

 葛飾北斎の春画を鑑賞するシーンや、回転ベッドが登場するシチュエーションなども監督が考えています。あやしげな雰囲気も楽しんでもらいたいですね。

──物語が進むに連れ、芳賀と弓子の新しい一面も次々と現れてきます。

内野 自分はSかMかでいうと、S寄りの人間だと思いこんでいたんですが、芳賀は真逆のタイプ。台本を読んで演じられるのかな?と若干不安になっていたのですが、塩田監督からSとMの関係性についてホワイトボードも使って直々にレクチャーしていただきました。

 そんなこともありましたね。

内野 映画を見る方は戸惑う場面も多いかと思いますが、春画を見るときのようにおおらかな気持ちで楽しんでもらえればいいなと思っています。

『春画先生』より

映画をきっかけに知った春画の魅力

──お二人は、この作品に携わる前、春画をどのように考えていらっしゃったのでしょうか?

 私は春画を初めて見たのは中学生のころでした。インターネットが利用できるようになり、様々なことが調べられるようになってきたころ、好奇心旺盛な同級生が「江戸時代のエロ本があるよ」って。江戸時代の価値観や美意識を知らなかった当時は、いやらしいものとしてではなく、おもしろいものとして見ていたのが記憶にあります。大人になり、この映画に出演するにあたり改めて春画を見てみると、情報量がとても多いことに気付かされました。周りの景色から場所や季節が推察できますし、登場人物がどのような過程を経てこの状態に至ったのだろうか、画面の外にはどのような世界があるのだろうか、など様々なことを想像できる。だから、ずっと見ていられる。

内藤 春画はこれまでに何点か見る機会もありましたが、改めてしっかりと鑑賞したのはこの映画のお話があってからですね。数多くの春画を観て、その歴史を学んでいくうちに、絵師や彫師、摺師たちの技術力の高さ、画面の構成など非常に高度なことに驚きが増えていきました。

 僕の興味を駆り立てるのは、文明開化以前の性愛に対するおおらかさです。日本の神話の世界も、イザナギとイザナミのまぐわいから始まってますしね。性愛というものは淫靡で恥ずかしく、隠すべきものという感じがありますが、かつてはそれほどでもなかったようですね。たとえば、春画を戦に携えていったり、嫁に行く娘に親が持たせたりすることもあったといいます。春画が縁起のいいもの、福をもたらすものだと考えられていたことが、この作品をやっていくうちに知ることができました。春画の再評価の状況も面白いですよね。大英博物館で春画展を開催されると、逆輸入の形をとって日本でも春画展が開催されたり。それが呼び水となってか、春画を扱う映画も制作されるようになってきている。

──『春画先生』のなかでは、様々な春画が登場します。そのなかで心惹かれた作品はありましたか?

 撮影に入る前に資料をいただいていたのですが、そのなかでも一番好きだったのが喜多川歌麿の『歌満くら』の「秋の夕」です。一時期スマホケースにも使っていました。

内野 美しいよね。

 美しいですよね。女性の顔が見えないのがいい。そして、その女性は左手を男性のあごに添えているんですが、やさしい感じがエレガンスだと思います。お尻のかたちも美しい。

内野 僕も「秋の夕」が好きですね。そして、そのお尻の色はあえて肌色を刷ってなくて紙の素材の色そのまんまなんですよ。そして、ほつれ毛や透けて見える布の質感など目を見張るほどの技術力。あと、構成力もいいし、ユーモアに富んでいる。間男が来たり、子供の目を盗んでいたしちゃっている春画など、その一枚の絵を見ているだけで物語が見えてくるんですね。娯楽作品ですね、まさに。

『春画先生』より

──映画を通して春画への関心も高まったのでしょうか?

 この映画の撮影が終わってから、頻繁に美術館に通うようになりました。春画でいえば、いまは休館中ですが、三菱一号館美術館の「芳幾・芳年 ― 国芳門下の2大ライバル」展。春画も展示されていたので見に行ったのですが、落合芳幾と月岡芳年のその他の作品も非常に面白かった。時代によって絵柄が変わっていくところなど、非常に面白いと思いました。

内野 北斎の美術館や展覧会にはよく行きますね。なかでも小布施にある北斎館は印象に残っています。天井画の波の描写は、本当に凄まじいと思います。あの頃北斎は80歳くらいなのですが、浪の一つひとつの表現への気迫というものがこっちにヒシヒシと伝わってくるんです。素晴らしい絵ですが、それでも「もっと絵がうまくなりたい」と言っていたそうですからもう本当に画狂老人ですよね。北斎も春画を沢山描いてますが、どれも独特で北斎のユーモアを感じるものばかりだと思います。

──『春画先生』や春画に興味がある方にメッセージをお願いします。

内野 『春画先生』は、画面に登場する春画はもちろんのこと、塩田監督の様式美も楽しんでもらいたいですね。自分としてもこの映画で春画の素晴らしさだけでなく、違う自分も見つけられました。

 私は弓子を演じていくうちに、この映画にも、内野さん演じる芳賀さんにも春画にも夢中に、のめり込んでしまったので、ぜひ一緒にのめり込んでいってほしいです。映画には数々の春画が出てくるので、じっくり春画を鑑賞すると同時に、なぜこのシーンにこの作品が用いられたのか?など想像してみるのも楽しいと思います。 

内野聖陽と北⾹那